29.手向け

 パチリ、目を開く。目の前には無限に続く黒い空と月だけ、鬱になるぐらいに見続けた木々の姿は見る影もない。

 ヒカリが直ぐに上体を起こすとその近くでプラジュとフィルラーナが、適当な荷物を置いて作った椅子に座って休んでいた。少し遅れてヒカリは幻惑の森から脱出できたことを理解した。


「……あら、起きたのね。」

「フィルラーナさん、ここは……?」

「森から少し離れた所よ。霧に包まれた後、気付いたらここにいたの。」


 ヒカリは何があったか思い出そうと記憶を探るが、霧の中に包まれて、一人になって――その後の記憶が確かではない。

 何があったかのかを印象というか、そういう朧気なものでしか思い出せない。言語にならずに頭の中で散っていく感覚だ。

 それでも一つ、覚えていることはあった。


「私、あんまり覚えてないんスけど、アスモデウスさんに会った気がするッス。」

「アスモデウスに? 何を話したの?」

「それがどうしても思い出せなくて……でも、良い人だった気がするッス。多分。」


 そう、とだけ言ってフィルラーナはそれ以上聞かなかった。




「アスモデウスがどんな人物であれ、親切なのは間違いないわね。ヒカリ、あっちを見てみて。」


 フィルラーナが指差す方向をヒカリは見る。そこには黒く巨大な城があった。

 城を囲む長い城壁、かなりの高さはあろう城門、そして何より縦にも横にも広い壮大な城。ここから数キロは離れているだろうに、その大きさを認識できるほどにその城は大きかった。

 これに比べればパイモンの城は小さい。いや、この世に存在する全ての城が小さく見えてしまうだろう。


「あれが恐らく、悪魔王の城よ。わざわざ城の方に出してくれたみたい。」


 ヒカリも賛同するように頷く。

 これほど大きな城が悪魔王の城でなければ何だと言うのか。『悪魔王』という異名にピッタリな建築物であるからこそ、フィルラーナは確信を持てた。


「あそこにつけば、後は悪魔王と交渉するだけよ。思いの外楽だったわね。」

「楽だったッスか?」

「だって魔界なのに悪魔や魔獣と一度も戦っていないじゃない。バティンと別れてからはそれをずっと警戒していたのだけど。」


 確かにそうだとヒカリは思い出す。ヒカリが見た敵対的な悪魔はパイモンの城で襲いかかってきたカラスのようなやつだけで、それ以降は一度も敵と遭遇していない。


「うちも退屈やなぁ。もう何日も旅をしてるのに、道案内の恩を返せへんまま終わりそうやわあ。」

「……そんな事、まだ気にしていたのね。恩返しなら食料品を分けてもらった段階で終わっているわよ。食べ物がなかったらヒカリは兎も角、私は死んでいたもの。」


 プラジュの言葉にフィルラーナはそう返す。しかしプラジュは釈然としていない。どうやら彼女の中では納得いっていないらしい。


「うちにだけ解決できるようなことがあればなあ、キッチリ借りを返せて旅を続けられるんやけどなあ……」

「何もない方が私にとっては良いわよ。このまま何事もなく終わるのが一番。」


 そう言ってあの大きな城に向けてフィルラーナは歩き始める。2人はそれについていく。

 目で見える距離ではあるが、それは城が巨大であるからだ。実際の距離はかなり遠い。少なくともまた一日は歩くことになるだろう。

 ただ、ゴールが見えている分森の中よりマシと言えた。





 途中、野営を挟みながらではあるが3人は城の前まで辿り着いた。道中に面倒ごとは一切なく、ただ真っ直ぐ歩くだけだった。

 辿り着いた城壁の門は十メートルはあろうほど大きく、もし閉まっていれば開けるのは難しかっただろう。幸いにも微かに開いていた為に通れそうではあった。


「これ、勝手に入っていいんスかね?」


 扉の隙間から城を見ながらヒカリはそう言った。


「そこまで狭量ではないと信じたいところね。どちらにせよ、呼び鈴もないのだから勝手に入るしかないわ。」


 フィルラーナは躊躇せずに中へ入っていく。舗装された大きな石の道に沿って、城へと向かって歩き進む。

 不気味な程に静かで、侵入者であるはずの3人を咎めるものは何もない。ヒカリは歩く度に自分の心臓の鼓動が早まっていくのを感じた。反対に2人はいつも通りの調子で歩いていた。

