33.手に剣は無く

 3人の眼前にいるこの悪魔は、きっとアルスが起きていたとしても勝てるか怪しいほどの強敵だ。異世界での長く濃密な経験はそれをヒカリに告げる。

 逃走は不可能、交渉は失敗、それなら大人しく死ぬだけなのだろうか――?


(いや、それでも私の命をかければ時間を稼ぐことはできるかもしれない。)


 どうせ死ぬのなら少しでも価値のある死に方を。

 手は微かに震える。敗北が決まっている戦いを、それでも挑まなくてはならないのは恐ろしい。しかしそれよりも、目の前の人をただ失っていく方が恐ろしい。

 聖剣を抜こうと力を込める。これだけ緊張していても、神が与えたスキルはしっかりと応えてくれる。


「落ち着きいや。剣を抜くにはまだ早い。」


 その覚悟を見透かすように、プラジュは前に出る。あまりにも気が抜けていて、あまりにもいつも通りに。


「道案内の御礼、これでええか?」


 フィルラーナはその言葉の意味を一瞬理解できなかった。しかし直ぐに頭を働かせる。結論に至るのは、そう遅くはなかった。


「あなたは、まさか――」

「良さそうやね。それならええわあ。借金がなくなったみたいで集中できる。」


 悪魔、ベリアルとプラジュの視線はピタリと合う。ベリアルの表情は変わらず、反対にプラジュの口は弧を描く。

 ベリアルはもはや、他の2人を見ていない。全神経をたった1人の年寄りの女に向けていた。


「それ以上近付くな。さもなければ殺す。」

「ごめんなさい。最近、耳が遠くて聞こえへん。」


 前に進むプラジュへと、ベリアルは魔力を走らせる。魔力は雷となりて一瞬でプラジュもろとも一帯を飲み込み――


「――遅い。」


 4

 一体何がそうさせたのか、ベリアルでさえもわからない。プラジュは剣を持っていないはずなのに、まるで剣に斬られたかのような感覚だった。


「改めて自己紹介を。うちはプラジュ。プラジュ・。」


 それは、剣士であるからには必ず知っている名前だ。人類最強の剣士、『無剣』のエーテル。剣すら持たずとも、敵を斬れるという逸話を持つが故に『無剣』。


「ヒカリ!」


 フィルラーナが名前を呼んで、ヒカリはハッと正気に戻る。そして直ぐに求められていることを理解した。

 ベリアルは身体を斬られている。今が大穴を通る最大のチャンスだ。フィルラーナはアルスの上からヒカリにしがみつき、大穴を指差した。


「だけど、多分届かないッスよ!?」

「いいから! 私がなんとかする!」


 2人分の重量を抱えながら、ヒカリは助走をつけて大きく跳躍する。しかし1メートルばかり届かない。むしろここまで跳べた事を褒めて欲しいぐらいだ。

 だから後はフィルラーナがやる。伊達に第二学園を卒業してはいない。錆びついていたとしても、得意魔法が攻撃魔法でも、この距離の大穴に身体を飛ばす事ぐらいできる。


「『風槌ウィンドハンマー』」


 ガン、後ろから強い衝撃が来る。それは勢いを失いかけていた3人を、大穴の中へと弾き飛ばす。痛みでフィルラーナは苦悶の表情を浮かべた。

 もうここまで来れば止まらない。黒い穴の中に体が溶け込んでいく。


「どうか元気で。黙っとってごめんな。」


 そんな簡潔なプラジュの別れ言葉だけが聞こえて、三人は大穴の中に消えていった。

 残ったのは四分割されて地面に転がるベリアルと、杖を持ちながら退屈そうにそれに近付くプラジュだけだった。


 悪魔は魔力生命体だ。肉体というのは魔力の発露の形の一つに過ぎず、どれだけ傷がつこうと魔力さえあれば無限に再生できる。ベリアルの四肢は再び繋がり、何事もなかったかのように元の姿に戻った。

