35.一難去ってこれから
ティルーナを新たに加えて、4人は最初から目的地としていた教会へ向かっていた。アルスを診察するにも設備が揃っている教会の方が適切であると言える。
「なるほど……それは災難だったわね。」
道中、ティルーナから今まであったことの説明を受けて、第一声にフィルラーナはそう言った。
「そうですね、上手くあの悪魔が諦めてくれればいいんですけど。」
「あら、断るの?」
勿体ないと、そう言わんばかりにフィルラーナはそう問いかける。断る以外に頭になかったティルーナにとってその反応は驚きだった。
というか普通、王になれと言われて断らない方が珍しいだろう。特に貴族の生まれであるティルーナは、王族の苦労をよく知っている。
「逆に、私に皇帝になって欲しいんですか……?」
「面白そうじゃない。私としても手札が増えるから嬉しいわ。」
冗談か本気かギリギリわからないラインである。フィルラーナなら本気で言っていてもおかしくはない。
「あなたの人生なんだから、ちゃんと悩んで決断しなさい。反射的に断るような事じゃないわ。」
「無理ですよフィルラーナ様ぁ。私、貴族もあまり向いてるとは思ってなかったんですよ。」
「貴族は向いていなくても皇帝なら向いてるかもしれないわよ?」
かなり無茶苦茶な事を言われているような気はするが、フィルラーナが言うならそうなのかもしれないと考えてしまう。ティルーナはフィルラーナが関わると途端に単純になる。
その話の中で疑問を覚えて、ヒカリは口を開く。
「その悪魔は、今も影の中にいるんスか?」
「いるはずですよ。今は喋りませんけど。」
言われてみればやけに静かだと、ティルーナは自分の影を睨む。しかし悪魔は顔を出す気配もない。
黙っていろと言ったのはティルーナだが、本当に静かになると逆に不安になる。何か企んでいるのではないかという気がしてくるのだ。
「それも気になるけど、今はいいわ。もう教会も近いし。」
フィルラーナの言う通り、遠くに見えていた教会はもう目の前に来ていた。ここまで人の声や足音も聞こえてくる。
かなり慌しい様子で、叫び声のようなものまで聞こえてくる。
「……出た時より騒がしいですね。何かあったのでしょうか。」
そう言って声のする方に向かおうとティルーナは足を動かすが、思うように足が動かずその場で転んだ。
「ティルーナさん、大丈夫ッスか!?」
「だ、大丈夫です。すみません、少し疲労が溜まっているようで。」
直ぐに立ち上がるが、よく見れば顔には疲労の色が浮き上がっている。ただでさえ無理をしていたのに、加えて走ってフィルラーナの下まで来たのだから疲労は限界に達していた。
フィルラーナはその様子を見ながら、悩むような仕草を見せて考え込む。そうこうしている内に、一人の兵士がこちらに駆け寄ってくる。
「あなたがティルーナさんか? 疲れているところ悪いが、緊急の事があってここに来たんだ。」
気遣う様子を見せてはいるが、相手も焦っているようでそれに構う余裕はなさそうだ。懐からオルゼイの紋章が描かれたブローチを取り出しながら話を続ける。
「俺は伝令の兵士だ。ローランスに複数の竜が来てるらしい。もしそれが本当ならローランスを放棄して前線を大きく下げる事になるかもしれねえ。一応、準備をしておいて欲しい。」
「……ああ、なるほど。それで風が。」
「俺は直ぐに前線に戻らなくちゃいけねえ。また何かわかったら伝令する。」
足早にその兵士はこの場を去った。
恐らく、名も無き組織と手を組んでいる魔王軍によるものだろう。予測はしていただけ驚きはないが、初っ端から竜を動かしてきたのは予想外と言えた。
これだけで相手の本気度が伺える。敵は本気で、手加減無くオルゼイを滅ぼす気なのだ。最初からそれをしなかったのは敵の戦力を把握するためだろう。
「フィルラーナ様、すみません。アルスさんの治療は後回しでよろしいでしょうか? 私は曲がりなりにもここの総指揮の任を預かっています。前線が押し上げられた時、逃げるための準備をしなくてはいけません。」
その話を聞いて、フィルラーナは更に悩むような様子を見せる。
「……一つ、まずあなたは休まなくてはならないわ。これは命令よ。その状態で動くのは著しく効率が悪い。」
