第一話 かげはらい 4



 青葉は外に飛び出して、叫んだ。


「小町!」


 返事はない。


 金一封を渡した時の、小町の顔が浮かぶ。


『青葉ー! 大変じゃあ!』


 カザヒが、手紙らしきものを持って飛んできた。


『部屋の中よう見たら、手紙置いてあった!』


 青葉はカザヒから手紙を受け取った。


 宛名は、〝双神家の皆さんへ〟となっていた。


 手紙を取り出して読み始めた青葉は、息を呑んだ。


『おじさん、おばさん、そして青葉へ


 まず初めに言っておきます。私がここに来ようと思ったのは、命を絶つためでした。理由は、色々あります。でも、ここには書きません。優しくしてくれてありがとうございました。昔に戻ったみたいで、嬉しかったです。でも本当は戻れないことを知っているから……言います。さようなら、と。迷惑をかけて、本当にごめんなさい。でも、死ぬならどうしてもここで死にたかった。私が私に誇りを持てていた頃、過ごした美しいこの地で……。あと、私はもう大学生じゃありません。この前、大学を辞めてしまいました。嘘をついて、ごめんなさい』


 読み終わり、青葉はカザヒとミナツチに怒鳴った。


「小町が死んでまう! 自殺する気や!」


『何やて?』


 カザヒがびっくりして聞き返す。


「詳しくは後で話すけん、場所突き止めて!」


 しばし、間があって『……激しき水の、傍』と、ミナツチがぽつりと答えた。




 激しき水。それで思いつくのは、一つだけ。――滝だ。


 青葉は、野を駆けた。


「ミナツチさん、小町はまだ生きとるんな?」


『多分』


『しっかし、こまっちゃんが自殺考えとったなんて……道理で、陰が多いはずや』


 カザヒは例の手紙を見ながら、ため息をついた。


『青葉、今唱えとき。いざという時、すぐに発動させな止められへんで』


 カザヒに促され、青葉は頷き、走る足を止めた。


「かぜふきて ひをあおり うまれしは カザヒさま みずしみて つちおこり うまれしは ミナツチさまと」


 歩きながら、青葉は目をつむって唱える。


「ふたつがみ そのみをば わがおもいにて かえんこと」


 ここまで唱えると、カザヒとミナツチの体が燐光を帯びた。


『上出来じゃ。さ、急ご』


 カザヒの一言に頷いて、青葉は再び走り出した。




 滝壺を見下ろしているのは、間違いなく小町だった。


「小町!」


「……青葉」


 小町は振り返り、後ずさった。


「止まり! 死んだらいかん!」


「――手紙、読んだのね」


 小町は無表情で、青葉を見つめた。


「何で死ぬんな! 大学辞めたかて、かまんやろ!」


「それだけじゃないわ、青葉。実は私、両親には言わずにここに来たの」


「嘘やろ?」


 意外な告白に、青葉は目を見張る。


「本当よ。なのに、捜そうともしない……。携帯にも、電話はかかって来なかったわ。仕事で忙しい両親は、レールを外れた私になんて興味がないの」


「でも、大学辞めただけで、何で……」


「私は、目が飛び出るほど授業料の高い予備校に行かせてもらったのよ。法学部に受かりたいからってね。でも……結局、周りに溶け込めず勉強にも打ち込めなかった。私はずっと弁護士になりたいって思ってたけど、それは間違いだったの」


 小町の目から、はらはらと涙が零れる。


「私は、単に〝人から偉いと思われる職業〟に就きたかっただけ。心の底から、弁護士になりたいわけじゃなかったの……。私はまるで、自己顕示欲の権化だわ」


 うつむき、彼女は続ける。


「そんな私が、今更自分を思い知って両親に相談した時、彼らは言ったわ。〝そんなの言い訳だ。せっかくのエリートコースを棒に振るのか〟と。お前に生きる価値はない、と罵られ、殴られもした……」


「小町……」


「東京でできた友達に相談しても、嘲笑された。相談できる友達すら、私にはいなかったのよ……」


 青葉は、思わず叫んだ。


「何で、俺に相談してくれんかったんな! 俺やったら、お前を嘲笑ったりせんかった!」


「ごめんなさい、青葉。私は誰も、信じられなくなっているの……。もう誰も、信じたくない。それに、青葉も何か私に隠し事してるじゃない? だから……」


「それは――」


 否定できないのが、辛かった。


「とにかく! 小町、死んだらいかん。ここにいたいなら、ずっとここにおればええ! 俺も親父も母さんも、みんな迷惑やなんて思わん!」


「ありがとう……」


 小町は晴れやかに、笑った。


 その周りに、黒き影が見えた。かつて滝で死んだ、死霊たちだ。小町を……呼んでいる。


「でも、もう辛いの。生きるのが怖い……。それに比べて、この滝の水は優しく見える。きっと、呼んでいるのね」


「いかん!」


 青葉が叫んだと同時に、小町は体の重心を後ろに傾けた。


「こいしすがたは ほむらどり みずおろち!」


 青葉の怒鳴るような詠唱でカザヒの体は焔の鳥に変わり、ミナツチの体は巨大な大蛇の姿に変化した。


 まずカザヒが落ちていく小町に向かって飛んでいき、啼いて死霊を払った。


 そしてミナツチが滝壺に飛び込み、首を伸ばして落ちてきた小町をぱくりとくわえた。


 ミナツチの周りに、カザヒに払われた死霊がざあっと集まる。


「きよきみず みずのみかみに したがわん ししたものをば はらわせん」


 青葉の詠唱により、ミナツチの体から青い光が放たれる。死霊は光を恐れるように離れた。


「カザヒさん、小町をここまで運んで!」


 カザヒは頷き、足を伸ばして小町を掴んだ。そのまま空を駆けて、青葉の傍に小町の体を横たえる。


「小町……」


 青葉が彼女の頬に手を当てると、軽い呻きを漏らした。意識を失くしているようだ。


「無事や……。ありがと、カザヒさんミナツチさん」


 青葉は、泣き笑いの表情を浮かべた。

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