第六話 たつのかみ 2



 青葉は穂波の持ち帰った和綴じ本や巻物を、ひたすら読み続けた。


 さすがに眠くなって目をこすった時に、襖の開く音がした。


「青葉……」


 小町が、遠慮がちに立っていた。


「小町。どしたん?」


「まだ、読んでるの?」


 そっと、小町は座って青葉の手元を覗き込む。


「ん。もう、十二時か」


 青葉は大きく伸びをして、壁時計を見やった。夢中になっていたせいで、時が経つのも忘れていたようだ。


「小町、起きてて大丈夫な?」


「ええ。青葉、本当にありがとうね。心配してくれて、嬉しいわ」


 まるでそれが別れの言葉のように思えて、青葉は眉をひそめた。


「私ね、後悔してないわ。ここに来たこと。青葉には迷惑だったかもしれないけど」


「迷惑なこと、あらへんよ?」


 小町の真意を測りかねて、青葉は首を傾げた。


「私ね、青葉にもう一度会いたかった。手紙を私が止めたのは……青葉やここのことを忘れたら、東京に馴染める気がしたからよ。でも、いつまで経ってもここが、青葉が、懐かしかった……」


 涙はないのに、小町は今にも消えてしまいそうなほど、儚く見えた。


「目を閉じれば、浮かぶのは懐かしい田舎の風景だった。ここで、辛いこともあったわ。その記憶を封じるほどに、辛いこともあった。でも、私は幸せだったのよ」


 小町の声が、震え始める。


「あっちで幸せでないのは、私が頑張ってないからだって思って……甘えてるからだって思って……頑張ったの。でもその内に、何を頑張れば良いかわからなくなって――」


「小町」


 静かに名を呼び、顔を覗きこむ。小町は無表情だった。


「私、何を言ってるのかしらね。辛い辛いって、言うばかりで……」


「小町。辛いって言うことは、悪いことちゃうよ」


 青葉は小町の頬に触れた。


「いっつもいっつも、頑張らんでもええんよ」


 青葉は、ふわりと顔を綻ばせた。


「小町はずっと、頑張っとってんもんな。頑張り屋さんやもんな。そら、疲れるわな……」


「うん……」


 小町は何かをこらえるように、目を伏せた。


「立ち止まってもええ。休んでもええ。誰かに頼ってもええ。一人で、ずっと頑張らんでもええんよ」


「うん……」


「神さんのことも、小町のせいちゃうよ。これは小町の両親が、ほんまにしたらいかんことしたせいやけん」


「したら、いけないこと?」


 小町は眉をひそめ、青葉を見上げた。


「神さんは、無理に封じたらそれだけ歪むんよ。小町の神さんは元々、荒ぶる神やったらしいけん、抑えられてしもて暴走したんやな」


「荒ぶる神って、祟り神ってこと?」


「ちょっとちゃうな。荒ぶる神は、荒魂あらみたまのことや。神さんは大体、色んな顔持っとってな。荒魂と和魂にぎみたまに分かれることが多い。荒魂は神さんの、荒々しくて恐ろしい面を表しとる。和魂は反対に、穏やかで優しい面や。カザヒさんとミナツチさんは、普段は和魂なんよ」


 青葉の説明に、小町は納得したように頷いた。


「そういえば、前に聞いたわね。ここの神さまだけに当てはまる話じゃないのね」


「せやな。民間信仰では、こういう区分けされることが多い。小町の神さんもまさに、二つの面を持つ神さんやったんや。カザヒさんとミナツチさんとは反対に、小町の神さんはいつも荒魂やったらしい。だけん、巫女の体で鎮めて和魂にしたんな。やのに、無理矢理封じてしもたけん……恨んどるんかもしれん」


