第2話 令和四年十月八日を過ぎて

 令和三年十月上旬にA氏のDMが二度消えた。それらが令和四年九月下旬に完璧に元通りになったことで喜びと安堵と不信感が入り混じっていた女は、なぜ二段階に消えたモノが一斉に復元されたのだろう?という愚問が頭の片隅にて生じていた。

 それを取り敢えず放置して、令和二年十月八日から令和三年九月分を第一部として組み直し、カクヨムコンテストの短編部門に応募してみようと決意を固めたので二話をまとめて一話に編集していた……応募要項をしっかりと確認せずに。

 この時、ちゃんと文面を読み、把握していれば女はエントリーなどはしていなかっただろう。何故ならば、短編部門はであったからだ。この時点でゆうに二倍の字数を越えていた。

 女の意図は「エントリーや応募をして、ひとりでもいい、タイトルだけ読んで、視界に入れて貰えは本望」である。自信の有無が欠如しているためか、出来る、出来ないがやってみなくては結果が分からないし想像出来ない。出来る出来ないはいつも二の次で、でしか行動が起こせない。出来る時は出来る、出来ないならばそれまでよ……無理も努力も創意工夫も好まない女は、結果などどうでもよいのだ。頭を使いたくはなく、考えることを放棄していた。その瞬間にやれることをすればいいだけだ。

 文章力も小学生時代と殆ど変わらない。成長していない。振り返って考えた女は、とても老け気味な小学生だったのだとしみじみと思い、嗤った。


 家の周囲の竹も総数122本を切り出した。親切な地主が切り出した竹を殆ど全て片付けてくれたお陰で女は助かった。

 「え?女さんがこれを全部切ったんですか!?誰かに頼んだんじゃなくて!?俺だって、(昨年の作業である)あれを切っただけでも大変だったのに……」

 「一日二本とかを続けて、日曜日に最高二十本切ったんです」

 女はちまちまと続けることが苦ではなかった。

 ちまちまと行うことは趣味の編み物にも通じるものがある。

 (よし、今のところ編み物も、かぎ針編みをしたいとは思ってないな……躰が違うかな)

 編み物も例年よりは少ないが、ちまちまと続けていた。完成しても、一番先に見せていた母が居ない……そこで寂しさを覚えた女であった。

 

 新型の感染症は徐々に患者側に迫っていた。その影響か、市の健診が十月で終了せずに年内まで延期された。インフルエンザの予防接種は前年よりはスムーズに行えたが、今度は患者側で新型感染症の予防接種との兼ね合いでスケジュール調整がより複雑化して、女は頭を抱えた。 

 (いいから早く終わらせてよ!)

 女の願いと反比例して様々なものが延期されて行く。公私共に『冗談じゃない!』というレベルの日々が続いていた。令和四年の十一月、十二月は新種の感染症も相まって、全てをちゃぶ台返しの如く捨て去りたい気分で過ごすのだった。


 本人の居ない、母の誕生日、元旦がやって来た。女は生まれて初めて両親不在の正月を迎えた。

 寂しさというよりは、空虚感の方が勝る。これから先はずっとこうなのだ。女は母が亡くなってから、大声で泣き叫ぶことがまだなかった。涙があまり出ない。寂しさはあるが、半年経ってもそれ以上経っても、どこかで母が生きている様な、何か不思議な感覚で毎日を過ごしていた。まるでどこかの病院に入院しているか、介護福祉施設に入居しているかで自宅には居ないという感覚、なのだろうか?


 令和五年は静かにやって来たが、女には就職してから毎年恒例の「自分だけ休日出勤」が待っていた。ひとりで全てを任されているのであるから仕方ない。正月とゴールデンウィークは毎回毎回休日出勤を要するのだ。それをしなくては、休み明けの提出物の締め切りに間に合わない。病気にもなれない。勿論事故にも……。いつも元気でいつも丈夫な医療事務として職場にいなければならないのだ。

 

 年末年始の多忙さは、例年通りであった。

 正月休みも例年通りあったかなかったの微妙な環境で過ごした。

 老猫たちは、五月になれば十六歳になる。日々がとめどなくただ過ぎて行く。一日は長いと思うのに一週間や一ヶ月、一年が早すぎる。

 たちまち一月下旬になり、コンテストの締め切りが近付いた。

 女は詳細を知り、再び自分の不注意さに呆れかえる。

 「え……?短編部門って、って、一万字以内……だったの!?」

 一万字以上十万字未満くらいだと勝手に思っていた女は、またもや失格になったのであった。が、勢いに任せてそのまま応募を果たした。

 (タイトルだけでも視界に入れてください)

 女は、『マンデラエフェクト』という単語を読んで頂くことが第一目的だった。どうせ小学生レベルの文章力で書いているのだし、当時から文章は行き当たりばったりで書いていた。推敲や深く思考するなど不可能であった脳ミソである。五十路になっても三つ子の魂レベルに変わらない頭を持っていた。

(まあ、こんなもんでしょ)

 母は良く、女に「もう少し工夫して頑張れば出来るようになる。お前ならば直ぐ出来るようになるよ」「生きているうちに頭を使いなさい。死んだら使えないから」と話していたが、女はそれが苦痛であった。創意工夫して練習するとか、同じことを出来るまで繰り返すとか、同じことを何度も繰り返す、見直すとかは別世界の話であった。のらりくらりと避け続けて五十年余を過ごして来たのだ。頭を使い注意深く行動する時は医師の書いたカルテの文字を読み取る時ぐらいである。

 (あーあ。時代が私に追い付いたと思ったら、追い越されちゃったなあ)

 コンテストの短編部門の『信じられない話、私小説』は完璧にストライクゾーンに入っていたが、昨年同様に三振でバッターボックスを退いた女であった。


 令和五年の二月が待ち構えていた。

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