31.終点の大穴

 黒い蛙の後ろについて行き始めてから、およそ数十分経った。

 壁をすり抜けた先にある通路を通ったり、見えない階段を登ったり、様々な仕掛けを越えて歩き続けた。この城がどれだけ大きいかなどもはや語るまでもない。

 着実に旅の終点に近付いていた。長い長い旅もここで終わりを迎える。


「――壮観ね。」


 城の中央部にして最上階、この黒き城を一望できる正円の広間のような場所に辿り着いた。屋根はなく、屋上という表現が適切だろう。

 その広間は数百人が走り回れる程の面積がある。蛙は階段からこの広間に来て、そして中央にまで辿り着いて動かなくなった。どうやらここが目的地であるらしい。

 事実、答え合わせをするように広間には寝転ぶ一人の男がいた。


「先輩、大丈夫ッスか!?」

「慌てなくても大丈夫よ。頑丈だし。」


 ヒカリは気を失うアルスのもとに駆け寄り体を揺するが彼は目を覚まさない。その体や服はところどころ血で汚れているが、傷自体は塞がっていた。

 フィルラーナの言った通り、意識がないことを除けば極めて健康体である。


「いつも、私の理想に一歩届かない活躍をするわね。冠位になってもそれは変わらないわ。」


 いつも通り辛辣な言葉を吐き捨てるが、当然アルスが目覚める気配はない。


「……そこまで言わなくてもいいんじゃないんスか? 先輩のおかげで出られるわけッスし。」

「アルスにはこれぐらいやってもらわなくちゃ困るわよ。私の騎士なんだから。」


 どうもアルスにだけ求めるレベルが高いようにヒカリは感じた。ヒカリが何かをできない時は仕方ないと言うのに、アルスにはそれを許さない。


「フィルラーナさんは、どうして――」

「ヒカリ、申し訳ないけどアルスを背負っておいて。アルスが起きるまで待っていられないわ。」


 ヒカリの発する疑問は言いかけた途中で上から被せられた。わざとそうされたのか偶然か、ヒカリには判断がつかなくてこれ以上は聞けなかった。

 元々魔法使いで体格も良いとは言えないアルスを背負うのは難しくなかった。特に異世界に来てから鍛え始めたヒカリにとっては。


 蛙は放っておくと、その顔を上へ向けて足を深く曲げ始める。音もなく蛙は跳ねて、その黒い体は宙に溶け出して渦となっていく。

 それは渦だ。月光すら照らすことのできない黒い渦だ。その渦は次第に落ち着いていき、気付けば伽藍とした大穴となって目の前の空に浮かんでいた。

 これが穴だと、そう理解するのに時間はかからなかった。


「これって、どないして入ればええんやろなあ。」


 まず最初に生まれる疑問をプラジュが口にする。

 上にある穴に落ちる方法なんて知るはずもない。ここから5メートルは上にあるから単に跳躍して届くかも微妙だ。


「ちょっと危ないッスけど私が投げてみましょうか?」


 闘気を使えばギリギリ不可能ではないとヒカリは判断した。アルスやフランならもっと簡単にできただろうが、ないものねだりをしても仕方ない。


「……そうね。それが最善手かしら。」

「よし、任せて欲しいッス。体育の中でも陸上競技は得意な方だったッスよ。」


 そう言ってヒカリは肩を回す。もし外せば下まで真っ逆さまに落ちるわけだが、あそこまで大きな穴であれば外しようもないだろう。

 ヒカリ1人だけならジャンプすれば穴に届く。そうすれば全員が魔界から出られるわけだ。



「――誰一人、そこを動くな。」



 邪魔が入らなければ、それは間違いなく上手くいったことだろう。しかしそうはならなかった。

 フィルラーナを寵愛する運命神は、この瞬間に至るまで一切警笛を鳴らさなかった。それは運命神でさえもこの状態を予知できなかったという事に他ならない。


 それは二本の山羊の角を生やし、左右に3枚ずつで計6枚の蝙蝠の翼、そして矢印のように鋭い尻尾を持っていた。赤い髪はゆらゆらと炎のように揺れ、生物とは思えない真っ青な肌はそれが人類種でないことを強く主張する。

 それは大穴の近くで停止し、上空から3人の姿を見下ろしていた。

 それは今までとは大きく違う。『不可避の爆炎』バティン、『戦場の王者』パイモン、『激怒の愛情』ベレト、『色欲の黒魔』アスモデウス、そして『悪魔王』バアル。その誰もがここまで直接的な敵意をぶつけてはいなかった。ここまで死を色濃く感じることはなかった。


「序列第六十八位『悪魔公』ベリアル、我が名において貴様ら人類種に審判を下す。」


 これこそが魔界からの帰還者がほぼ存在しない最大の理由。魔界に存在する七つの王が一つ、魔界の門番とも称されるベリアルが立ち塞がっていた。

 ベリアルという名前はフィルラーナも知っていた。しかし彼に関する詳細はほとんど伝わっていない。一つ、ベリアルを召喚する方法が存在しない事。二つ、彼に遭遇した人類種は基本的に死を迎えるという事。それだけがフィルラーナが知るベリアルという悪魔の全てだ。

 頭の中で警笛を鳴らし続ける運命神にもう遅いとフィルラーナは悪態をつく。そもそも一切その気配もなかったのにここまで接近されたのだ。どこに逃げても結果は同じである。

 アルスが起きていればまだ可能性はあったかもしれないが、既に悪魔王の試練によって意識を失っている。


「貴様ら人は嘘をつく。それは悪魔が人を騙すのより狡猾で、卑劣で、そして醜い。数千年も前から何も変わらぬ愚かな種族だ。」


 不幸中の幸いと言うべきか、ベリアルは言葉を使う。ただ暴れ回る厄災ではない。


「何か弁明はあるか、人類。我は公平にして公正だ。我を納得させるだけの論を持つなら示してみせよ。」


 これは曲がりなりにも審判である。相手の言葉を聞かなくては、審判を下す事はできない。

 ヒカリの視線はフィルラーナに注がれる。この場で最も交渉に長けるのはフィルラーナだ。無意識にも期待してしまう。

 しかし、どうやってこちらを殺そうとする者の溜飲を下げる事ができようか。ベリアルはもう自分の中でもう結論を出している。この結論を安易に否定すれば、それはベリアルの生きる数百年、数千年を否定しかねない。

 表面上は平静を装ってはいるが、もし機嫌を損ねれば感情の赴くままに襲いかかってくるかもしれない。自然、フィルラーナの口は簡単に開けなくなる。


「――悩んだな、口を噤んだな。」


 しかし考える時間すら、ベリアルは与えない。


「悩んで出す人の言葉は必ず嘘に汚れている。信じるに値しない。」


 ベリアルは審判という形をとって自分の言葉を正当化しただけ。元々議論を重ねるつもりなど毛頭ないし期待していない。


「自らの罪を呪え。我が貴様らに罰を与えよう。」


 翼は大きく開かれる。魔力は音を立てて唸りをあげる。死は足音を立てて近付いてくる。

 この悪魔を避けて通る事はできない。

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