第四話 のろいいし 6
*
――来い。
寝る用意をしていると呼ばれた気がして、小町は顔を上げる。
「誰か、いるの……?」
おずおずと、小町は呟く。
――来い。
ただただ、声はそれを繰り返す。
一体誰が呼んでいるのか、と小町は眉をひそめ、そっと部屋を出る。
「青葉」
青葉の部屋まで行って声をかけたが、青葉の返事はない。襖を開けると、机に突っ伏して眠っている青葉が見えた。おそらく、レポートを書いている途中で眠ってしまったのだろう。
双つ神も、青葉の肩に仲良く乗って眠っている。
(青葉や神さまが呼んだわけじゃないのね)
だとしたら、あの不思議な声は誰のものだろう。何となく蘇芳を思い出して、小町は身震いした。
――来い。
身が総毛立つほど強い声がして、小町は膝を付いた。
頭が痛い――。
うずくまっていても、気分は一向にましにならない。そこで、小町は悟った。行くしかないと。
よろよろと立ち上がり、階下に向かう。声に導かれるように。
家を出てすぐ、目に入ったのは蘇芳の祖父だ。
頭の痛みがやみ、小町ははっきりした口調で問う。
「私を呼んだのは、あなた?」
にやりと、老人は笑う。
「巫女。こちらへ来い」
「何を言ってるの?」
動こうとしない小町の腕を、老人は掴む。思ったより強い力に、小町は悲鳴をあげそうになった。
「長内の呪いを解いて欲しいんや」
「呪い……を?」
小町は目を見開いた。
「あんたになら、解ける。来てくれんか」
「え……でも」
小町は逡巡した。脳裏に、蘇芳の顔が浮かぶ。もし本当に自分が呪いを解いてやれるというのなら、協力しても良い気がした。
「本当、なんですか?」
「本当や。あんたは、わしの封印を解いた。ただ、近付くだけで」
「封印を、解いた?」
小町は老人が何を言っているのか、皆目理解できなかった。
「だけん、呪いも解けるはずや。協力してくれんか」
「――よく、わからないわ」
「ええけん、来てくれたら……」
ふと老人は空を仰ぎ、首を振った。
「曇っとるな。せやったら、明日や。約束し」
「約束を?」
「わしに〝力を貸す〟と、繰り返せ」
老人に強く手首を掴まれ、小町は繰り返した。
「〝あなたに……力を貸す〟」
途端に、舌がぴりりと痺れた。
「明日、迎えにくる。呼んだらすぐ来いや」
そう言い残して、蘇芳の祖父は去った。
(……何だったの……?)
全身に酷い疲労感を覚え、小町は部屋に帰ってすぐに眠り込んでしまった。
小町が起きてきた時にはもう、青葉は玄関にいた。寝坊したのか、やけに慌てている。
「あ、青葉。おはよう」
「おはよ小町! 小町は三限からやろ? 俺、今日一限休めんけん、もう行くよ! ちゃんと、一人で行けるな?」
昨日のことを言わなくてはと思ったが、青葉が慌てて靴を履きながら小町にまくしたててきたので、とても言い出せなかった。
「え、ええ。私、今日の三限は休講だから、一日休みよ」
それに子供じゃないんだから一人で行けるわよ、と苦笑して付け加えておいた。青葉は心配性すぎるのだ。
「せやったら良かった! いってきます!」
青葉は振り返ることなく、行ってしまった。
『面白そうじゃけん、付いてこ。行くえ、ミナツチ』
『んだ。こまっちゃん、留守番よろしゅうな』
双つ神も、ふよふよと青葉の後を付いていく。
小町は青葉たちの背を見送り、ため息をついた。結局話せなかったが、青葉が帰ってきてから、話せば良い。
そうして、小町は朝ごはんの匂いに釣られて家の中に戻ったのだった。
自室で、ドイツ語の勉強をしている時、またあの声が響いた。
――来い。
もうすぐ夕方だが、まだ青葉は帰ってきていない。青葉に話すまでは行ってはならないと、本能が警鐘を鳴らす。
――来い。力を貸せ。
しかし、その言葉が繰り返されると共に、小町は激しい頭痛に見舞われた。
(まさか、あの約束……?)
