第七話 あらみたま 2
*
穂波と蘇芳は空気の変化を感じ、青葉を見下ろした。眠っているはずの青葉の唇が、微かに動いて言霊を紡ぐ。
「つながれりたまえ ふたつがみ われともに ちをまもれ」
「神さんー! 一体、どこ行っとったんやあ!」
『ちょいとばかし、自然に溶け込んどってな。何せ、一旦契約解かれたけん』
カザヒは、ふよふよ穂波に近付いてきた。
「どういうことな?」
総一郎は不思議そうに首を傾げる。
『青葉の霊力が、吸い取られてしもてのう。青葉の霊力と、わしらの霊力はつながっとる。青葉を通じて、わしらの霊力も吸い取れるんじゃ。青葉はそれを阻止するために一旦、契約解除の詠唱したんじゃ。一時的な解除しかできんけどな』
『そいで、今の詠唱で契約が復活したんや』
カザヒがまくしたてた後、ミナツチがゆっくりと付け加える。
『解除のはかなり荒っぽい詠唱じゃけん、巫女に大きな負担がかかるんじゃ。しかも、魂を追い出されたみたいでな。だけん、青葉はちょっと危ない状態じゃった』
カザヒが説明を終えてから青葉を見やる。彼はまだ、眠り続けていた。
『もう少し、かかるやろなあ』
ぽつりと、ミナツチが呟いた。
*
カザヒとミナツチが現れてから三十分ほど経った時、ようやく青葉の目が開いた。
「青葉! 無事か!?」
穂波が慌てて青葉の顔を覗き込む。
青葉は起き上がり、ぼんやりとして虚空を見つめた。
「ばあちゃんに、会ったよ」
『大丈夫かいな』
ミナツチが青葉に近付き、驚いたように顔を見合わせる。
『……ミツの力じゃ』
「ばあちゃんが、少しくれたんよ」
青葉は夢のような場所で祖母に会ったことを、皆に詳しく話した。
話を聞き終えた総一郎は感極まったように、目を潤ませていた。
『ほうな……死にかけたけん、ミツに会えたんじゃな』
『んだあ。懐かしいのう』
カザヒとミナツチも先代の巫女を思い出したのか、優しい表情を浮かべる。
『ほんまにお前は、危ない状態やったんじゃ。死ぬ時は、最後にまっさらの状態になるって言うけん。魂が赤子に戻るんじゃと』
『んだ。ミツが助けてくれんかったら、どうなっとったやろな』
「……ほんまな」
祖母が助けてくれなかったら、あのままどんどん魂は逆に成長して死んでしまったのだろうか。
青葉は自分の手を見下ろす。祖母がここから、力を注ぎ込んでくれた。
『龍神は、お前を殺す気やったんじゃ。あやつを止めれるとしたら、お前だけじゃけん』
『霊力を吸い取ると共に、体から魂を追い出したんな』
カザヒとミナツチによる説明を聞いて、それで自分の魂は迷っていたのかと、青葉は納得した。
「――小町は、どこな?」
青葉は辺りを見回した。
「わからん。今、捜してもらっとるけど。行方不明や」
穂波はうんざりした表情で答えた。
「みんな、聞いてな。小町を助けるには、小町の中におる神を消すしかあらへん」
青葉は決然として告げた。
「そのせいで小町の心は壊れてしまうけど……心が戻るように、俺が小町をずっと見守る。だけん、小町の中の神を消す」
凛とした台詞はまるで、祈りのように響く。
「協力してくれるえ……?」
問えば、双つ神は何のためらいもなく頷いた。
『せやけど、お前大丈夫な? まだ霊力回復しとらんじゃろ』
『んだ。そいな霊力やったら、どうにもできん』
青葉の霊力と双つ神の霊力はつながっている。双つ神の霊力に損傷がないのなら、いずれ青葉の霊力も戻るはず。しかし、悠長に回復を待っていられなかった。
「穂波、蘇芳」
青葉に名を呼ばれ、二人は戸惑ったように眉をひそめた。
「ちょっとだけでええ。霊力、貸してくれるえ?」
「俺の霊力は濁っとるけん、いかんのちゃうんか?」
蘇芳は肩をすくめたが、青葉は首を振る。
「大丈夫や。俺の中で混じって何とかなると思う。嫌なら、しゃあないけど……」
「別に嫌なんて言うとらへん」
蘇芳は手を差し出し、青葉はその手を握る。
「俺はいつでも大歓迎! せやけど倍返しやで?」
穂波がふざけたように言って差し出した手を、青葉はもう片方の手で握った。
