第四話 のろいいし 6




 


 ――来い。


 寝る用意をしていると呼ばれた気がして、小町は顔を上げる。


「誰か、いるの……?」


 おずおずと、小町は呟く。


 ――来い。


 ただただ、声はそれを繰り返す。


 一体誰が呼んでいるのか、と小町は眉をひそめ、そっと部屋を出る。


「青葉」


 青葉の部屋まで行って声をかけたが、青葉の返事はない。襖を開けると、机に突っ伏して眠っている青葉が見えた。おそらく、レポートを書いている途中で眠ってしまったのだろう。


 双つ神も、青葉の肩に仲良く乗って眠っている。


(青葉や神さまが呼んだわけじゃないのね)


 だとしたら、あの不思議な声は誰のものだろう。何となく蘇芳を思い出して、小町は身震いした。


 ――来い。


 身が総毛立つほど強い声がして、小町は膝を付いた。


 頭が痛い――。


 うずくまっていても、気分は一向にましにならない。そこで、小町は悟った。行くしかないと。


 よろよろと立ち上がり、階下に向かう。声に導かれるように。


 家を出てすぐ、目に入ったのは蘇芳の祖父だ。


 頭の痛みがやみ、小町ははっきりした口調で問う。


「私を呼んだのは、あなた?」


 にやりと、老人は笑う。


「巫女。こちらへ来い」


「何を言ってるの?」


 動こうとしない小町の腕を、老人は掴む。思ったより強い力に、小町は悲鳴をあげそうになった。


「長内の呪いを解いて欲しいんや」


「呪い……を?」


 小町は目を見開いた。


「あんたになら、解ける。来てくれんか」


「え……でも」


 小町は逡巡した。脳裏に、蘇芳の顔が浮かぶ。もし本当に自分が呪いを解いてやれるというのなら、協力しても良い気がした。


「本当、なんですか?」


「本当や。あんたは、わしの封印を解いた。ただ、近付くだけで」


「封印を、解いた?」


 小町は老人が何を言っているのか、皆目理解できなかった。


「だけん、呪いも解けるはずや。協力してくれんか」


「――よく、わからないわ」


「ええけん、来てくれたら……」


 ふと老人は空を仰ぎ、首を振った。


「曇っとるな。せやったら、明日や。約束し」


「約束を?」


「わしに〝力を貸す〟と、繰り返せ」


 老人に強く手首を掴まれ、小町は繰り返した。


「〝あなたに……力を貸す〟」


 途端に、舌がぴりりと痺れた。


「明日、迎えにくる。呼んだらすぐ来いや」


 そう言い残して、蘇芳の祖父は去った。


(……何だったの……?)


 全身に酷い疲労感を覚え、小町は部屋に帰ってすぐに眠り込んでしまった。




 小町が起きてきた時にはもう、青葉は玄関にいた。寝坊したのか、やけに慌てている。


「あ、青葉。おはよう」


「おはよ小町! 小町は三限からやろ? 俺、今日一限休めんけん、もう行くよ! ちゃんと、一人で行けるな?」


 昨日のことを言わなくてはと思ったが、青葉が慌てて靴を履きながら小町にまくしたててきたので、とても言い出せなかった。


「え、ええ。私、今日の三限は休講だから、一日休みよ」


 それに子供じゃないんだから一人で行けるわよ、と苦笑して付け加えておいた。青葉は心配性すぎるのだ。


「せやったら良かった! いってきます!」


 青葉は振り返ることなく、行ってしまった。


『面白そうじゃけん、付いてこ。行くえ、ミナツチ』


『んだ。こまっちゃん、留守番よろしゅうな』


 双つ神も、ふよふよと青葉の後を付いていく。


 小町は青葉たちの背を見送り、ため息をついた。結局話せなかったが、青葉が帰ってきてから、話せば良い。


 そうして、小町は朝ごはんの匂いに釣られて家の中に戻ったのだった。




 自室で、ドイツ語の勉強をしている時、またあの声が響いた。


 ――来い。


 もうすぐ夕方だが、まだ青葉は帰ってきていない。青葉に話すまでは行ってはならないと、本能が警鐘を鳴らす。


 ――来い。力を貸せ。


 しかし、その言葉が繰り返されると共に、小町は激しい頭痛に見舞われた。


(まさか、あの約束……?)


