第七話 あらみたま 2






 穂波と蘇芳は空気の変化を感じ、青葉を見下ろした。眠っているはずの青葉の唇が、微かに動いて言霊を紡ぐ。


「つながれりたまえ ふたつがみ われともに ちをまもれ」


 轟音ごうおんが響き、突然カザヒとミナツチが現れ、穂波はぽかんと口を開けた。


「神さんー! 一体、どこ行っとったんやあ!」


『ちょいとばかし、自然に溶け込んどってな。何せ、一旦契約解かれたけん』


 カザヒは、ふよふよ穂波に近付いてきた。


「どういうことな?」


 総一郎は不思議そうに首を傾げる。


『青葉の霊力が、吸い取られてしもてのう。青葉の霊力と、わしらの霊力はつながっとる。青葉を通じて、わしらの霊力も吸い取れるんじゃ。青葉はそれを阻止するために一旦、契約解除の詠唱したんじゃ。一時的な解除しかできんけどな』


『そいで、今の詠唱で契約が復活したんや』


 カザヒがまくしたてた後、ミナツチがゆっくりと付け加える。


『解除のはかなり荒っぽい詠唱じゃけん、巫女に大きな負担がかかるんじゃ。しかも、魂を追い出されたみたいでな。だけん、青葉はちょっと危ない状態じゃった』


 カザヒが説明を終えてから青葉を見やる。彼はまだ、眠り続けていた。


『もう少し、かかるやろなあ』


 ぽつりと、ミナツチが呟いた。







 カザヒとミナツチが現れてから三十分ほど経った時、ようやく青葉の目が開いた。


「青葉! 無事か!?」


 穂波が慌てて青葉の顔を覗き込む。


 青葉は起き上がり、ぼんやりとして虚空を見つめた。


「ばあちゃんに、会ったよ」


『大丈夫かいな』


 ミナツチが青葉に近付き、驚いたように顔を見合わせる。


『……ミツの力じゃ』


「ばあちゃんが、少しくれたんよ」


 青葉は夢のような場所で祖母に会ったことを、皆に詳しく話した。


 話を聞き終えた総一郎は感極まったように、目を潤ませていた。


『ほうな……死にかけたけん、ミツに会えたんじゃな』


『んだあ。懐かしいのう』


 カザヒとミナツチも先代の巫女を思い出したのか、優しい表情を浮かべる。


『ほんまにお前は、危ない状態やったんじゃ。死ぬ時は、最後にまっさらの状態になるって言うけん。魂が赤子に戻るんじゃと』


『んだ。ミツが助けてくれんかったら、どうなっとったやろな』


「……ほんまな」


 祖母が助けてくれなかったら、あのままどんどん魂は逆に成長して死んでしまったのだろうか。


 青葉は自分の手を見下ろす。祖母がここから、力を注ぎ込んでくれた。


『龍神は、お前を殺す気やったんじゃ。あやつを止めれるとしたら、お前だけじゃけん』


『霊力を吸い取ると共に、体から魂を追い出したんな』


 カザヒとミナツチによる説明を聞いて、それで自分の魂は迷っていたのかと、青葉は納得した。


「――小町は、どこな?」


 青葉は辺りを見回した。


「わからん。今、捜してもらっとるけど。行方不明や」


 穂波はうんざりした表情で答えた。


「みんな、聞いてな。小町を助けるには、小町の中におる神を消すしかあらへん」


 青葉は決然として告げた。


「そのせいで小町の心は壊れてしまうけど……心が戻るように、俺が小町をずっと見守る。だけん、小町の中の神を消す」


 凛とした台詞はまるで、祈りのように響く。


「協力してくれるえ……?」


 問えば、双つ神は何のためらいもなく頷いた。


『せやけど、お前大丈夫な? まだ霊力回復しとらんじゃろ』


『んだ。そいな霊力やったら、どうにもできん』


 青葉の霊力と双つ神の霊力はつながっている。双つ神の霊力に損傷がないのなら、いずれ青葉の霊力も戻るはず。しかし、悠長に回復を待っていられなかった。


「穂波、蘇芳」


 青葉に名を呼ばれ、二人は戸惑ったように眉をひそめた。


「ちょっとだけでええ。霊力、貸してくれるえ?」


「俺の霊力は濁っとるけん、いかんのちゃうんか?」


 蘇芳は肩をすくめたが、青葉は首を振る。


「大丈夫や。俺の中で混じって何とかなると思う。嫌なら、しゃあないけど……」


「別に嫌なんて言うとらへん」


 蘇芳は手を差し出し、青葉はその手を握る。


「俺はいつでも大歓迎! せやけど倍返しやで?」


