第五話 かざぐるま 2
*
青葉はぬるくなったお茶を飲み干してから、口を開いた。
「神さんやて?」
「せや。でも、あんまり詳しいことは聞けんかってん。何せ、それを封印したんは、御年九十九歳の婆さんやってな。もう、ボケてしもとって」
穂波は深々と、ため息をついた。
「ほな、すりーぷの記憶見てみて。実際に聞いた方がええやろ。神さんも、お前を通して見れるから」
そう言って穂波は、すりーぷに頷きかける。すりーぷは、ふよふよ飛んで青葉の額に手を当てた。
『あなたは段々眠くな~る』
「記憶の再生が終わったら目が覚めるから、すりーぷに任し」
青葉の戸惑いを見抜いたかのように穂波が助言したので、青葉は素直に目を閉じた。
ぼんやりとした視界が、段々と色味を増していく。質素で古い、小さな部屋。昔ながらの日本家屋で、囲炉裏がしつらえられていた。
正面にはかなり高齢と思われる老婆が座していて、斜め下には穂波が座っている。
(ほうな、これはすりーぷの視点な……)
青葉がそれを悟った時、穂波が怒鳴った。
「ばーあーちゃん! 聞こえるかー!?」
穂波の声にも反応せず、老婆は膝の上の猫を撫でている。
「かわいい猫やねえ」
「猫のこと、言っとらんよー!」
「かわいいと思うやろ?」
「あかんわ!」
穂波はがっくり、肩を落とした。
老婆の優しげな表情を、囲炉裏の火が照らす。見ただけで、相当な霊力の持ち主だとわかった。
「すみませんねえ」
障子を開けて、女が入ってきた。
「おばあちゃん、この頃すっかりぼけてしもて。耳も、遠うてね」
「えーと」
穂波は彼女に見覚えがなかったらしく、首を傾げた。
「孫娘です。兄さんから、話聞きました。双神穂波さん、お茶どうぞ」
穂波は前に置かれた茶菓子とお茶に恐縮して、「どうも」と頭を下げる。
「いきなり来てしもて、すみません」
「いえ、大丈夫ですよ。私、昔からよくおばあちゃんの傍におったんで、何かお役に立てるか思たんですけど」
「ありがとうございます。あのですね、佐倉って姓に覚えはありますか?」
穂波は遠慮がちに尋ねた。彼女は見たところ二十代なので、覚えている可能性はかなり低いだろう。
「すみません……」
案の定の答えが返ってきた。
「おばあちゃん、たまにしっかりしはるんで、もうちょっと待ってもらえますか? ……おばあちゃん!」
孫娘は、祖母を優しく呼ぶ。
「何ね、
「
苦笑して、清乃というらしい女性は穂波の方を向く。
「ばあちゃん! 佐倉って名前、覚えとるかー!?」
穂波がもう一度叫ぶと、老婆は嬉しそうに頷いた。
「猫はええよ」
「だから、猫やなくて!」
穂波は苛立ったように、頭を掻きむしった。
「ちょっと前まではしっかりしとって、色んな心霊関係の相談に乗っとったんですけどね」
「そうですやろなあ。封印もできるなんて、すごすぎるで、ばあちゃん」
褒めてみたらどうかと思ったが、老婆は返事もせずに猫を撫でるだけだ。
「佐倉小町、覚えないかなあ……」
すると、さして大声を出したとも思えないのに、老婆は反応した。
「……こまち……」
「え? ばあちゃん、思い出したんか?」
穂波は思わず、身を乗り出した。
「かわいそうに……かわいそうになあ……」
老婆の頬には、透明な涙が伝っていた。穂波は眉をひそめ、老婆に近付いて肩を掴む。
「何が、あったんや?」
「かわいそうな子や」
老婆の瞳に、知性が宿っていた。
何と凛々しい表情なのだろうか。
「あたしが封じたんや。あの子の中におった、神を。反対したのに、両親はしつこく願ってなあ……。封印しても、ええこと一つもあらへん言うたのに……。せんかったら、育てられへん言うてなあ」
まるで自分のことのように哀しげに、老婆は涙を流し続けた。
「何も、ええことないのになあ……かわいそうになあ……。あたしを脅してまで、両親は封印させたんや」
「な、何やて――? 神を封じたやって? 脅した、やって?」
「神を封じるなんて、普通の方法やったらできへん。だから、あたしは……あの子の魂の一部を削って、それを封印の楔にしたんや」
「魂の一部! それで、依頼主は、佐倉小町の両親でええねんな!?」
穂波は慌てて問いを口にしたが、老婆の目はまた虚ろになっていた。ただ、涙だけが依然として流れている。
「猫はかわええなあ……」
穂波はがっかりするあまり、横に倒れてしまった。
「ドンマイ、俺……」
「大丈夫ですか?」
清乃が、穂波の顔を覗き込む。
「大丈夫です。あー、もうちょっとやったのに! でも、結構大事なこと聞けたな」
