第四話 のろいいし 9



 家から少し離れたところで車を見送った後、青葉は思い切り伸びをした。


「無事、帰ってこれたな」


 安堵の思いを呟くと、カザヒとミナツチも嬉しそうに笑った。


 ただ一人、浮かない顔をしているのは小町だ。


 彼女に起こったことを考えれば、すぐに元気になるのは無理だろう。


 だから、青葉は何も言わずに小町の肩を叩いた。


「ほら、帰ろ」


「ええ」


 歩き出してすぐ、青葉は異常に気付いた。


 双神家の前に、村人が集まっている。その中に、蘇芳もいた。


「蘇芳、どしたん? こいなとこで」


「――どうなったんや」


 蘇芳は鋭い目で、青葉を見据えた。


「じいさんは、自殺ってことになった。でも、ほんまは……死霊が殺したらしい。長内を呪った女を、じいさんが小町に解放させて……それで」


 できるだけ冷静に順序良く説明したつもりだったが、蘇芳は納得しなかった。


「せやったら、あの女がおじいを殺したんと一緒やないか」


「ちゃう。よう聞き。じいさんが、小町に強要したんよ」


「そんなん、あいつが言ってるだけやろ!」


 蘇芳が睨むと、他の面々も蘇芳にならって小町を睨み付けてきた。


「何で青葉は、あいつを庇うんや! あの女に騙されとるんとちゃうんか!」


「そんなわけ、あらへん。お前が一番よく知っとったやろ。じいさんは最近、行動がおかしかった……」


「それでも、俺の祖父や」


 蘇芳はうつむいてから、踵を返して立ち去った。


 ほっと息をついた時、突然小石が飛んできて小町の額に当たった。


「小町!」


 青葉はふらつく小町を支え、恐ろしげに人々を見やる。


「誰が投げたんや……?」


 答える者はいなかった。皆、一様に小町に厭わしげな目を向けている。


「平和な村やったのに」


 誰かが呟きを残す。そうして、彼らはゆっくり去っていった。


 呆然としていた青葉は我に返り、小町の頬に触れる。小町の額から、血が流れていた。


「大丈夫な?」


 小町は返事をせず、不安そうに青葉を見上げる。


「……みんな、動揺しとるだけや。あとで、俺がもう一度話すけん。はよ、手当てしにいこ」


 小町の手を掴み、青葉は家へと走り出した。




 青葉は起き上がってすぐ、日が高く昇っていることに驚いた。


「そういえば、朝に帰ってきたんやっけ……」


 誰ともなく呟くと、とっくに起きていたらしい双つ神が寄ってきた。


『大変な夜じゃったのう』


『んだ』


「せやな」


 まだ眠い。もう一寝入りしたいところだが、もう昼食の時間なので起きることにした。


「大学、休むか……」


 今日は二つ授業が入っていたが、どちらもテスト勉強用の自習時間にするという告知があった。出席日数は減ってしまうが、今までほとんど休んでいないので大丈夫だろう。


 一階に下りていくと、食卓に着いていた父が振り返った。


「おう、おはようさん。青葉」


「おはよ。あれ、小町は?」


「学校行ったぞ」


「――え?」


 青葉は驚きのあまり、間抜けな声を出してしまった。


「俺も、しんどいやろと思ったけん、やめときって言ったんやけどな。大事な授業があるとかで、行ってしもたぞ」


「ほうな」


「小町ちゃん、一人で大丈夫かいな」


 総一郎は心配そうに眉をひそめた。父の心配は、もっともだ。


 小町の心。そして、村人の反応。一人で歩かせるのは、危険ではないだろうか。


「神さん、小町に異常は感じんな?」


『んー。少なくとも、ここの土地におる時には何もなかったようじゃ。なあ、ミナツチ』


『んだ。水の力も発動しとらんようや』


 双つ神の返事に安堵し、青葉は父に向き直った。


「なあ、親父。昨日、蘇芳がここに来たん?」


「……まあな。小町ちゃんが犯人やって、蘇芳と他の村人が息巻いとった」


 憂鬱そうに、総一郎はため息をついた。


「いさめようとしたんやけど、あれは頭に血が昇っとるな。聞く耳、持たへん」


「――親父は、小町を疑ってへんやろ?」


「当たり前やろ。小町ちゃんが、長内のじいさん殺して何の得があるっていうんや。幽霊が殺したんやろ?」


「せや」


 青葉は事実を噛み締めるかのように、深く頷く。


「やのに、何でみんな小町を疑うんやろ……」


