34.駒を一つ

 街道に沿って進んでいくと、次第に草よりも家の方をよく見るようになる。しかしその家の中に人影はない。別に荒らされた形跡もなく、人だけがいなくなったようだ。

 ちらりと窓から見える家の中はほとんどが綺麗で、いきなり追い出されたという風でもないらしい。つまりこの地から出て行かなくてはならなくない理由があった、というわけだが。


「……流石に情報不足ね。ヒカリは何か思い当たりがある?」


 ダメ元で聞いてみたが、意外にもヒカリは覚えがあるようで頭を捻る。


「どこかで見たことがある気がするんスよねえ。既視感、という程じゃないッスけどこの感じの建物の並びを見たことがあるような、ないような。」


 ヒカリが行った事のある街なんて限られている。召喚されたリクラブリア王国、内乱が起きたヴァルバーン連合王国、カリティと戦ったホルト皇国、賢者の塔があるロギア民主国家。その内のどれか、あるいは所縁のある国だとフィルラーナは推測する。

 なんとなく、推測は色々と立つが全てが推測の域を出ない。だから口に出さずに考え込みながら街道を進んでいく。

 もしもこの街全体に誰もいなかったら飢え死にするかもしれない。それだけは怖いのでゆっくりと街を調べる余裕はない。とにかく身の安全の確保が最重要事項だ。


「それにしてもその馬鹿、まだ起きないの?」

「馬鹿って……先輩のことッスか?」

「それ以外にどこにいるのよ。助けに来たのに後輩の背中に乗り続けて目を覚さない、一級品の馬鹿じゃない。」


 その言葉にヒカリは少し腹を立てる。仮にも尊敬する先輩をそこまで言われて、眉一つ動かさないなんて事はできない。

 フィルラーナはやっぱりアルスにだけ厳しい。他の人には実力以上の事を求めないのに、アルスだけは更に上を要求する。だから少し怖くても、ヒカリは口を開いてそれを尋ねる。


「どうして、先輩にそこまで厳しいんスか?」

「……厳しい? 私が?」


 自覚がなかったのだろうか、不思議そうな顔をする。


「厳しいッスよ。だっていつも、先輩はボロボロになるまで頑張ってるじゃないッスか。」


 少なくとも前世のアルスを知るヒカリにとって、これ程に頑張っているだけで異常な事だ。

 元々、アルスは完璧な人ではない。努力にも限度があるし、精神的な負荷も大きいだろう。これ以上を求めるのはあんまりだ。ヒカリはそう思ったのだ。


「――そんなこと、考えもしなかったわ。」


 逡巡の後に、そんな言葉をこぼす。


「確かにそう。私は少し厳しいかもしれないわね。少し反省するわ。」


 そう言って、何事もなかったかのようにフィルラーナは歩き続ける。それもまた、嘘はないとヒカリはわかった。

 あまりに拍子抜けだ。いつも理性的で理論的なフィルラーナが、感情だけでアルスに厳しくしていたみたいな、そんな様子であったからだ。

 てっきり何かちゃんとした理由があると思っていただけあって、余計にヒカリの心は落ち着かない。


「……ヒカリ。あなたもアルスも、私の事を過大評価しているわ。」


 そんなヒカリの心の中を見透かすようにフィルラーナは言う。


「あなた達、私に任せておいて考えを放棄する事があるでしょう?」

「そ、そうッスか? 考えてない事はないつもりッスよ。それより先にフィルラーナさんが答えを出すだけッス。」


 フィルラーナがいると必ずフィルラーナが音頭を取ることになる。彼女より早く、適切な答えを出せる人物は稀だからだ。確かにそれに慣れて、少し甘えている自分がいることをヒカリは感じた。