 ただでさえ力を抑えられるというのに、更に無理に封じられたのだ。神の怒りは計り知れない。


「小町、もう寝えな。小町が弱ったらそれだけ、神さんは小町を乗っ取ろうとするけん。わかった?」


「――ええ」


 小町は立ち上がってから、微笑んだ。


「青葉も、寝たら?」


「うん、俺もすぐ寝るけん。何かあったら、すぐ母さんに言うんやよ」


 念のため、母に小町と一緒に寝てもらうよう頼んだのだった。


「おやすみなさい」


「おやすみ」


 小町を見送ってから、青葉はもう一度文机に向き直った。


 背後に気配を感じて振り向くと、カザヒとミナツチが現れていた。


「カザヒさん、ミナツチさん……小町、助からんかもしれん……。一体、どうしたらええんや!」


 怒りに任せて、青葉は机を拳で叩いた。


『何が書いてあったんじゃ』


 カザヒに問われ、青葉はうつむく。


「神にふさわしくないと神が判断した場合は、神が巫女を食い破って出てくるって」


 双つ神は不安そうに、青葉の肩にそれぞれ手を置いた。


「いかんかった場合、体に印が出るらしい。多分、出てくるのに必要な力を得るために神は霊力を吸収しとるんや」


 カザヒとミナツチは、絶句していた。


「明日調べて、出てたら……」


『神を消すしかあらへん。でも、こまっちゃんの中におる神をどうやって消すんじゃろ』


『んだ……』


 その後も、青葉と双つ神は不安そうな顔で、話し合いを続けたのだった。




 翌日、青葉は小町と穂波に説明した。


「体に印が出てたら、神が小町を巫女と認めてないってことになる。だけん、確かめてええんな?」


 〝小町の体を食い破って出てくる〟という点だけは、伏せておいた。


「確かめるって、どないするんや」


 驚いて口を開けたのは、穂波だった。


「神さんに見てもらう。悪いけど、脱いでな」


 肩をすくめ、青葉は後ろに控えるカザヒとミナツチを示した。


「わかったわ……ええと、どこで……?」


 小町は少し恥ずかしそうに、尋ねた。


「小町の部屋でもええし、隣の部屋でもええよ。さて、神さん。どっちがするんな?」


 青葉が問うと、ミナツチが挙手した。


「……せやな。ミナツチさんの方がええな」


『どういう意味じゃ』


 青葉の呟きに、カザヒは傷付いたようだった。


『水の力やからなあ。わしのが、適任やろ』


 ミナツチの言葉に、カザヒは『なるほど』と納得していた。


『行こか、こまっちゃん』


「はい」


 ミナツチと小町は、一旦部屋を出ていった。


「しかし、話が大事になってきたなあ」


 穂波がため息をついたところで、青葉は話を切り出した。


「小町には言ってへんけど、えげつない話があるんよ……」


「え? 何の話や」


 ぽかんとして、穂波は聞き返す。青葉は少しためらいながら、答えた。


「……神さんが小町を巫女にふさわしくないって判断したら、食い破って出てくるって……」


「つまり、こまっちゃんは」


「死んでまう」


 言い辛すぎて、青葉は唇を噛んだ。


「その前に、神さんを消せば助かるとは思う」


「まあ、もう祟り神になってしもとるようなもんやからな」


 穂波が憂い顔を浮かべた時、ミナツチと小町が帰ってきた。


「ミナツチさん、どうやった?」


 青葉が慌てて尋ねると、ミナツチはゆっくり首を振った。


『印みたいなんは、何もなかった』


 たちまち、その場にホッとした空気が流れる。


『ただなあ――』


 ミナツチが何か言いかけた時、小町がいきなりうずくまった。


「小町?」


 小町に駆け寄った青葉は、彼女の浮かべる苦悶の表情に驚愕した。


「小町!」


「痛い……!」


「どしたんや! 小町!」


 青葉が怒鳴るも、小町はいきなり倒れこんでしまった。




 医師の言葉に、一同は驚愕した。


「妊娠していらっしゃいますね」


 当の小町は、病院のベッドで眠っている。


「では、また来ます」


 医師は一旦、病室を出ていってしまった。


『これが、わしの言いかけたことやった。多分な、神がこまっちゃんを認めんかった印が、これなんちゃうやろか』


 ミナツチの一言に、皆は顔を見合わせる。


「つまり、妊娠が印?」


『せや。目に見える痣とか刺青やなく、こういう症状のこと言っとったんちゃうん?』


「なるほどな」


 ミナツチに、青葉は頷きかける。


『食い破るってのも、比喩じゃな? 神は〝子供として〟こまっちゃんの体から出るんじゃな』


 カザヒがゆううつそうに、推測を述べた。


「つまり、こまっちゃんのお腹におるんは、神さんってことか」


 穂波の言葉は、静かな病室に、やけにくっきりと響いた。


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