頭を押さえてうずくまりたかったが、小町の手足は意に反して動き、立ち上がって部屋を出た。
長内老人は、昨日のように外で待っていた。老人に続いて、小町はふらつく足で歩く。
「どこまで行くの?」
「……墓まで」
小町の質問に、老人は淡々と答える。
夕方とはいえ、暑さはやわらいでいない。ひたすら歩き続けるのは、楽な仕事ではなかった。
老人は林の中へと入っていき、小町がためらっていると振り返って叫んだ。
「力を貸しに、入ってこい!」
「……はい」
抵抗できない力によって、小町の足はのろのろと動く。
〝力を貸す〟と繰り返したことを、小町は心底後悔し始めていた。
(あの言霊が、私を縛っているんだわ……)
小町ができるだけ遅く進もうとしたため、目的地に着いた時にはもう日が暮れてしまっていた。空に、月が架かっている。
「これや」
老人が示したのは、岩だった。いや、原始的な墓石にも見える。
「長内を呪うた女の、墓や」
説明を聞いて、小町の肌が粟立つ。
「長内を呪って呪って、死んでった。今も、土の下から呪詛が聞こえる……」
老人は小町を振り向く。
「骨になってまで呪い続ける女を、双神の巫女は封じた。もちろん、呪いはこうして残っとるわけやけど」
老人は自分の手を見下ろし、大きなため息をついた。
「だけん、一度女の霊魂を解放してから、霊魂を消して欲しいんや」
「何ですって?」
小町は絶句する。
「でも、そんなの私どうすれば良いかわからないわ。それに、すごく危険に思える……。私じゃなく、青葉に頼んでください。青葉なら、ちゃんとしてくれるわ」
「双神の巫女が、そんな危険な方法を承知するわけないやろ。だけん、わしはあんたに頼んどるんや。〝力を貸せ〟!」
強く叫ばれ、小町は四肢を震わせた。
「いや……」
「わしが、あんたの霊力を引き出したるけん、心配せんでええ。しかし、あんたのは鋭い霊力やな。……ほんまに」
急に不思議そうな顔で、老人は小町を見やる。
「あんたの霊力は、何で封じられたんやろな」
「封じ……られたって?」
小町の問いに答えることなく、老人は小町の肩に手を置いた。
「〝力を貸せ〟」
「ひっ……」
途端、自分の体から何かが噴き出すような心地がして、小町は息を呑む。
老人は右手を小町の肩に置いたまま、もう片方の手を石に当てる。
墓石と長内の老人と小町とが、つながる。
「やめて――」
体の奥で、何かが迸った。
小町は、膝を付いた。
「おお……やったぞ」
感動で声を震わす老人の傍らに、女が立っていた。
白い死者の着物。生者では有り得ない顔色。血走った目で、老人を睨み付けている。
小町は逃げたかったが、疲れすぎていて動けなかった。
『長内――』
人を心の底から震わせるような、恐ろしい声が響く。
「ほら、あんた。こいつを消すんや!」
小町の手を引き、老人は女を指差す。
「無理……無理よ……」
「何を言っとる!」
言い募る老人の頭を、女が掴む。
『死ネ――』
女は呪いの言葉を吐き、老人をそのまま投げ飛ばす。すると、彼は宙を舞って墓石に頭をぐしゃりとぶつけてしまった。
声を失う小町を、女は見下ろす。
『オ前ハ誰ダ――』
「来ないで!」
近寄る死霊を睨み付け、小町は怒鳴る。恐怖が小町を苦しめる。
「あっちに行って! 消えて!」
また、小町の中で何かが首をもたげた。
「消えて――!」
恐怖のあまり、小町は目を閉じた。
女が目を見開いた時、小町の体から蒼い光が迸った。
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