 穂波がふざけたように言って差し出した手を、青葉はもう片方の手で握った。


 今から自分は、神殺しという恐ろしいことをする。小町の心ごと、神を殺すのだ。


 二人の霊力が、青葉の内に満ちる。これは一時的なもの。自分の霊力にはならない、他人のものだ。


 祖母の霊力は魂の状態で受け取ったものだから、彼女の霊力は自分のものになるだろう。光枝の霊力は、いずれ青葉の霊力へと変化するはずだ。


「ありがと。神さん、行くえ……」


 青葉がベッドから降りようとすると、総一郎は心配そうに息子を見やった。


「小町ちゃんがどこにおるんか、わかるんな? 今、みんな捜してくれとるけど、一向に見付からんのやぞ?」


「…………多分、あそこや。村人は、あそこには勝手に入らんけん」


 その一言で、皆は青葉がどこのことを言っているのかわかったようだ。村人は神域である神の森は、捜索していないはず。


「一旦、家帰って支度する」


 青葉は、有無を言わせぬ口調で告げた。




 神の森に入り、しばらく歩くと開けた場所に出た。


 予想通り、湖のほとりに、小町が横たわっていた。苦しそうに眉を寄せ、腹を押さえている。


「小町」


 名前を呼ぶと、ぎくりとして彼女は起き上がる。


「青葉……」


「小町。今から言うこと、よう聞きな。俺は、お前の中におる神を消す。せやないと、死んでまうけん」


「……消す?」


「せや。でもな、神さんを消すと、同時にお前の心も壊れてしまうんよ」


「そう、なの」


 小町は何かを覚悟していたのか、思ったより落ち着いた反応を示した。


「心が壊れた私は、どうなるの?」


「正直、わからん。だけどな、約束する。俺がお前をずっと見守って、また心が戻るようにする」


 青葉が凜然として告げると、小町は微笑んだ。


「そう……。なら、私は生まれ変わるようなものなのね」


「……せやな」


「だったら怖くないわ」


 小町はゆっくりと立ち上がった。 


「きっと私、戻ってくるわ。青葉に会いに」


「うん」


 二人は、穏やかに微笑み合った。青葉は、幼き日に交わした約束を思い出す。


『小町、また会おな。ここで僕、待っとるけん』


『もちろんや。きっと戻ってくる。青葉に会いに』


 彼女が引っ越してしまうとわかった時、二人はこんな約束をした。


 この約束は守られた。だから今度の約束も果たせるはずだと、青葉は自分に言い聞かせる。


 急に小町の顔が歪み、彼女は呻き声をあげる。


「小町!」


「大丈夫……。私だって、このくらい押さえられるわ」


 小町は涙を零しながらも、笑った。


「この神さまも、哀しいのね。私にとても、似てるわ。……一旦、神さまと一緒に行くわ。そうして、戻ってくる。あなたを信じているから、任せるわ。青葉、やってちょうだい。早く! これ以上、抑える自信はないわ!」


 小町の周りに、攻撃的な蒼い光が溢れる。神が抵抗しているのだ。


 青葉は傍らの双つ神に頷きかけ、少し腰を落として手を交差させる。


「かぜふきて ひをあおり うまれしは カザヒさま みずしみて つちおこり うまれしは ミナツチさまと」


 これが青葉の知る、最強で最短の詠唱であった。


「あらぶりたまえ」


 これで、双つ神の荒魂を解放する。


「ふたつがみ!」


 カザヒとミナツチは光の玉に姿を変え、小町へと向かった。


「青葉、またね」


 それが最後の言葉だった。


 神と神がぶつかる反動が、大地と大気を震わせる。辺りは光に包まれて何も見えず、頼れるのは感覚だけだ。


 青葉は腕で目をかばいながら、衝撃を堪え続けた。そして、ふと一つの大きな気配が絶えたことを、感じ取る。


 神の死、そして小町の心の滅びを悟った青葉は、口を開いた。


「しずまりたまえ ふたつがみ!」


 力をこめて唱えると、カザヒとミナツチが元の姿に戻った。


 光が収まり、小町はゆっくりと倒れた。


「小町」


 傍らにひざまずき、彼女の頬に触れる。胸が上下しているのを確認して、青葉は心底安心する。


「……またな、小町」


 そして青葉は、佐倉小町に別れを告げた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る