今から自分は、神殺しという恐ろしいことをする。小町の心ごと、神を殺すのだ。
二人の霊力が、青葉の内に満ちる。これは一時的なもの。自分の霊力にはならない、他人のものだ。
祖母の霊力は魂の状態で受け取ったものだから、彼女の霊力は自分のものになるだろう。光枝の霊力は、いずれ青葉の霊力へと変化するはずだ。
「ありがと。神さん、行くえ……」
青葉がベッドから降りようとすると、総一郎は心配そうに息子を見やった。
「小町ちゃんがどこにおるんか、わかるんな? 今、みんな捜してくれとるけど、一向に見付からんのやぞ?」
「…………多分、あそこや。村人は、あそこには勝手に入らんけん」
その一言で、皆は青葉がどこのことを言っているのかわかったようだ。村人は神域である神の森は、捜索していないはず。
「一旦、家帰って支度する」
青葉は、有無を言わせぬ口調で告げた。
神の森に入り、しばらく歩くと開けた場所に出た。
予想通り、湖のほとりに、小町が横たわっていた。苦しそうに眉を寄せ、腹を押さえている。
「小町」
名前を呼ぶと、ぎくりとして彼女は起き上がる。
「青葉……」
「小町。今から言うこと、よう聞きな。俺は、お前の中におる神を消す。せやないと、死んでまうけん」
「……消す?」
「せや。でもな、神さんを消すと、同時にお前の心も壊れてしまうんよ」
「そう、なの」
小町は何かを覚悟していたのか、思ったより落ち着いた反応を示した。
「心が壊れた私は、どうなるの?」
「正直、わからん。だけどな、約束する。俺がお前をずっと見守って、また心が戻るようにする」
青葉が凜然として告げると、小町は微笑んだ。
「そう……。なら、私は生まれ変わるようなものなのね」
「……せやな」
「だったら怖くないわ」
小町はゆっくりと立ち上がった。
「きっと私、戻ってくるわ。青葉に会いに」
「うん」
二人は、穏やかに微笑み合った。青葉は、幼き日に交わした約束を思い出す。
『小町、また会おな。ここで僕、待っとるけん』
『もちろんや。きっと戻ってくる。青葉に会いに』
彼女が引っ越してしまうとわかった時、二人はこんな約束をした。
この約束は守られた。だから今度の約束も果たせるはずだと、青葉は自分に言い聞かせる。
急に小町の顔が歪み、彼女は呻き声をあげる。
「小町!」
「大丈夫……。私だって、このくらい押さえられるわ」
小町は涙を零しながらも、笑った。
「この神さまも、哀しいのね。私にとても、似てるわ。……一旦、神さまと一緒に行くわ。そうして、戻ってくる。あなたを信じているから、任せるわ。青葉、やってちょうだい。早く! これ以上、抑える自信はないわ!」
小町の周りに、攻撃的な蒼い光が溢れる。神が抵抗しているのだ。
青葉は傍らの双つ神に頷きかけ、少し腰を落として手を交差させる。
「かぜふきて ひをあおり うまれしは カザヒさま みずしみて つちおこり うまれしは ミナツチさまと」
これが青葉の知る、最強で最短の詠唱であった。
「あらぶりたまえ」
これで、双つ神の荒魂を解放する。
「ふたつがみ!」
カザヒとミナツチは光の玉に姿を変え、小町へと向かった。
「青葉、またね」
それが最後の言葉だった。
神と神がぶつかる反動が、大地と大気を震わせる。辺りは光に包まれて何も見えず、頼れるのは感覚だけだ。
青葉は腕で目をかばいながら、衝撃を堪え続けた。そして、ふと一つの大きな気配が絶えたことを、感じ取る。
神の死、そして小町の心の滅びを悟った青葉は、口を開いた。
「しずまりたまえ ふたつがみ!」
力をこめて唱えると、カザヒとミナツチが元の姿に戻った。
光が収まり、小町はゆっくりと倒れた。
「小町」
傍らにひざまずき、彼女の頬に触れる。胸が上下しているのを確認して、青葉は心底安心する。
「……またな、小町」
そして青葉は、佐倉小町に別れを告げた。
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