第3話 趣味と小説とスピリチュアルと潜在意識と動画視聴

 他人は所詮他人事だと思う。

 少し編み物をしているだけで「◯◯◯◯で売れば?きっと売れるよ。欲しい人はいると思うよ」「欲しい人がいたら編んであげるんだよ。フリーマーケットで売れば?」

 脳内スクリーンで見たから(この場合はマンデラ体験小説を除く)、それを文章化したので小説になるように書いている、と話せば

 「小説家になるの?なれば?なれるよ。読む人はいるよ」

 と、本人が思わないことを云って来る。

(やるのは私なのに、なんで皆口を揃えて同じことを言うのかな……やらないけどさ)

 天の邪鬼ではなく、引っかかるのだ。

 最初に引っかかった(疑問に感じた)ことは、大昔の小五時代に遡る。

 当時の学年末の国語の授業で「物語を作る」授業があった。

 女は、名前こそ忘れてしまったが、物語の筋や登場人物たちを五十路になっても忘れないぐらいにしっかりと設定が出来上がっていた。

 物語の背景はアメリカで、主人公は当時の女と同じくらいの歳(十一歳)の少年だ。父親は雇われエンジニア、母親は近くのスーパーに勤めている。兄弟がいた。十一歳になると、適性検査の類の試験を受けて、将来の進む方向を決める際の指針とするらしく、父親は主人公に自分の様に雇われ身分ではなく、手に職を付けて独立開業して欲しいと願っている。しかし主人公はまだそんな遠い未来のことなど考えようもなく、近い未来でさえ想像出来ないという日々を送っていた。そんな揺れ動く少年の心情を書こうと思っていた。

 が、既に学年末の授業である。女は授業中に原稿用紙に十三枚ほど書いてみたが、殆ど出だし……状況説明だけで内容に至らずに終わってしまったのであった。

 ある日、何かの用事で職員室へ行った時のこと。

 担任教師と、その隣にいた教師が女に告げた。

 「女ちゃんは、文章を書く才能があるから、これからもっともっと沢山本を読んで、どんどん文章を書いて才能を伸ばした方がいいよ」そう直に言い、また成績表にも綴っていた。

 「女ちゃんが書いたものを読ませて貰ったよ。『カント』って知ってる?哲学書は面白いよ。是非読んでみて。楽しいよ」

 (……は?なんで、私が……?)

 当時、既に本や読書が嫌いになっていた女は、読むものはマンガのみになっていた。普段から考えられないことを云われていた女だ。学級内でリーダーシップを取れる様に来学期に期待します等、何を考えているのだろう担任は?と小学生ながら呆れていた。親は驚いていた。

 勿論、云われたことや成績表(通知表)に書かれたことなど実行には移さない。アドバイスという名の希望的観測の押し付けであると受け取っていたからである。女の本質は外面には現れていなかった。真逆なことを云われ続けたのだ。

 (何故、本人が望まないことを色々とあれこれ云われるのだ?やるのは私だ。何故私がやりたくないことを皆が同じように同じことを云うのだ?所詮他人事だから?それとも、希望?簡単に言うことは構わないけれど……こうも何度も違う人から同じことを云われると、何か嫌だなあ……)

 女には自信の有無が欠落している。そのせいか、自己肯定感の有無も無い。なので認められなくても構わない。いつも自分の実力より上の評価を与えられて、与えられる役柄はいつも実力以上のものだけであった。そのことを他人に話せば「何それ自慢?」とか、「それは謙遜や謙虚とかじゃなくて卑屈だよ?」などと云われる有様だ。

 (私は誤解を受けやすいのだな。努力などしなくても努力家と言われたし。やだなあ。認められなくてもいいのに……しち面倒くさいなあ)

 任されている仕事は最初から「独りで全部やって」と、学ぶべき先輩は女の高三の夏休み、冬休み、自宅学習期間中に仕事を教えて、女に全て任せてバトンタッチをして卒業式前日に転職して行った。

 (よく高卒ホヤホヤの私を事務長兼

平事務員にしたよなあ……有り得ない)

 仕事だけではない。プライベートでも(お前ならば/君ならば大丈夫だ)と云われ続けて来た女であった。

 母が亡くなってしばらくして父方のおばが心配して電話を掛けてよこしたが、その際も「あ、お前なら大丈夫。よかった」と呟いたのだ。それ以来二度と電話は掛かって来ない。女は電話が嫌いであるからよかったことはよかったのだが。

 ……何が大丈夫だと言うのだ。女は不思議で仕方なかった。皆、何を見てそう思うのだろう?

 引っかかることは沢山あった。女が大嫌いなことばかり「やれ」だの「こうしろ」だのと周囲から云われ続ける。(両親も含む)

 

 脳内スクリーンを見て、物語の全体像が把握出来たので文章化しようと思った女は、初心者なのでネットで調べ「小説の書き方」を読んでみた。

 が、そこには女と真逆な創作方法しか載っていない。あちこち探してみても、どうやら根本的に真逆な創作方法だったのだ。基本の「き」の字もかすらない。女は諦めた。基本通りにことなど出来ない。であるから書いてみようと思ったのだから。

 これが小説と呼べるとは思えないかもしれない。試しに知人にネットに挙げた小説の一話ずつを数本、読んで聞かせた。すると皆全て「どうしてそんなに違うの?違う人が書いたみたい」という反応を示した。「小説らしくなっている」とも感想を述べた。それは買いかぶりか又はお世辞かの類だろう。

 「え。ドラマが違えば俳優だってナレーターだって脚本家だって演出家だって違うじゃない?」と思う女は小説家にはならないしなれないと思っている。本人は同じ文章だと思っているのだが、受け手はそうは思わないらしい。お互い素人だからこその意見だと結論に至った。

 すると、女の苦手なスピリチュアル方面の色濃いフォロワーから「女のハイヤーセルフが書かせている」だの「違う世界線の女が小説家で、その思念をキャッチして脳内スクリーンに流れて来る」だのと意見が挙がって来た。

 女は違う世界線の女が53歳にして生まれて初めて履歴書を書いて再就職活動をしなければならない、とSNS上で呟いた時、ほぼ同時期に「齢53にして履歴書を書いたことがない自分てどうよ」的な呟きをSNSに挙げていたのだ。それらを見ていたフォロワーが七名も存在したのだ。可能性が捨てきれない。

 (でもなあ……に 情報が入ってないと、脳内スクリーンはサイレントムービーだし、文に起こしているのはだし。ハイヤーセルフとか何とかなんて気味悪いし、なんだか傀儡?操り人形?みたいで嫌だなあ。私は私の意思でi動きたい。潜在意識?そんなのぶち壊したい)

 折しもA氏から潜在意識に関しての動画を教えて貰い、女は以前よりも少しずつ多めにスマホで動画を視聴していたので、それも見てみた。

 『潜在意識を書き換える。未来の自分と交換日記をする』と言う。

 そうか、と女は早速交換日記を紙に書き、二往復して実験を試みた。

 二月になる少し前のことであった。

 女は潜在意識やハイヤーセルフのいい様には動くものか、というスタンスで生きていた。

 決して天の邪鬼ではない。自分の意思で生きて行くためである。


 そうして迎えた二月中旬後の日曜日の日のことであった。

 

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