第七話 あらみたま


 穂波は看護師の叱責をものともせず、病院の廊下を走って病室に辿り着いた。


 ばんっとドアを開けると、総一郎が振り返る。


「穂波」


「おっちゃん! 青葉が倒れたって、ほんまかいな!?」


 怒鳴るように尋ね、穂波はベッドに横たわる青葉を発見して青ざめた。


「青葉――」


 青葉の腕には点滴が付けられており、その目は頑なに閉じられていた。


 穂波は一旦大阪に帰ったのだが、総一郎から電話をもらって、慌てて戻ってきたのだ。


「いつ、倒れたんや?」


「夜中に、物音がしてな。二階に上がったら、青葉が倒れとった……」


 総一郎はゆううつそうに、ため息をついた。


「原因はわからんけど、意識が戻らんのや」


「神さんは?」


 穂波は周りを見回した。


「わからん。神さんも、見当たらへん。俺は霊力ないけん、お前にならわかるんちゃうかと思ってんけど……」


「すりーぷ、感じるか」


 穂波はすりーぷに尋ねたが、すりーぷは首をひねっただけだった。


『わからない~。どこに行ったんだろ~』


「こまっちゃんは、まだ病院におるんか?」


「それがなあ……」


 総一郎は渋面を作った。


「行方不明なんや」


「何やて!?」


 穂波はますます青ざめ、すりーぷと顔を見合わせた。嫌な想像が、頭の中を駆け巡る。


「村のみんなが捜してくれとるけど、まだ見付からん。もう、どうなっとるんやろな」


 眠っていないのか、総一郎の顔には疲労の色が濃かった。


 二人が押し黙った時、病室の扉が開いて派手な青年が入ってきた。


「蘇芳やん」


 穂波は驚いたように、蘇芳を見やった。


「何や、穂波か」


「何やって何や。お前こそ何や」


 昔から、あまり相性の良くない二人であった。


「青葉が倒れたって聞いたけん、見舞いにきた。何があったんや」


「俺もさっぱりわからん。いきなり、倒れたらしくて。しかも神さんも行方不明。お前、何か知っとったりせんか?」


「知らん。まあ、あの女のせいやとは思うけど」


 蘇芳の一言に、穂波は眉をひそめた。


「あの女?」


「佐倉小町やったっけ? だけん、あいつを村に置くな言うたのに」


「何でそんなこと言うねん」


「悪いもん、持っとるってわかったけん」


 蘇芳は肩をすくめてから、青葉を見下ろした。


「ほんまアホやな、青葉は」


 言葉とは裏腹に、声には心配そうな響きが宿っていた。


「霊力が、なくなっとるな」


「……お前も、わかるんか。蘇芳」


 穂波が確認すると、蘇芳は小さく頷いた。


『多分、吸い取られたんだね~』


 すりーぷが、推測を口にした。


「穂波。ところでそれ、何や」


 蘇芳はすりーぷが気になったらしく、指差して尋ねた。


「ん? すりーぷっていう、眠り神。俺、この神さんの覡やってるねん」


「へえ……」


『くすぐった~い』


 気になるのか、蘇芳はすりーぷをつつき始めた。


「やめんかい」


 穂波が止めると、蘇芳はあっさり手を引っ込めた。すりーぷは、まだくすぐったそうにしている。


「双神の末裔が、集まったな」


 総一郎はふたりを見比べて、苦笑した。


「ほんまやなあ。これで、おとんがおったら勢揃いやけど」


 穂波も少しだけ笑った。けれども、気分は浮かない。双神の中心を為す存在である巫女が倒れ、双つ神は行方知れず。大きなものが欠けている状態だ。


「穂波。何でこいなことなっとるか、わかるんか」


 総一郎は表情を引き締め、問うた。


「……多分やけどな。こまっちゃんの中におる神さんがこまっちゃんを乗っ取って、青葉の霊力吸い取ったんやと思う」


 穂波の推理に、すりーぷが賛同するように頷いた。総一郎はそれを聞いて、心配そうに、眉をひそめた。


「霊力を吸い取られたんやったら、青葉はどうなるんな」


「わからん……」


 穂波は椅子に腰かけ、うなだれた。


 青葉の霊力がなくなったのだったら、双つ神はどうなってしまったのだろうか。


「青葉が起きるの、待つしかあらへん」


 穂波はそう呟いて、眠り続ける従兄弟を見やった。







(ここは、どこやろ)


