Ⅵ
きっと大丈夫さ、と胸を張っていたシルヴェスタの言った通り、レトナは同じ部屋で食事を取ってくれた。後押しをしてくれた当の星烏はいなかったため、喋るのはディリアばかりになったが。
闇に溶け込む純黒の少女が、何を思っているのか。純白の少女にはまだ読み取れない。そのため、話す内容は頷きで答えられるものか、ディリアの身の上ばかりになる。相手から声が返ってこないまま話し続けるというのは、なかなか不安を煽られるものだったが、それはレトナの目を見るたびに解消された。鉱石の光が映り込む漆黒の双眸は、どこまでも真っすぐで、透き通っていて。嫌なものを一つも感じなかったので。
喋っていたこともあって、食べるのは遅かったはずなのに、食事の時間はいつもより早く過ぎてしまって。レトナがトレイを下げてしまってからは、また次の食事まで会えないのだと思っていたのだが。
『自由にしてあげられるようになったら、あたしと踊っていただけませんか』
「踊る?」
意外な言葉にきょとんとしていると、ひんやりとした黒檀の手が、微熱を宿す白亜の手を包む。ディリアがついやってしまっていたのと同じ、故に、どういう意味合いかも分かる動作。
「ええ、もちろん。不慣れでも許してくれるなら」
空いていた片手を、答えと一緒に黒檀の手へ触れさせる。純黒の少女が抱いているのだろう、不安と緊張をほどけるように。
試みは成功したようで、鉱石の光に照らし出されたレトナの表情が、ほんの少し動いた。目が見開かれて、どことなく穏やかな眼差しになる。
『あたしがリードしてあげる。あなたが踊る姿を見るの、とても楽しみ。きっと綺麗だから』
「き……!?」
あけすけな言葉に固まっていると、黒檀の手はするり離れていく。心なしか、いつもより素早く踵を返して、レトナは立ち去ってしまった。その足音も、なんとなく弾んでいるようだった。
呆然と取り残されたディリアは、字を記された手のひらをなぞる。ひんやりとした軌跡は、上書きされても、微熱を宿す指でなぞっても、消えない。純黒の少女がくれた言葉は、水のように染みてきて、そこだけ白ではない別の色になりそう。
昼の国の人々は、己の純白を誇りに思う。だからこそ、汚れが付かないよう整える。ディリアも例外ではなかったし、白に別の色が混ざるのは、快く思えなかったはずなのに。夜の国の少女がくれた染みは、不思議とそのままにしておきたくなる。
「やあ、お嬢さん。食事は楽しかったかな?」
ぐっぱぐっぱ、レトナが字を書いた手のひらを開閉していたら、ひとりでに窓が開く。次いで、羽音と共に軽快な声が入ってくる。諸々の音の主はもちろん、星烏のシルヴェスタだ。
「ふふ。わたしばっかり話すのはどうかと思ったのだけど、楽しかったわ。後押しをしてくれてありがとう、シルヴェスタ」
「どういたしまして」
ベッドの傍ら、突き立てられた止まり木へ飛んでくると、星を宿す烏は優雅にお辞儀をする。性別も年齢も分からない白黒の烏とも、ディリアはずいぶん仲良くなれていた。
「ところで、レトナから何かお誘いを受けなかったかい? そちらも後押ししたのだけれど」
「え、ええ。一緒に踊らないかって。びっくりしてしまったわ。でも、嬉しかったからお受けしました」
「そりゃあ良かった。夜の国の人々は声を出せない代わりに、嬉しさや楽しさを踊りで表現するのでね。レトナが舞い踊る姿を君にも見てほしかったし、君とレトナが踊るところも見たかった身としては、喜ばしい選択だよ」
星が散る胸をぶわりと膨らませ、シルヴェスタは
思いながら、レトナが踊り慣れているというのも、最初に抱いた印象とだいぶ違って面白い。いや、面白いというよりは、どきどきしている。光が当たらなければ一切が秘されたままのような、夜の国の少女。差し込む光の虹色を反射したり、黒い紗幕を一枚一枚めくっていったり。彼女が少しずつ姿を現してきてくれているような、距離が縮まっていくような感覚が、寒さから抜け出した体の熱を熾していく。
「レトナは、君が思っているよりもずっと触れ合うことが好きで、君と仲良くなりたいと思っているよ」
不意に、落ち着いた声でシルヴェスタが言う。どこか芝居がかったような雰囲気は消えて、照らし出す鉱石の光と同じ、穏やかな顔をしているようだった。
「夜の国では声が限られる分、それ以外のもので親愛を示す。触れ合いはその最たるものだ。あの子はお祖父さんからの親愛を、その身に受けて育ってきた。自分の知っている示し方で、君に親愛を示したがっているのさ。君も分かるようになると思うよ。あの子の瞳には、たくさんの色が渦巻いていて、今にも飛び出したがっているんだもの」
ぶわり、星を宿した体を膨らませて、お喋りな星烏は目を細めた。楽しそうに笑っていた。柔らかな語りを聞かされた上、そんな顔までされてしまっては、どうしようもなく伝わり分かってしまう。シルヴェスタもまた、レトナを大事に思っているのだと。
「あなたのおかげで、レトナのことをたくさん知ってしまうわね」
「素敵なお隣さんだもの、たくさん知ってほしいのさ。君はいつか、昼の国へ帰ってしまうのだから」
淋しげな色を纏わせた声に、ちくりと胸を刺された心地がする。ディリアは当たり前のことを思い出した。自分は、帰らなくてはならないのだ。
でも、と。内から反論の声が上がる。まだ、レトナについて知らないことはたくさんある。夜の国のことも、色々と教えてもらいたい。それが済んだ後でも、遅くはないはず。
初めは夜の国への興味だけでやって来たというのに、いつの間にかレトナの方が先になっていて、苦笑が漏れる。その理由は分かっていた。あの純黒の少女のことを、綺麗だと思っているから。もっと見ていたいと思っているから。
レトナ。黒檀の指が書いた名前を、密かに繰り返す。あなたのことを、もっと知りたい。
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