「別にそれは構わないのだけれど、私がいつだって正しいとは思わないで。私だって間違うことはあるし、こうやって反省もするわ。」

「えー……本当ッスか?」

「何で本人がそう言っているのに疑うのよ。」


 ヒカリはまだいまいち納得できていない。流石に未来予知はできないだろうが、それに近しいレベルの予測でフィルラーナは最善手を取る。

 そんな運命神の寵愛を受けた彼女が間違うなんて、ヒカリには想像しづらいし、それはきっとアルスにとっても同じことである。


「魔界に連れて行かれたのも私の失策だったじゃない。不用意に街に出てしまったんだから。」


 あんな事を誰が予測できようか、という話だがフィルラーナに言わせれば失策だったらしい。


「あれはしょうがなかったじゃないッスか。あの時には護衛の人もいたんですし――」

「――待って、誰かこっちに来ているわ。」


 ヒカリの話は遮られ、フィルラーナは前を指差す。街道を走ってこちらに近付く人がいた。誰もいない街道ではそれがよく目立つ。


「敵ッスか!?」

「安心なさい、嫌な予感はしないわ。こっちに向かってくる理由はわからないけど。」


 豆粒ほどの大きさに見えていたその人物は、近付くにつれその姿がよく見えるようになっていく。その人物の走る速度が早いのか、その顔を認識できるまで直ぐだった。

 汗を垂らし息を切らすその人物が目の前に来るのは、目視してからほんの数十秒だった。


「――ティルーナじゃない。偶然ね。」


 片目が隠れるような特徴的な髪型は、ティルーナに間違いなかった。ここまで全力疾走で来たらしく、既に疲れ果てた様子だった。


「よ、よくぞご無事で……!」

「あら、私が魔界に行っていたのを知っていたの?」

「行方不明な事だけは、知っていました。魔界にいるのではないかと予想していましたが、その通りで良かったです。」


 良かった、というのはアルスを向かわせて良かったという事だろう。そうフィルラーナは解釈した。


「……色々と気になる事はあるけど、まず最初にこれだけ教えてくれるかしら。ここは一体どこなの?」

「ヴァルバーン連合王国オルゼイ領のテュルパンです。現在は独立したヴァルトニアと戦争中となります。」


 そう言われて、流石のフィルラーナも目を細めて考え込む。

 何故ティルーナがここにいるのか、何故この周辺に人影がないのか、一つ一つ丁寧に紐解けば答えは見えてくる。更に言えばその先も。


「ああ、なるほど。名も無き組織が焚き付けたのね?」

「確かに名も無き組織とヴァルトニアは同盟を結びましたが……どうしてわかったのですか?」

「前にも内乱に関わっていたじゃない。何もなしに独立はしないでしょうし。」


 ヒカリは話についていけてないが、口を挟まずに黙っていた。考え込むフィルラーナには、簡単に話しかけられないオーラがある。


「それより、どうして私だって気付いたの?」

「風が強くなったので、何かあったのではないかと望遠の魔道具を使ったんです。そのタイミングでたまたま、フィルラーナ様が落ちるのを見てここまで走って参りました。」

「そう、疲れているところ悪いわね。助かったわ、ありがとう。」


 その一言を聞いてティルーナは天を仰ぐ。ニヤケが止まらないのを必死に我慢していた。もはやここまで走った疲れはこの瞬間に消し飛んでいた。

 それを見ないフリをしながらフィルラーナは口を開く。


「申し訳ないのだけれど、休む前にアルスを診てくれないかしら。戦争に介入できる駒が欲しいわ。」

「戦争に介入って……よろしいのですか?」


 フィルラーナは王国の重要人物だ。そんな人物が国の許可なく、いくら名も無き組織の同盟国とはいえ介入するなど問題になりかねない。

 それを懸念してのティルーナの問いかけであった。ただその程度の事はフィルラーナも頭にある。


「アルスがたまたまオルゼイにいて、たまたま戦争に巻き込まれ、たまたま自衛のために敵軍を倒した。そういう事にしておきなさい。どうせ私は急病で休んでいる、ということになっているんでしょう? それなら私が命令を出せなかった理由にもなるわ。」


 話を聞いて直ぐにこの決断をくだせる、その思い切りの良さがフィルラーナの強みだ。だからこそ安心してティルーナは動ける。

 さっきから休みなしで働いた上、ここまで全力疾走した後だが構うものか。ティルーナにフィルラーナの期待を裏切る事などできるはずがなかった。

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