 青葉は空を仰いだ。


 真っ青な空。青々とした草原。さらさら流れる、清流。美しいところだった。


 妙に目線が低いと思って川の水面に自分の姿を映すと、子供が映った。


 つやつやとした黒髪に縁取られた顔は、双神家らしくきりりとして。だけど、とてもあどけなくて。


「俺、子供やったっけ……?」


 青葉は手で顔を押さえる。


(ああ、せやせや。まだ俺、六歳や。僕、六歳なんや)


 段々と口調も思考も記憶も、子供に戻る。


「父ちゃん……? お母さん……?」


 急に心細くなって、青葉は辺りを見回して家族を呼ぶ。


「おばあちゃん……?」


 すると、横に誰かが現れた。


「お姉ちゃん、誰?」


「お前こそ誰じゃ」


 その少女は凛として、揺るぎない瞳を持っていた。誰かに似ているような気がする。


 つややかで長い黒髪をひるがえし、少女は歩き出す。


「待って。なあ、ここどこな? 僕のお母さんと父ちゃん、どこな?」


「私は知らんぞ」


 少女は呆れたように肩をすくめ、木の根元に座った。


「お姉ちゃん、何しとるんな?」


「修行じゃ。私は巫女じゃけん」


 ようやっと、少女は顔を綻ばせる。途端に優しそうになり、青葉は彼女に親近感を覚えた。


「僕のおばあちゃんも巫女なんやよ」


「ほうな。お前は?」


 問われ、青葉は何かを思い出しそうになる。


「僕は……次の巫女……」


「ちゃうやろ」


「え?」


 何が違うのだろうか。祖母が今の巫女で、自分は次の巫女のはず……。


「呼ぶ声が、聞こえんな?」


「呼ぶ……声?」


 青葉はそっと耳をすませる。しかし、何も聞こえなかった。


「死にかけて迷って、こいなとこ来てしもたんじゃな」


「こいな、とこ……?」


 青葉は改めて、周りの景色を見る。誰かが向こうに立っていた。赤茶色の髪を持った、青年が。


「もう、迎えにきたのう。青葉、戻るんよ。みんなが待っとる」


「みんな?」


「青葉。巫女は辛いか」


「わからへん……」


 いきなりの問いに、青葉は正直に答えた。


「教えといたる。たまに、辛いぞ。神と人をつなぐ巫女は、とても哀しい決断を迫られることがある。……だけん、その時はな」


 少女はそっと、青葉の手を握る。


「一人やないって、思い出し。周りの人々や祖先が……みんなお前を、見守ってくれとるよ」


 少女は、優しく笑った。愛しい子供を見守るような、優しさがにじんでいる。


「そのことを忘れんと、立ち向かい。ほら、わしの力を少しやる」


 体に、清冽な霊力が注ぎ込まれる。それと共に、一気に少女が老いた。


「立派になったな、青葉」


「ばあちゃん……」


 確かめなくてもわかる。自分が元の姿に戻ったのだと。


「わしは、もう行く。ここは生者の世界と死者の世界の狭間。わしがここに来れたんは、お前がここで迷とったけんじゃ。さあ、もう道はわかるんな」


「うん。ばあちゃん、あのな」


 言いたいことがたくさんあった。なのに、それから先が言えない。


「もう時間がないぞ、青葉。もう一度、契約をするんじゃ」


 青葉は少し迷ったが、詠唱を紡いだ。


「かぜふきて ひをあおり うまれしは カザヒさま みずしみて つちおこり うまれしは ミナツチさまと」


 祖母は笑顔を浮かべ、こちらに背を向け歩き出した。髪の赤い青年が、再び若返った彼女を待っている。


(そういや、『じいちゃんは穂波より赤い髪やった』って親父が言っとったな……)


 最後に一度だけ、先代の巫女――双神光枝みつえは青葉を振り返って、微笑んだ。


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