 城門の前に3人は辿り着く。城壁の門とは異なりその城門は固く閉ざされていた。この城門も城壁の門と同程度の大きさで、ちょっとやそっとで開くものではないだろう。


「……ヒカリ、押してみて。」

「了解ッス!」


 ヒカリは全身を使って城門を押し開けようとする。しかしいくら押してもビクともしない。


「駄目ッス。これ、まるで地面に固定されてるみたいッスよ。」

「やっぱり、そんな気はしたわ。どうしようかしら。」


 折角目的地についても、悪魔王に会えなければ意味はない。この城門を開くことができなければ永遠にここで立ち往生だ。


「それならうちが――」


 プラジュが言いかけた途中、ズズズと大きな音を立てて城門はひとりでに動き始める。数十秒かけてゆっくりと城門は開き、そして停止した。


「開いたみたいやね。何でやろなあ。」


 プラジュはそんな呑気な感想を口にする。


「入ってもいい、という事でしょう。行くしかないわ。」

「大丈夫なんスか? 誘い込まれてないッスか?」

「それじゃあヒカリだけここに残る?」

「……いいや、ついていくッス! どうせここまで来たら行くしかないッスよ!」


 黒い城の中に足を運ぶ。当然、その中がどうなっているかなんて誰も知らない。






 一方、魔界に聳え立つもう一つの城にて。

 パイモンの眼は3人の旅路を見届けていた。ベレトに出会った瞬間や幻惑の森を抜けるまで、その全ての瞬間をしっかりとその眼に映していた。


「ああ、終わってしまう。あんなに楽しかった物語が、こうも呆気なく!」


 パイモンは嘆く。嘆かずにはいられない。このつまらなく変わり映えしない魔界において、これ以上の娯楽は早々ない。

 自室で1週間近く、腰を据えてずっと見続けてきた物語が終わる。それはパイモンにとって耐え難いことであった。

 パイモンは立ち上がって部屋から出て自分の城の中を歩き始める。


「バティン! バティンはいるか!?」


 その声に応えて直ぐに炎の悪魔は姿を現す。


「どうしたんですかい、パイモン様。」

「もうあの三人は幻惑の森を抜けてしまった! もう魔界からいなくなってしまう!」

「はあ……それの何が困るんですかい? 俺っちとしては直ぐにいなくなってくれるなら何でもいいんだけど。」


 それを聞いてはぁ、と大袈裟にパイモンは溜息を吐いた。


「だからお前は駄目なんだ。強者を見ると取り入るか逃げるかの二択しかない。手元に置くには少し恐ろしいが、見ている分はこれ以上に楽しいことがあるか?」


 そうは言われてもバティンに興味はない。バティンの興味の対象は絶対に自分を脅かさない非生物だ。臆病であるからこそ愛想取りに特化し、逃げ足を鍛えたバティンにとって生物へ関心を抱けない。それこそあの三人が邪魔だから上手く殺そうと考えるぐらいには。


「こうなったら仕方ない。バアルの領地に干渉して、適当な場所に転移させてしまおう。」

「ちょ、ちょっと待ってよパイモン様! そんな事したらバアル様にこっぴどく叱られちまうよ!」

「私としても断腸の思いだ! しかし背に腹は代えられん!」


 ここから遥か遠い悪魔王の城であっても、パイモンの権能は届く。その権能の名は『王者』、全てを見通しその配下の全てを管理する。

 たった一晩泊まっただけの微かな縁を辿って、無理矢理転移させる事だって不可能ではない。


「――ストップ、やめときなさい。」


 鼻腔をくすぐる甘い香りと一緒に、城の中に一人が忍び込む。

 幻惑の森が主、アスモデウスは煙管を持ちながら城の中を歩いてパイモンのいる場所へと辿り着いた。


「おお、久しぶりじゃないかアスモデウス。お前が私の城に来るなんて珍しいこともあるもんだ。」

「私も来るつもりはなかった。ただ、勇者の邪魔をする友人を咎めにきただけよ。」


 パイモンの眼は鋭くアスモデウスを睨みつける。アスモデウスは顔色一つ変えない。


「私を、邪魔する気か。」

「そうねえ……そうなるかしら。」


 ――瞬間、烈火が走る。

 パイモンの命令が出ずとも、主君の意思をバティンは読み取った。『不可避の爆炎』バティン、魔界で最も速い彼の一撃を避けれる者は存在しない。

 炎は一瞬でアスモデウスの体を貫いた。いくら形が重要でない悪魔であっても、それは大きな傷となるだろう。


「『眠れ眠れ神の子よ、神に代わって汝に安息を与えよう』」


 囁くような声がバティンの耳の中で響く。バティンが振り向くと、貫いたはずのアスモデウスの体は煙となって霧散していた。

 本物ではなかったと気付いた頃にはもう遅い。その香りは既にバティンの体についていた。


「お休みなさい。」


 休息を必要としないはずの悪魔が、力を失い地面に落ちる。そして死んだかのように動かなくなった。

 しかしバティンなど王同士の戦いでは雑兵に過ぎない。


「列を為せ! 我が無貌の騎士達よ!」


 耳が潰れるほどの角笛の大音量が鳴り響く。その音に呼応し、城の中から金属の全身鎧が飛び回り、中が空洞のままにまるで人のように剣や槍を構える。それが12体、パイモンを守るように隊列を組む、


「『地は我が母である、水は我が父である、火は我が愛人である、風は我が子である』」


 魔力が青く煌めき、まるで精霊のようにアスモデウスの周りを飛び回る。


「本気でやる気か、アスモデウス。殺してしまうかもしれんぞ。」

「その心配はいらないわ。私が本気を出したら、悪魔王だって敵わない。」


 2人の間に沈黙が流れる。ほんの少し魔力を込めるだけで戦いが始まる薄氷の上、二柱の王は視線は交差する。



「――やめだ、割に合わん。」



 その張り詰められた緊張感はパイモンのそんな一言で終わりを迎えた。集まった十二の鎧は城のどこかへと消えていく。アスモデウスも自分の周りを飛び回る魔力を消した。


「目先の娯楽の為に友人を失くすのは惜しい。今回はお前の勝ちでいいぞ。」

「……ありがとう。私、話せばわかると信じていたわ。」


 はん、とパイモンは鼻で笑う。


「何故あいつらに力を貸す。魅入られたか?」

「昔を懐かしんだだけよ。それと、変に旅を引き伸ばしても逆につまらなくなるだけだと思わない?」


 千里を見通す眼を持っていても、パイモンはアスモデウスの過去は知らない。何をあの人類種に重ねたのかはわからないが、最後の言葉には納得した。


「道理だな、確かにつまらんか。」


 それならばせめて最後まで、その旅の行先を見届けよう。パイモンの眼は遥か遠くの悪魔王の城を見通す。

 バッドエンドであっても、ハッピーエンドであっても、ビターエンドであっても、その旅路は見届ける価値がある。それをパイモンは確信していた。

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