第四話 のろいいし 11



 もうすぐ家に着く、というところで小町が足を止めた。


「小町……?」


「青葉。悪者にはならないで」


 小町の表情は静謐せいひつな哀しみを帯びて、儚げに見えた。


「私のせいで、青葉が悪く言われるのは嫌なの。だから、あんな風に言うのはやめて。反感を買っちゃうわ」


「俺のことなんか、気にせんと。大体、間違っとるのはあっちやよ? 小町は誰も殺してないし、出ていく必要なんかあらへん。このまま負けたら、あの人らにとっても小町にとっても嫌なことしか残らんのやけん」


 青葉がそう言って笑ってみせると、双つ神もこくこく同意していた。


 だが冴えない顔をしている小町を見て、青葉は勘付いた。


「小町。今日、学校で何をもらって来たん。出し」


 青葉に突如命じられて小町は驚いたようだったが、おずおずと鞄から封筒を出した。


 〝退学届〟と書かれた封筒を受け取った瞬間、青葉は大仰なため息をついた。


「もらってきただけよ」


「それで、出して黙って出てく気やったんな?」


 問われ、小町はばつが悪そうにうつむく。


「さっき青葉と話す前までは、そうしようと思ってた……」


「ほんまに、アホちゃうん……。何で、一人で抱え込むんよ」


「私、青葉に……迷惑かけたくなかったの。ただでさえ、私は青葉には悪影響って聞いたから――これ以上、青葉に迷惑なんてかけられなくて……」


「悪影響?」


 先ほど、双つ神には悪影響だとたしかに言った。しかし、〝自分に〟と果たして言っただろうか?


「それ、誰に聞いたんな?」


「蘇芳さん……」


「あいつ、そいなこと言っとったん? 小町、蘇芳の言葉を全部信じたらいかん。あいつはほんまはええ奴なんやけど、小町のことが気に入らんみたいやけん……」


「蘇芳さんは、青葉を心配しているんじゃないかしら。だから、私をこんなにも嫌うんじゃない?」


 双神に悪影響だとわかるがゆえに、村の守護者であった長内の血が騒いで反発するのか……と青葉は納得した。


「たしかに、それもあると思うけど」


 青葉は、蘇芳との会話を思い出しながら頷いた。


「長内のじいさんのことが、一番納得いかんのやろな」


 今では、蘇芳は小町のことを憎んでいると言っても過言ではない。


「そうでしょうね――よりによって、たった一人の目撃者が私だものね」


「蘇芳も、心の中ではわかっとると思う。じいさんが、小町に殺されたわけあらへんって。ただ、整理が付かんけん、意地張ってしもとるんやろな。じいさんは善人やなかったけど、たしかに蘇芳の祖父なんよ。血ってのは、厄介なもんやな……」


「……わかるわ」


 そこでふと、青葉は話題を変えた。


「小町。小町の母さんは、巫女やなかった?」


「いえ」


 青葉の突然とも言える問いに、小町は首を振る。


「母さんは、そういうこと……霊とか神さまとか信じない方だから、それはないと思うわ」


「ほうな。ああ、そういや親父が言っとったな。佐倉の家は宗教嫌いで、村の行事にも全く参加せんかったって……」


 心の奥底ではまだ疑問がわだかまっていたが、今はこだわるわけにはいかない。


「小町は多分、巫女筋や。霊力が、普通では考えられんくらい強いけん。しかも、それが封印されとる」


「封印……さっきも言ってたわね。それって一体、何なの?」


 小町は困ったように、首を傾げた。


「小町が作った陰、覚えとるやろ。封印の影響で、あれが生まれたんかもしれん」


「封印の影響で、って?」


「小町は、捨てたい心を知らん内にその封印されとる場所に封じようとしたんちゃうやろか。それで、陰を消したらそれが取っかかりになって、封印が解け始めたんかも」


 青葉の推理に、背後の双つ神が満足げにこくこく頷く。


「よくわからないけど……私の封印が解け始めたから、霊力が現れたってこと?」


「せや。だけん封印を直すか、小町の親戚から霊力を制御させる方法を学ぶか、せないかん。小町の霊力は、暴走しとるけん……」


 青葉の説明に、小町は不安そうに目を伏せた。


「親戚を頼るのは、怖いの……。母さんはああいう人だし、祖父以外とは縁を切っているようなの」


 小町の告白は、意外なものだった。


 小町はかつて、お盆は母方の実家だという東京に帰っていた。その実家に、祖父以外いなかったというのは不思議だ。


「私も、詳しくは知らないの。聞いても、教えてくれなかったし。ただ、私は母方の祖母に会ったことはないのよ。父方は、早くに死んでしまったそうだから、こちらも会ったことはないのだけど」