「ですがフィルラーナ様――」
「二つ、よくよく考えればアルスへの治療は要らないわ。ここまで忙しいなら、あなたの手をアルスに使うのは勿体ない。」
フィルラーナはヒカリの背で気を失うアルスを見た。
「ヒカリ、アルスを降ろして。」
言われるままにヒカリは背負うアルスを地面の上に降ろし、寝転がらせた。その頭の近くにフィルラーナは立つ。
「全てアルスが動けば解決する話なのよ。もう十分休ませたし、休憩は終わりでいいでしょう?」
フィルラーナの手元が歪み、そこから細く白いナイフが現れる。そのナイフの刃をアルスの首元につけた。
「フィルラーナさん、一体先輩に何を――」
「静かに見ていて。アルスはこれで起きるから。」
少し力を入れれば、当然首の皮が切れて血が流れる。そこから更に力を入れようとして――それは叶わずにアルスは飛び起きてフィルラーナから距離を取った。
死線をくぐり抜けたが故の生存本能か、痛みのショックか、どれかはわからないが確かにアルスは目を覚ました。
ほら、と言わんばかりの表情でフィルラーナはヒカリを見る。ヒカリはどうも納得しないがフィルラーナの言った通りになったので何も言えなかった。
「……お嬢様? ここは一体……というか俺、今首を切られそうになった気が……」
目覚めたばかりでは疑問が多いことだろう。しかしそれに気遣ってやる時間はフィルラーナにない。
「ティルーナ、ローランスの方角はわかる?」
「ええと、確かあちらの方角のはずです。」
ティルーナは教会の向かい側の方を指差す。
「アルス、聞いて。」
「ああ、お嬢様! 無事だったんですね!」
今更ながら探していたフィルラーナがいる事に気付き、アルスは喜びの声をあげる。それは半ば安堵に近い感情である。
「あっちの方に竜がいるらしいの。落として。」
その全ての感情をぶった切るように無茶な事をフィルラーナは言った。
「あっち、ですか? 何も見えませんけど。」
「見えないはずがないわ。数はわからないけど、全て落としなさい。」
「……色々聞きたいことがありますけど、それは教えていただけないと?」
「ええ。」
アルスは溜息を吐く。ここがどこかもわからないし、何故それをやらされようとしているかもわからない。憂鬱な気分になるのは仕方ないと言える。
色々と聞きたい感情をグッと堪えて、魔力を練り始めた。
「竜を、落とすんですか? ここから?」
それに対して思わず、ティルーナはそう聞いてしまった。ここからローランスですら数キロはある。そこから更に奥、しかも上空にいる竜を落とすなんて常識的に考えればありえない。
それはヒカリも同じ考えのようで、本当にできるのかと訝しげにフィルラーナを見た。それでもフィルラーナは顔色一つ変えない。
「無茶だと思うなら、あなたはアルスを舐めている。冠位の称号はそこまで軽くない。」
そう自信満々に言い切られてしまえば、ティルーナはそれ以上何も言えない。確かにティルーナは最近、特に冠位になってからのアルスの魔法をしっかりと見ていない。
「『
アルスは青い着物で身を包み、左手の上には手で握れる野球ボールぐらいの水晶が現れる。それなるは大和の月の神、太古から存在する三貴子の一つ。
「あんまり、期待しないでくださいよ。」
「いいからやりなさい。言い訳はやった後にするものよ。」
水晶を強く握ると、アルスの周囲の魔力が全てアルスただ一人に隷属する。
少しの魔力じゃ足りない。魔力は遠距離であればあるほど減衰する。減衰しても尚、竜を落とせるほどの魔力が必要となる。
「『
大気を魔力が走る。闇そのものが形を持って、雷のように空を駆けた。それが目の前から消えるのは一瞬だった。
「あ、当たった。」
そして、決着がつくのも一瞬である。ただの一撃、ただの一つの魔法で竜は落ちる。射的が当たったような気軽さであったが、実際、アルス程の魔法使いであれば当然の結果だ。
「ね、言った通りでしょう?」
その結果を、まるで自分の事かのようにフィルラーナは誇った。
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