一人でぶつぶつ呟いていると、清乃が口を開いた。
「あの……今ので、思い当たることがあったんです。おばあちゃん、ぼける前まで思い出したように時々〝かわいそうに〟って言っとったんです。したらあかんこと、してしもた言うて。そのこと、ちゃいますやろか?」
「したら、あかんこと……」
たしかに今の口ぶりでは、封印してはいけなかったものを封印したように思える。
「脅されて、言うてたな。うん、それや思います」
「だけどおばあちゃんが言ってた名前は、
「立川やって? 佐倉やないんか……あ、でも」
穂波は指を鳴らした。
「それ、母方の苗字かもしれんな! ありがとさん!」
穂波は清乃に礼を述べてから、老婆と目を合わせた。
「おばあちゃん、ありがとな。こまっちゃんのことは、任してええから」
また老婆の目に知性の光が戻ったと思ったのは、気のせいだったのだろうか。
いきなり現実に引き戻され、青葉は驚いたように目を見開いた。
「おかえり、青葉」
穂波が少し哀しげな表情で、笑ってみせた。
「こまっちゃんは、予想以上にえらいもん背負ってしもとるんや。それで立川って、調べてみたんや。神を封じたとか言うてたから巫女筋なんやと思うけど、そういった家の話がなかなか出てこんくてな。秘密主義やからか、滅びてしもたからか……」
「滅びた、やて?」
青葉は掠れた声で、聞き返した。
「つまり、こまっちゃんが最後の末裔って場合やな。せやったら、調べてもわからん理由になる。本家が、滅びてしもとるんやったら」
「せやったら、最悪な……」
小町に封じられたものを知るのが、小町の母だけになってしまう。
「それに……あのおばあさんは、魂の一部を楔にした、言うてたな。それってやっぱり」
青葉は呟き、双つ神を振り返った。双つ神にも青葉を通してすりーぷの映像が伝わっていたようで、うんうん頷いた。
『ほうじゃろなあ。わしらが消した、幼少期のこまっちゃん。あれが楔じゃったはず』
カザヒの一言に、青葉は食いついた。
「でも! あの小町は、小町に悪影響で……」
「まあ待ち、青葉。おそらく、幼少期のこまっちゃん……それ自身は、悪いもんやなかった。むしろ、封印の楔。ただの、魂の一部や。でも、こまっちゃんは辛い記憶をその子に押しつけて、忘れとった。本来、善悪がないものでも、そら歪んでいくで」
穂波の意見を聞いて、青葉は「せやな……」と頷いた。繰り返し見せられる辛い光景と言葉を思い出すだけで、胸が痛くなる。あの子も元々、小町の一部なのだ。傷付いて、歪んでいっただけなのだ。
だから、青葉たちは彼女を消した。封印の楔とも知らず。
『哀しい話やけど、あの後、こまっちゃんはまたここに来るって決めた。あの決断は、内なる神が囁いたはずや』
ミナツチは静かに、告げた。青葉は思わず、唇を噛む。
ここは神気に満ちた土地。小町の中に眠る神は、ここでなら目覚められると思ったのだろう。
しばし、一同黙り込んでしまったが、沈黙に耐えかねたように、穂波が口を開いた。
「引き続き立川のことについて調べるつもりやけど、一度こまっちゃんの両親に聞いた方がええかもしれんな」
「せやな。小町が嫌なんやったら、俺が聞いてきてもええし」
「ただ、答えてくれるかがなあ……。脅してまで封印させたって、よっぽどやで。あー、こまっちゃんの両親は何考えとるんや!」
穂波は舌打ちして、残った缶ビールをあおった。
「何としても、解決せないかんな」
決意を胸に、青葉は目を伏せた。
「ん? 電話鳴っとるな」
「ほんま。ちょっと、出てくる」
穂波の指摘で気付き、青葉は腰を上げた。電話機のところまで行き、受話器を耳に当てると、奇怪な音が聞こえてきた。
「もしもし?」
『――青葉……助けて……』
ぶつりと、何の前置きもなく電話が切れる。
「小町……?」
音が悪かったので確かではないが、おそらく小町の声だった。
『どしたんじゃ、青葉』
カザヒが、心配そうに青葉の顔を覗き込む。
「変な音と一緒に、〝助けて〟って小町の声で。小町に、何かあったみたいや。封印がまた、解けたんかな」
『有り得るぞ。青葉、こまっちゃんが行った島の場所わかっとるんな?』
カザヒの質問に頷き、青葉は受話器を置いて、穂波の待つ部屋に戻った。
「あの声の様子は、ただごとやあらへん。行ったらな。――穂波、一緒に来てくれるえ!」
「え?」
もう一本缶ビールを開けようとしていた穂波は、きょとんとして静止した。
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