第5話
「……たぶん、雪くんはずっと葛藤してたんだと思う。茜くんのことを忘れようとして私と付き合ったけど、それも上手くいかなくて……」
茜への想いは正しくない。だから断ち切って、普通の恋をしなきゃいけない。
真面目な雪はたぶん、そう思い込んでいた。
「……どうしよう。私のせい。私が告白なんてしちゃったから、余計に雪くんを惑わせた」
ぽん、と一花の頭の上に椎が手を乗せた。顔を上げると、椎はひどく優しい顔をして一花を見つめている。一花の涙腺が、さらに緩んだ。
「……一花はただ、好きな人に想いを伝えただけでしょ。雪くんになにかを強要したわけでも、ずるい手を使ったわけでもない。一花が責任を感じることなんて、一ミリもないんだよ」
一花は捨てられた仔猫のようにしょぼくれた顔で、
「……私は、ふたりの恋を邪魔したんだよ」
頭上から、小さなため息が聞こえた。
「恋は罪悪……か」
ぼそりと、椎が言った。
「……え?」
「まったく、一花は優し過ぎるんだ。普通ここは怒るところだぞ」
とはいえ、初めての恋人が同性のクラスメイトと浮気していたなんて、普通は思わない。相手が女ならともかくだが。完全に心のキャパオーバーだ。
椎は唇を引き結んだ。
「私……本当は雪くんの気持ちに気付いてたのに、それでも自分を優先した。雪くんが苦しんでること分かってたのに、自分のことだけ考えて……」
一花の瞳に、まるまるとした雫が盛り上がっていく。
「……じゃあ、一花はふたりにちゃんと結ばれてほしいのか?」
一花が頷く。椎は思案した。
「……でも、一花がただ別れを告げたとしても、ふたりがすんなり付き合うとは思えないな。雪くんは茜くんへの想いを悪いことだと思ってるわけだし、彼が優しい人ならなおさら、一花への気持ちを利用した罪悪感が大きいだろうから」
そのとき、一花のスマホが振動した。
「……あ」
液晶画面を見て、一花はわずかに表情を強ばらせた。一花の表情を見て、椎が尋ねた。
「……もしかして、雪くん?」
「……うん」
そういえば、今日は一緒に帰る約束をしていながら、一花は先に帰ってきてしまったのだ。そのあと雪に連絡をしていなかったことを思い出して、一花は青ざめた。
出ようかどうか迷っていると、
「……雪くん、心配してるんじゃないか。声だけでも聞かせた方がいい」
椎に言われ、一花は仕方なく通話ボタンをタップした。
「……もしもし」
『あっ! 一花ちゃん!? 良かった……今どこ?』
出ると、すぐに焦ったような雪の声が聞こえた。
「……あ、えっと……」
心臓に棘が刺さったように、ちくちくとした痛みが一花を襲う。
『部活のあと教室に行ったらいなかったから……ごめん、俺が遅くなったからだよね』
一花の胸に罪悪感が積もっていく。
「違うよ。私、その……用事を思い出して、先に帰ったの。私こそ、連絡もしないでごめんね」
本当のところは用事などないし、まだ帰ってもいないが。
すると、電波の向こうの雪はほんの数秒黙り込んで、
『……おばさんに連絡したら、まだ帰ってきてないって言ってたよ。ねぇ、一花ちゃん。今どこにいるの?』
そう尋ねる雪の声はまったく責めるようではなく、陽だまりのように優しい。
「……お母さんにまで連絡してくれたんだ」
一花の胸に、どうしようもない愛しさが込み上げる。
『……ごめん。心配で気になって……。ねぇ一花ちゃん、今どこにいるの? 迎えに行くから、教えて?』
じんわりと胸が疼く。雪のこういうところが、一花は大好きだった。
雪は優しすぎるのだ。雪にとって一花は好きでもない相手のはずなのに、どうしてここまでしてくれるのだろう。
「……あのさ、雪くん。今日――」
言いかけて、やはり言葉につまる。
『ん? なに?』
「……ごめん。なんでもない」
『ねぇ、一花ちゃん。なにかあった?』
雪の優しい声に、一花はとうとう泣きそうになる。
「……ううん、なんでもない。もう家に着いたから、本当に大丈夫だよ」
『……そうなの? ……じゃあ、明日の朝、迎えに行くね』
――明日。
なにも知らない雪は、当たり前のようにそう言った。
「……うん」
辛うじて返事をする。
明日、ちゃんと終わらせなければならない。一花は息を深く吸い込んで覚悟を決める。
『おやすみ』
涙を堪えて、最後の挨拶を噛み締める。
「……うん。おやすみ」
通話を切り、しばらく沈黙する。一花はおもむろに食べかけていたミゼラブルを口に運んだ。
「……泣くか食べるか、どっちかにしなさい」
椎が呆れたように言う。
「このミゼラブル、やっぱり美味しくない。砂糖と塩の分量絶対間違ってるよ」
「……まったく……」
椎は怒るでもなく、小さく笑って厨房へ消えていった。
一花は涙味のミゼラブルを食べ終わると、フルーツティーを飲み干した。
同じタイミングで、椎が厨房から戻ってくる。まるではかったかのようだ。
「おばさんに電話しておいたから。帰りは送るよ」
落ち着くまでここにいていい、と言い残し、椎は再び厨房に戻っていった。
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