 頭を押さえてうずくまりたかったが、小町の手足は意に反して動き、立ち上がって部屋を出た。




 長内老人は、昨日のように外で待っていた。老人に続いて、小町はふらつく足で歩く。


「どこまで行くの?」


「……墓まで」


 小町の質問に、老人は淡々と答える。


 夕方とはいえ、暑さはやわらいでいない。ひたすら歩き続けるのは、楽な仕事ではなかった。


 老人は林の中へと入っていき、小町がためらっていると振り返って叫んだ。


「力を貸しに、入ってこい!」


「……はい」


 抵抗できない力によって、小町の足はのろのろと動く。


 〝力を貸す〟と繰り返したことを、小町は心底後悔し始めていた。


(あの言霊が、私を縛っているんだわ……)


 小町ができるだけ遅く進もうとしたため、目的地に着いた時にはもう日が暮れてしまっていた。空に、月が架かっている。


「これや」


 老人が示したのは、岩だった。いや、原始的な墓石にも見える。


「長内を呪うた女の、墓や」


 説明を聞いて、小町の肌が粟立つ。


「長内を呪って呪って、死んでった。今も、土の下から呪詛が聞こえる……」


 老人は小町を振り向く。


「骨になってまで呪い続ける女を、双神の巫女は封じた。もちろん、呪いはこうして残っとるわけやけど」


 老人は自分の手を見下ろし、大きなため息をついた。


「だけん、一度女の霊魂を解放してから、霊魂を消して欲しいんや」


「何ですって?」


 小町は絶句する。


「でも、そんなの私どうすれば良いかわからないわ。それに、すごく危険に思える……。私じゃなく、青葉に頼んでください。青葉なら、ちゃんとしてくれるわ」


「双神の巫女が、そんな危険な方法を承知するわけないやろ。だけん、わしはあんたに頼んどるんや。〝力を貸せ〟!」


 強く叫ばれ、小町は四肢を震わせた。


「いや……」


「わしが、あんたの霊力を引き出したるけん、心配せんでええ。しかし、あんたのは鋭い霊力やな。……ほんまに」


 急に不思議そうな顔で、老人は小町を見やる。


「あんたの霊力は、何で封じられたんやろな」


「封じ……られたって?」


 小町の問いに答えることなく、老人は小町の肩に手を置いた。


「〝力を貸せ〟」


「ひっ……」


 途端、自分の体から何かが噴き出すような心地がして、小町は息を呑む。


 老人は右手を小町の肩に置いたまま、もう片方の手を石に当てる。


 墓石と長内の老人と小町とが、つながる。


「やめて――」


 体の奥で、何かが迸った。




 小町は、膝を付いた。


「おお……やったぞ」


 感動で声を震わす老人の傍らに、女が立っていた。


 白い死者の着物。生者では有り得ない顔色。血走った目で、老人を睨み付けている。


 小町は逃げたかったが、疲れすぎていて動けなかった。


『長内――』


 人を心の底から震わせるような、恐ろしい声が響く。


「ほら、あんた。こいつを消すんや!」


 小町の手を引き、老人は女を指差す。


「無理……無理よ……」


「何を言っとる!」


 言い募る老人の頭を、女が掴む。


『死ネ――』


 女は呪いの言葉を吐き、老人をそのまま投げ飛ばす。すると、彼は宙を舞って墓石に頭をぐしゃりとぶつけてしまった。


 声を失う小町を、女は見下ろす。


『オ前ハ誰ダ――』


「来ないで!」


 近寄る死霊を睨み付け、小町は怒鳴る。恐怖が小町を苦しめる。


「あっちに行って! 消えて!」


 また、小町の中で何かが首をもたげた。


「消えて――!」


 恐怖のあまり、小町は目を閉じた。


 女が目を見開いた時、小町の体から蒼い光が迸った。


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