30.悪魔王

 城門から城内に入ると、そこには薄暗い大広間があった。大した物は置いてなく、ただ広いだけの空間だ。その大広間から正面と左右の三方向に廊下が伸びているようである。

 正面の廊下はその中でも幅が広く、その廊下が正しい道と主張しているようだった。ただその廊下を除いても果ては見えず、左右に扉もついていない。ただ廊下が長く伸びているだけだ。


「……敷地面積の無駄遣いね。この城、空洞が多そうだわ。」


 外の壮大さとは真逆の、あまりにも大雑把なつくりにフィルラーナは不満をこぼした。フィルラーナは建築学に長けているわけではないが、この城に無駄が多いことはわかる。

 このただ長く広いだけの正面の廊下なんてその最たる例だ。無駄に人を歩かせるだけで機能性に欠ける。


「そやなあ。お金になりそうな物はなんもあらへんし、ただ広いだけやわ。」


 プラジュは杖で床や壁をつつく。物がないせいか硬質な音がよく響いた。


「こん中に長居したくはないなあ。」

「同感ね。観光をしに来たわけでもないし、早く奥に向かいましょう。」


 当然、向かう先は正面の廊下だ。廊下の横の壁に蝋燭がかけられているぐらいで、廊下は足元が見えないぐらいに暗い。それでもここまで目立つ廊下であれば進まざるをえない。

 目的は悪魔王に会うこと。王とつくからには目立つ場所にいるだろうし、目立つ道から辿り着けるはずだ。


「確か、バティンさんはここに元の世界に戻れる穴があるって言ってたッスよね。少なくとも外から見た時にはそんなもの見えなかったッスけど。」

「穴、というのは比喩かもしれないわよ。空間の歪みのようなものかもしれないし、門のようなものかもしれない。彼らが穴と呼ぶだけで本当に穴かどうかまではわからないわ。」


 なるほど、とヒカリは納得した。てっきり巨大な大穴があるとばかり思っていたのだ。


 時折、他愛もない事を話しながら長い長い廊下を歩き続ける。この城までの道のりに比べれば短いが、それでもかなり歩かされた。

 三十分ほど歩いた頃、廊下の先に光が見えた。それは蝋燭一本の小さな光ではない。そこに部屋があるという推測は真っ先に思い当たるだろう。

 廊下を歩いていくと光の発する場所まで辿り着いた。そこは想像通り部屋で、それも大きな部屋だ。扉はあるが開きっぱなしである。上には巨大なシャンデリアが吊るされており、太陽のように部屋を照らしていた。

 その部屋は廊下よりも随分と天井が高く、吹き抜けになっていることがわかる。黒と赤を基調とした美しい床や天井の模様は、先程までの長いだけの廊下とは違って芸術的だ。

 何より、奥の豪華な椅子の上に影を落とす者がいた。


「……どうやら道は、正解だったみたいね。」


 呟くようにそう言って、フィルラーナは部屋の中を真っ直ぐ歩く。閑散としたこの誰もいない部屋の中には、三人以外にはたった一柱だけ。

 赤い玉座の上で片膝を立てる、黒髪赤眼の少年のようなその王は黙って来客が迫るのを待った。典型的で陳腐に見えるはずのその冠も、赤いマントも、どれもその存在を曇らせるには至らない。