 だとすると、小町の母方の祖母が巫女だった可能性が高い。


「ごめんなさい、意気地なしで。でも、怖いの。両親に再び会うことを思うと、足がすくむの」


「――ええよ。せやったら、封印直そな」


 青葉は、安心させるように小町の頭を軽く叩いた。


「その前に、やることがあるけん。小町も、手伝ってな」


「え、ええ」


 小町は戸惑いつつも、小さく頷いた。




 巫女装束を着た青葉は、月が映り込んだ湖を見下ろす。


 巫女装束といっても、双神の巫女がまとう装束は、簡素な白い着物である。左前ではないものの、死者の着物によく似ている。これは異界とのつながりを深めるため、敢えてのことだ、と祖母が語っていた。


 神の森の中にある、異界とこの世をつなぐ湖。ここは様々な神事を行う場所でもあった。


 立ち会っているのは、村人全員だった。


「悪霊や事件のせいで村の空気が濁ってしもたけん、今から禊を行います」


 青葉は声を張り上げた。


「せやけどその前に、話があります。ここにおる佐倉小町を人殺しやと決め付ける人が、村におります……」


「真実を言って、何が悪いんや?」


 蘇芳が進み出た。


「真実やあらへん。お前もわかってるはずや、蘇芳」


 青葉は哀しそうに眉をひそめる。


「小町が嘘ついてへんこと、ここに証明します」


 声を張り上げた青葉に、総一郎が短刀を渡す。それを受け取り、青葉はミナツチに頷きかける。


「ミナツチさん、よろしく」


『んだ』


 ミナツチの体が青い燐光を帯び、その燐光は湖にも移った。


「これで、嘘をついた者の血が水面に落ちたら、水面が赤く染まるようになりました」


 淡々と説明してから、青葉は自分の指を短刀で切り付けた。


「双神青葉は、双神の巫女ではない」


 明らかな嘘と共に、水面に血を落とす。


 水面が揺らいでから、落とされた血の色が徐々に広がっていった。


「ひい」


 村人が息を呑むのも仕方がないほどはっきりと、湖は鮮血の色に染まった。


「双神青葉は双神の巫女である」


 今度は真実を言ってから、血を落とす。すると、先ほどまで血の色に染まっていた水面は、一気に清らかな青色になった。


「すごいなあ」


 思わず、村人から感嘆の声があがる。


 青葉は微笑んで、小町の腕を掴んだ。


「我慢してな」


 囁き、小町の指を少しだけ切る


 小町は緊張で震えながら、水面に指をかざした。


「私は、長内のおじいさんを殺していない」


 言葉と共に、血が水面にゆっくり落ちる。だが、水面に変化はない。


 緊張のあまりにか、小町が震えだした。


「大丈夫な?」


「ええ……。でもどうして、青葉の時と違ってこんなに時間がかかるの?」


 小町が唇を噛み締めた時、青葉は告げた。


「色が、変わっとらん。これで、小町の真実が証明された」


「え? あ、そっか。青葉が真実の色に染めたから……そのままだったら良いってことなのね。染まり直すとばかり思ってたわ……」


「今のを見た上で、小町を責める奴はおらんやろな?」


 青葉が告げると、村人たちは戸惑ったように顔を見合わせ始めた。


 今の証明を疑うということは、双神の巫女……ひいては双つ神を疑うということだ。


「……わかった。嘘やなかったようやな」


 蘇芳が、吐き捨てるように言った。


 一番初めに彼が反応したことが意外で、青葉も小町も目を見開く。


「じゃ、帰るわ」


「待ち、蘇芳」


 踵を返した蘇芳を、青葉は引き止める。


「禊にも、立ち会ってくれるえ? 長内のじいさんの弔いもこめて、禊さしてもらうつもりやけん」


「――弔い? 双神を恨んだおじいを、弔うんか?」


「恨んだとか、関係あらへん。弔うのは、双神の仕事やけん」


 青葉は表情を変えず、蘇芳を見据えた。


 双神の巫女と、長内の当主。


 かつて彼らは、お互いの存在なしにはあり得なかった。今でも、縁は残っている。


「せやったら、やってもらおか……」


 驚くほど心細い表情で、蘇芳は湖を見下ろした。


「きよきかぜ きよきみず あふるるほどに あるところ つながりて このちをば きよめんと」


 湖の水底には、小さなやしろがしつらえられている。そこから凄まじい勢いで、水が出てきたのだろう。大きな水柱みずばしらが上がり、水しぶきが辺りに飛び散った。水柱が解け、風が生まれる。風は、さあっと村中に広がっていった。


 そうして、空気が清らかになっていることに気づいた村人たちは、顔を見合わせていた。


「青葉、大丈夫?」


 小町が、気遣わしげに尋ねてきた。


「疲れた……」


 霊力を消耗しすぎたため、体中がだるさを覚えている。


『ようやったのう、青葉』


『んだんだー』


 双つ神は、くるくる青葉の周りを飛び回った。


「成功……かな」


 青葉は疲れた表情で、笑う。


 人々の顔は心なしか、清冽な空気のおかげで明るくなっていたのだった。


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