「小町ちゃんは、外から来たけんな。罪をなすりつけ易いんやろ。それに対して、長内は村の主でもあったし……。閉鎖社会の欠点が出てしもたな」


 総一郎の意見に、双つ神と青葉は不安そうに顔を見合わせた。


 たしかに小町はかつてこの村に住んでいたとはいえ、一度東京に行ってしまっている。蘇芳のように、親と帰ってきたわけではないので〝よそ者〟感が否めない。


「だけん、しっかり庇ったりな」


 父に念を押され、青葉は毅然とした表情で頷いた。




 青葉は縁側に座り、夏空を睨み付けるように見上げていた。


『濁っとるのう』


『んだ』


 カザヒとミナツチの会話で我に返り、青葉は問う。


「何が、濁っとるって?」


『村の空気じゃ。悪霊の悪い気や恐怖心で、濁っとる。こら、禊をせんといかん』


 カザヒの説明を受け、青葉は納得して空を仰いだ。たしかに、昨日の夜から嫌な空気が立ち込めている。


「なあ、神さん。何で、長内のじいさんは死霊を消したら呪いが消えるって思たんやろ」


 ずっと、それが引っかかっていた。死霊を消して呪いが解けるならば、とっくの昔に双神の巫女がそうしていただろうに。


『早まったんかのう。もう、待つのが嫌やったんかもしれんな。それで、可能性がほとんどない方法に賭けたとか』


「それか、小町の特殊な霊力に気付いて、あれやったら呪いごと消せるかもしれんと思ったんちゃう?」


 青葉はあまり自信の持てない推測を口にしたが、カザヒは彼に同意した。


『なるほどなあ。せやったら、自分でやなくて、こまっちゃんに封印を解かせた理由もわかるな。……まあ、これは仮定の話じゃ。長内のじいさんが死んだ今となっては、ほんまのことはわからんのう』


 しばし、その場に沈黙が降りる。しばらく青葉はそのままじっと考えこんでいたが、首を振って立ち上がった。


「ちょっと、穂波に電話してくる。頼みたいこともあるけん……」




 穂波の携帯電話にかけてしばらく待っていると、穂波が出た。


『もしもし?』


「穂波?」


『青葉やん。何か用か?』


「ちょっと話したいことがあるん。今、ええか?」


『ちょうど、暇しとったところや。何か、あったんか?』


 穂波の声が、少し心配そうになった。


「――話すと長くなるけど」


 青葉が事件のことを語り終えた時、穂波は絶句していた。


『それ、ほんまの話かいな?』


「せや」


『びっくりするわ。事件そのものにも驚くけど、こまっちゃんの霊力が、そんなんになっとったなんてなあ』


「そこで、相談があるん」


 青葉は咳払いして、話を切り出す。


「小町の封印を、誰がしたかわかると思う?」


『こまっちゃんの封印? えー、せやったら二十年ぐらい前のことか』


 穂波はしばし黙り、考え込んでいるようだった。


『ばあちゃんじゃ、ないんやな?』


「もし、ばあちゃんがしたなら神さんが覚えとるはずや」


『それもそうや。といっても、封印をできる奴はそんなに多くないと思うから――よっしゃ、霊能力者ネットワークを使ってみるわ。何か、わかるかもしれん。……でも、こまっちゃんの両親やったら、知っとるんちゃうんか?』


 穂波の問いに、青葉はため息をつく。


「小町の霊力を封じるように頼んだんは、多分――小町の両親やろ。話したがるとは、思えん……」


 もちろん、どうしてもわからなかったら尋ねるしかないだろうが、小町の心情を考えると勝手に連絡を取ることは避けたかった。


『なるほどな。せやったら、調べとくわ』


「頼むな」


『ん。で、こまっちゃんは大丈夫かいな』


「――大分、参っとるみたいや」


 青葉の返答に、穂波はやっぱりと呟いた。


『そんだけのことが起こって、平静でいられるわけないわな。いっちょ、俺が励ましたろか。こまっちゃんに替わってや』


「小町、今おらんのや。学校行った」


『はああ? また、真面目やねんから……。お前、迎えに行ったれや』


「うん。そのつもりやけど」


 小町を一人で、村を歩かせるのは危険だと感じていた。


「ところで、すりーぷは元気なん?」


『おう、元気や。元気過ぎて、前なんて教室中の奴ら眠らしとったわ』


 穂波の明るい笑いが、少しだけ青葉の心を軽くしてくれた。


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