 その顔はさっきまでのような冷静なものではない。怒りだ。怒りが彼の顔には宿っていた。


「……貴様、何をした?」

「言われなわからへんなら、永遠にうちには勝てへんよ。」


 プラジュは不敵に笑う。


「読み切ってみい。それができたら、うちに勝てるかもしれへんな。」


 期待するように、プラジュはベリアルを見た。






 大穴を抜けた先、そこには何もなかった。

 強いて言うなら雲があった。彼らは上空数千メートルに放り出されたのである。


「――聖剣『如意輪』!」


 ぐるりと聖剣を回すと、聖剣は白い輝きを放ち障壁を展開する。3人を中心としたその障壁は、周囲の環境から中を守る。風やら気圧やらは取り敢えず問題なくなった。

 しかし未だ落ち続けている。この障壁が落下の衝撃まで抑えてくれるかヒカリは自信がない。


「何で地上じゃなくて、こんな上空なんスか!」

「そこに入り口があるのかもしれないわね。天界もそうだったわ。」


 慌てるヒカリとは反対に、ヒカリにしがみつくフィルラーナは冷静だった。


「……上に飛ばすのは難しいの。常に風を操作して、バランスを保たなくてはならないから。私にとっては安全に落ちる方が簡単よ。」


 地面が近付いていくのがよくわかった。パラシュートなんてものはないし、衝突するまでおよそ30秒。30秒もあれば魔法の準備は整う。


「だけど完全に勢いを殺すことはできないから。そこだけは気をつけて。」


 地面が近付いた瞬間に下に向かって風を吹かせる。当然、それによって落下の勢いは急速に弱まった。

 ただ、綺麗に着地できるような調節はできない。一瞬だけふわりと地面の近くで浮き上がって、そこから地面に叩きつけられた。そのまま落ちるよりは何倍もマシだが、それでも打ち付けた体には痛みが残る。


「……思ったより、痛いわね。長い間安全な場所にいたせいで痛みに弱くなったかしら。」


 そう言いながらもフィルラーナは立ち上がり、周囲の状況を確認する。

 風によって、少し離れた場所にアルスとヒカリは着地していた。ここから見る限りでは2人とも無事なようである。それならば場所は、と思って辺りを見渡す。

 まばらに家が並んでいて、遠くには大きい教会も見える。察するにここは街の外れなのだろう。だが景色に覚えはなく、グレゼリオンであるかは怪しい。


「グレゼリオンの田舎か、他国の領地か。」


 思いつく可能性は2つ、フィルラーナが期待するのは前者だ。外交的な問題となればフィルラーナが背負う面倒事が増える。

 色々な事を考えている内に、アルスを背負うヒカリがここまでやって来た。未だに目を覚まさないアルスに溜息を吐くが、反応することはない。


「大丈夫ッスか、フィルラーナさん。」

「私は大丈夫よ。この状況が良いかはわからないけど。」


 ただでさえ魔界の旅で疲弊している。これ以上の苦労は勘弁願いたい所である。


「取り敢えず、教会を目指しましょう。教会ならきっと悪いようには扱われないはずよ。」


 困った時は教会か冒険者ギルドへ。子供でも知っているような教訓だ。実際、どこに行ってもある程度の信頼度がある組織である。

 2人は歩き始めた。休みたいところではあるが、ここがどこかわかる前に立ち止まるのはよくない。


「フィルラーナさん、プラジュさんのことって知ってたんスか?」


 ついさっきの驚愕は未だに残っている。ヒカリが気になるのも同然と言えた。


「知らないわ。というか、エーテルのフルネームなんて初めて知ったし、あんなに年老いているとも思わなかった。元々、神出鬼没であまり表舞台に顔を出さないんだもの。」

「そうッスよね。最初から言ってくれれば良かったのに……」


 ヒカリは不満を吐きつつも、あれだけ有名なら名前を隠すのも仕方ないと自分を納得させた。それに、隠し事をされていたことはヒカリにとって大した問題ではない。

 もっと問題なのは、あんなに急の別れとなったこと。最後にお礼を言えなかったこと。そして無事にプラジュも帰れるのかということだ。


「大丈夫ッスかね、プラジュさん。」

「きっと問題ないわ。世界最強の剣士の名は伊達じゃないわよ。」


 ヒカリは一緒に旅をしていて、とてもそこまでの剣士とは思えなかった。それは知らなかったのもあるが、プラジュから剣士としての覇気だとかそういうのを一切感じなかったのだ。

 ヒカリの中では気の良いお婆ちゃん、という印象のままだ。とても世界最強の剣士だとは思えない。


「……また、会えるといいッスね。」

「そうね。私たちが無事に帰れるなら、きっとまた会えるんじゃないかしら。」


 見知らぬ地で、まだ旅は続く。

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