32.持久戦

 最前線の街、ローランスにて戦争の火蓋は落とされた。最初は魔法による牽制、そして国境にある川を挟んでの攻防が始まった。

 オルゼイに地の利があること、そして相手がまだ様子見の段階であること。その2つが相まって戦線は維持できていた。

 しかし、戦況は決して良い状態とは言えない。


「――治療が終わりました。次の患者を。」


 ローランスより少し後方の街、テュルパンに医療部隊は集まっていた。ここにいる癒し手の数は百人ほど、それを補助する人が更に数十人だ。

 魔法を食らい全身を焼かれた者、戦いの中で腕を斬られた者、限界を越える量の魔法を使い意識を失った者。どれも平時の教会では救急患者として扱われる病人であり、そのような患者が数え切れない程に並んでいる。

 既に、ここに来る頃には息絶える者だっているのだ。命がある事でさえ幸運と言えるだろう。


 また新たな患者のもとに道具を持ってティルーナは駆けつける。その者はまだ意識はあるようではあるが、腹に大きな傷が入っており、夥しい量の血を流していた。

 その者は治療のために伸ばしたティルーナの腕を、己の血で濡れた手で掴む。手袋をつけているため肌に血はつかないが、それでも体温は伝わった。


「先生、俺は、助かりますか?」


 ここまで重症だというのに、ハッキリとした口調でそう言った。そこには人が生まれながらに持つ生への執着があった。

 ティルーナはしっかりと患者の目を見て話す。


「……ええ、安心してください。私は『聖人』デメテルの一番弟子ですから。」


 それを聞いて安心したのか、患者は瞼を閉じていく。掴む手の力が弱まったのを確認しながら直ぐに治療に入る。

 回復魔法で無理矢理全ての傷を治すことは可能だ。しかし、それは魔力消費が大きいし後遺症が残りやすい。ただ治すだけでは三流である。

 より多く、より早く治す者が良い癒し手だ。それを嫌というほどこの戦場で感じていた。


 傷口の汚れを風属性と水属性を使い素早く取り除き、雷属性による電気を流したメスによる止血、木属性の魔法で作った細い糸のような根を使い縫合を行う。

 それをティルーナは10分で終わらせる。人の体内の、より緻密な魔力制御が要求される治療をここまで短時間で終わらせる事は普通できない。デメテルとの長い修業の旅がこれを可能にさせていた。


「次は――」


 視界が一瞬だけ揺らぐ。その時になってやっと自分が疲れていることをティルーナは理解した。立ったままではいられず、近くの壁にもたれかかる。


「ティルーナ様、大丈夫ですか?」


 近くにいた癒し手が声をかけてくれた。


「一度休憩を取られてはどうでしょう。もう半日も休みなしで働いているのですから。」

「……そうですね、私が倒れては逆に負担が増えます。数時間ほど仮眠を取ってきますね。」


 ここ数日、まともな睡眠を取った記憶はなかった。全体を指揮する都合上、治療以外の作業もあった。休めても3、4時間程度である。この程度の睡眠量ならほとんど徹夜と変わらない。

 休む場所は治療を行っていた教会から少し離れた宿屋だ。今は特別に癒し手達の拠点として貸し切って使われている。


『主人、これに何の意味がある。』


 教会の裏口から出たフィルラーナの影からサブナックは語りかける。戦争が始まってから、初めてサブナックは口を開いた。


『この調子ではいつかローランスは決壊し、前線を大きく下げることになる。そうなればもう、勝負にすらなるまい。』

「何故、そう思うのです?」

『ヴァルトニアはまだ主力を残している。これは様子見をされているだけだ。』


 それはティルーナも薄々感じていた事である。サブナックの言う通り、これは始まる前から負け戦だった。いや、そもそも標的にされた時点で、ヴァルトニアの奴隷になるか戦って死ぬかの二択しか用意されていない。

 敵の目的はオルゼイの土地を手に入れる事だけ。ここに住む者を大切に扱う理由などない。


「それでも、死人の数は減ります。」

『敗戦し、国民全員が皆殺しにされたとしてもか?』

「……」

『有り得ない話ではない。私はそういう国を幾度も見た。』


 サブナックは苦しめようとしてこれを聞いているわけではない。ただただ疑問なだけだった。


「それなら、あなたはどうにかできるのですか?」

『無理だ。シャヴディヴィーアでも独力でこの戦況を覆すことはできない。筆頭騎士なら、話は別だが。』

「無理ならもう黙っててください。私は今、私にできる事をやるしかないんです。」


 一方的にティルーナは話を打ち切る。サブナックもそれ以上話すことはしなかった。


『……やけに風が強いな。』


 少し時間をおいて、サブナックは話を変える。

 言われてみれば確かにかなりの風だ。これから嵐でも来るみたいな、そんな強い風である。


「何か、来ている――?」


 風の音に消されて声は響かない。ティルーナの心は妙にざわついた。






 場所は変わって、ローランス上空。テルムは一人で戦況を見下ろしていた。

 浮遊属性による飛行は魔力消費が少なく目立たない上、長時間の飛行を確認とする。通信の魔道具を用いて上空から敵の動きを報告し続けていた。

 地味な役割ではあるが、これによって敵の動きを先回りして動けていた。


「このままじゃジリ貧だ。何か、何か手は……」


 悩んでいても打開策はない。そもそも簡単に思いつくなら事前に策として取り入れているだろう。


「――ちょっと待て、嘘だろ。」


 それに均衡状態が長く続けば敵も手を打つ。敵はヴァルトニアだけではない。手を組んだ名も無き組織、そしてそれに手を貸す魔王軍までもが敵となる。

 それをテルムはまだ、この時まで、真の意味で理解できていなかった。


 空を駆ける竜の姿を見た。

 それも一匹や二匹ではない。十匹近く存在する。竜というのは爆撃機のようなものだ。あんなものが空から攻撃してくれば戦況は一気に傾く。

 世界最高峰の魔法使いが集まる賢者の塔とはわけが違う。ただの人に竜を落とす手段はない。それはテルムも同じだ。


「ふざけんなっ! そんなん勝てるわけねえだろうが!」


 理不尽を前にテルムは慟哭する。それでも竜は止まらない。

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