 即ち魔界の王、七十二柱の頂点に立つ存在である。


「名を聞こう。ここまで辿り着いた君達は、王を前に名乗りを上げる権利を得る。序列第一位『悪魔王』バアルの前で。」


 玉座の前で足を止めた三人に、悪魔王はそう語りかける。


「私はフィルラーナ・フォン・リラーティナ。こっらはヒカリ・アマノ、そしてプラジュよ。」


 跪く事はなく、いつも通りに堂々とフィルラーナは答える。


「目的は魔界を出ることかい?」

「その通りね。」


 バアルは顎に手を当て思案する。


「……魔界を出るには試練を受け、それを乗り越える必要がある。そうすれば君達は大穴を通り、アグレイシアに帰る事ができる。」


 ただ、とバアルは言葉を続ける。


「幸いにも君達の試練は既に終わった。俺としてはどうも納得できないが、規則は規則だ。大穴を開けてあげよう。」


 身構えていただけに拍子抜けだった。あまり釈然とした様子でない事からも、バアルにとっても予想外らしいとフィルラーナは推測した。


「試練が終わった、というのは?」

「君達の代わりに試練をやった奴がいるんだよ。今は気絶して眠ってるから、ついでに連れ帰ってくれ。」


 悪魔王の試練を肩代わりするような人物など、フィルラーナが思いつく限りでは一人しかいない。

 まずフィルラーナ達のために動いてくれる人物で、尚且つ試練を乗り越えるほどの実力を兼ね備える。それでいて連れて帰ってと言うぐらいだから、フィルラーナと同じでアグレイシアから魔界に来た人だ。そんな人物、2人や3人もいてたまるものか。


「彼は君達の居場所を知るために俺の試練を受けた。だけど褒美を与える前に君達がここに来てしまった。だから代替措置だ。彼の受けた試練は、魔界を抜け出すためのものだったという事にしておいてやる。試練を乗り越えた者に褒賞がないなんて、それはありえてはいけない。」


 バアルはそんな、悪魔らしくないことを言う。悪魔ならば既に城に到着した3人の居場所を伝えて、「ほら、お前の望みは叶ったぞ。」と言いそうなものだが。

 それがバアルの性格によるものなのか、それとも単に言っていた規則がそれ程に大事なのか。どっちであるかフィルラーナは判断しかねた。


「フィルラーナさん、その人って多分――」

「十中八九あの馬鹿よ。間違いないわ。」


 馬鹿、つまりはアルス・ウァクラートの事である。アルスを知らないプラジュは不思議そうに話を聞いていた。

 どんな手を使ったかはわからないが、魔界にアルスも来て、そしてこの城に辿り着いて試練を受けたらしい。ヒカリからすれば安心できる要素だったのだが、フィルラーナは辛辣な様子だ。


「その人はどこに?」

「大穴の近くに転がしてある。丁度良いから案内してやろう。」


 そう言ってバアルは手元の何かを投げた。それは三人の目の前でベチャ、という音を立てて落ちる。

 その泥のような真っ黒な物体は膨張し、人の背丈はあろう程の蛙の姿となる。といっても全身が真っ黒なせいか、デフォルメされた印象を受ける蛙だ。その蛙はその四つ足で跳ねて、部屋の外へと向かう。


「アレについていくと良い。俺はあそこに近付きたくないからな。」


 欲を言えば、フィルラーナはもっとバアルに質問をしたかったが、そう考えている内にも蛙は進んでいく。これはもう話したくないバアルの意思表示であるとフィルラーナは解釈した。


「行くわよ、二人とも。」

「は、はい。ありがとうございました!」


 二人は蛙についていく。しかし、プラジュは直ぐに動かなかった。


「……どうしたの、プラジュ。」


 フィルラーナに声をかけられて、ハッとしたように杖を握りしめて二人に走って追いつく。


「ごめんなさい、悪魔王があんな子供みたいな姿やと思わんくて。」


 その言葉は心の中で思いながらも、失礼だと考え口にしなかった言葉だ。尊大な様子だったバアルも少し眉を顰める。


「聞こえているぞ、女。口を慎め。」

「ああ、ごめんなさい。馬鹿にしたつもりやなかったんです。」


 そう言ってプラジュは少し頭を下げて、蛙と二人の後ろをついていく。全員が出ていくと扉はひとりでに閉じ、この玉座の間にはバアルただ一人が残った。


「……やっと面倒ごとが終わったか。まったく、余計な手間をかけさせやがって。これでもう責任を負う必要もないな。」


 玉座の上の独り言を聞く者はいない。悪魔王とはこの魔界において最も権力を持つと同時に、最も自由とは程遠い存在であるのだ。

 だから不必要な責任を取るつもりもない。


「どっちが死ぬか……こうなれば結末まで見ておくか。」

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