36.真夜中の会合

 夜が更け、ヴァルトニアは一時的に軍を引いて攻勢を緩めていた。

 国境にある川の向こう、広がる平原の真ん中にヴァルトニアの軍事基地がある。兵士達が明日の侵攻に備え休息を取る中、一つの建物はまだ明かりがついていた。

 そこは戦略を練る会議室と言うべき石造りの建築物であり、今は一人だけが数ある椅子の一つに座っていた。彼は前線の総指揮を任せられたヴァルトニアの将、『首切り』のムノンである。


 足を揺らしながら、彼は苛立たしげに待っていた。

 その待っていた人物は、闇の中から浮き出るようにその建物の前に現れる。そして悪びれる様子もなく中に入っていった。


「――遅い。」

「むしろ早いぐらいだ。吸血鬼にとっては、な。」


 黒い髪に赤い眼、そして病人のように白い肌。魔王軍四天王の一つである吸血鬼、フロガはムノンの体面に椅子に座る。


「時間帯の話ではない。俺が呼び出してから、来るのが遅過ぎると言っているのだ。」


 ギロリと睨みつけるが、フロガはまるで他人事のように目すら合わせようとはしない。


「そもそもこれは貴様の失態だ。自信満々に用意した竜が、到着する前に全て撃墜されたそうではないか。何か言い訳でもあるか?」

「関係ない、だから言い訳もない。私は用意しただけ、上手く使えなかったのはお前たちだろう。」

「ふざけるな! この作戦の為にどれだけの時間と資源を費やしたと思っている! それに、オルゼイに単騎で竜を落とせるほどの実力者はいないと、そう言ったのは貴様だろう!」


 ムノンは立ち上がり声を荒げる。その声の大きさにフロガは手で自分の耳を塞ぐ。

 その興味なさげな態度が余計にムノンの神経を逆撫でした。テーブルに立てかけていた剣を握ろうとして――やはりやめた。ここで目の前の吸血鬼の首を刎ねる価値はない。彼の将としての合理的な部分がそう判断した。


「チッ……まあ良い。それなら次は何をするつもりだ。敵方には凄腕の魔法使いがいるようだが?」

「魔法使いなど恐るるに足らん。混戦になれば味方を巻き込んでしまうような大魔法は使えなくなる。そのような状況を作ってやればいい。」


 その通りではあるが、それが難しいからこそ簡単にオルゼイに攻め込めなかったのだ。この世界において強力なのは籠城しての一方的な魔法戦である。魔法を抜けた奴は数の差で倒してやれば良いし、魔法を打ち返そうにも事前に防衛システムを構築している相手に撃ち合いで勝つのは現実的ではない。

 数の差は歴然だが、ここで多くの戦力を失うのはヴァルトニアとっても良くない。だからこそ魔王軍が力を貸せるこのタイミングまで待ったのである。

 その策の一つが竜だった。上空からの爆撃でリソースを吐かせ、その隙に正面突破を狙う手筈であり、実際に竜が辿り着けていれば相手を追い込むことができただろう。


「竜以外で、ローランスを落とせる方法があるのか?」

「当然だ。魔王軍は人のものとは比べ物にならない程の兵力を備えている。あの竜でさえその末端にすぎん。」


 その話は要領を得ない。しかしそれは会った時からずっとそうだ。ムノンは何も言わず次の言葉を待つ。


「それに今回であれば、私一人が出向けば済む話だ。それだけであの街は簡単に陥落する。」

「……単騎で乗り込むつもりか。まあ、上手くいくなら何でも良いが。」

「安心したまえ。この私がわざわざ出向くのだから、失敗は有り得ない。お前は私の合図の後に軍を前に進めるだけでいい。」


 どれだけ強くとも、数千人の兵士を前に勝つのはほぼ不可能だ。撹乱はできるかもしれないが、徐々に追い詰められて死ぬだけで自殺行為に近しい。

 それでもフロガはできると言った。まさか決死の特攻をしかけるわけでもないだろうし、策があるはずだとムノンは自分を納得させる。そうでなくては首を刎ねたくなる。

 そもそも、本来ならいないはずの援軍だ。程々に期待するぐらいが丁度よいというもの。


「時間は明日の夜……そうだな。ちょうど今の時間帯にしよう。準備ができれば分かりやすい合図をしてやる。」

「……わかった。それならばもう話は終わりだ。貴様と話していては頭の血管がいくつあっても足りん。」


 そう言ってムノンは立ち上がる。


「ああ、そうだ。お前達の女王陛下は元気かな?」


 足早に立ち去ろうとしていたムノンは立ち止まる。

 由緒正しきヴァルトニア王家の女王、カーシャ・ムカーライ。ヴァルトニアの全土を支配する独裁者にして絶対の女王。兵士達は当然、唯一の女王に忠誠を誓っている。少なくとも表向きは。


「知るものか。どれだけここから王都が遠いと思っている。お前の目で確かめれば良かろう。」

「私のような魔力の高い存在は、近付くだけで兵士に目をつけられてしまうから駄目だ。是非、あの血を啜ってみたかったのだが。」

「……変な気は起こすな。俺の責任になるような事だけは控えろ。」


 それだけ言い残してムノンはこの場を去った。この話はこれ以上したくないと、そう言わんばかりに。


「……人というのは面倒だな。あれほど強くとも自由に生きられないとは。」


 フロガの体は再び闇の中に溶けていく。もうその部屋には誰も残っていなかった。

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