17.ベレトの領地を抜けて

 時はアルスが魔界に行く二日前、つまりアルスがシルード大陸から戻ってきた頃まで遡る。

 パイモンの城を出たフィルラーナ達は隣にあるベレトの領地に入っていた。自動車となったベレトに乗っていても、目的地まではそう簡単に辿り着けない。魔界はそれ程までに広大だ。


「ベレト様に会わずに抜けられりゃ、最高なんだけどな。」


 バティンはそう呟く。それに反応してヒカリは尋ねた。


「パイモンさんみたいに、挨拶はしなくていいんスか?」

「パイモン様は俺っちの主君だから報告したんだ。そうでもないなら気付かれないまま抜けるのが一番だ。ベレト様は優しいけど、何が原因で怒り出すかわからないし。」


 それにバティンは言わなかったが、パイモンと違ってベレトは特定の住居を持たない。自分の領地で馬を走らせ、気が向いたら召喚に応じるだけの悪魔だ。いる場所が分からないんだから探しても見つかるか分からない。それなら、堂々と何も言わずに突っ切った方が楽だ。


「へえ、知り合いなんスね。」

「俺っちは顔が広いからな! 話せるやつなら大体は俺っちの友達だぜ。」


 それは逆に言えば、話せない奴は無理という事で。話せないやつが現れるかも、と思うと少しヒカリは怖くなった。


「ま、話せなくても悪いやつじゃなきゃなんとか――あ、やべ。」


 一番聞きたくない言葉が運転手バティンから漏れる。それが何なのかと尋ねる前に、車は音を立てて加速した。車内は揺れて三人は体勢を崩してしまう。


「ど、どうしたんスか、いきなり!」

「ヤバい、かなりキレてるみたいだ! やっぱり横着せずに俺っちだけ先に来るべきだったかも!」


 その次の瞬間、大地が大きく揺れて車が少し宙を舞う。まるで下から突き上げられたかのような浮遊感が彼女達を襲う。地震かと思うが、バティンの様子からそれが違うことはよくわかった。

 それならば何か。地平線まで平地が広がるこの魔界では、遠くにいるはずのそれがよく見える。いや、あれ程に大きければそうでなくとも見えるやもしれない。

 青白い巨馬の上に乗る、王冠を被った偉丈夫。それは高速で走るバティンに追いつき、その頭上にまでやって来る。


「バぁーティンッ!!」


 その怒号はどこまでも響き、馬の蹄が地面を踏むとバティンの車は大きく跳ね上がる。バティンは着地した後、流石に逃げ切れないと考えてブレーキをかけ停止した。

 その車を上から悪魔が眺める。その偉丈夫は5メートルはあろう巨馬の上に乗る巨人、もとい巨悪魔であった。


「貴様ぁ!! 誰の許可を得て人を我が領地に入れた!! その不敬、万死に値するぞ!!!」

「いやいや待ってよ、ベレト様! どうせ通過するだけの予定だったんだ。だからいらないかなって!」


 ベレトはバティンの上に乗る三人を見てふん、と鼻を鳴らした。


「御託は良い。それならばそうと事前に言えば良かったのだ。貴様は我の信頼を裏切った。その軽薄さが我は許せないのだ。」


 バティンは小さな精霊のような姿に戻り、三人は荒野の上に放り出される。ベレトの顔のところまでバティンは飛んでゆき、弁明を続けた。


「だけど俺っちの状況も分かるだろう!? 俺っちだって急がなくちゃいけないんだ。」

「どうせ急いでも変わるものか。この先は幻惑の森だ。貴様に灸を据える方が重要だ。客人はアスモデウスに任せておけ。」


 ベレトはバティンを手に摑まえる。それから馬からベレトは降り、その場にしゃがみこんで上から三人を見下ろす。


「我は序列第13位、『激怒の愛情』ベレト。魔界の七つの王の一つだ。悪いが、ここから先は歩いて行け。ここから向こうに一日程度歩けばアスモデウスの領地がある。」


 ベレトはその巨大な手でとある方向を指さす。

 それはバティンが事前に言っていた話と一致していた。序列第32位『原初の色欲』アスモデウスの領地を通らなければ、悪魔王の領地へ辿り着くことは困難だと。


「我はこのバティンに躾をせねばならん。許可は求めん。文句があるなら力で示せ。利口な返事を期待するがな。」


 その提案はフィルラーナからすればマイナスだ。この魔界の地を優秀な案内人であるバティンを置いて進むのは苦労するだろう。しかしベレトと対峙するのとどっちが損か、それを考える必要がある。


「うちはどっちでもいいよお。フィルラーナちゃんの好きなようにしたらええ。」


 プラジュはのんびりとそう言った。この状況にあっても旅慣れているからか、それとも単に呑気なだけか、プラジュは至って落ち着いていた。

 それを見てフィルラーナはより冷静になる。感情を排除して、より理論的な正解を選ぶならこれは簡単な話だった。


「わかった、それなら歩いて行きましょう。」

「……いいんスか?」

「いいのよ。バティンもそれで構わないでしょう?」


 ベレトの手の中にいるバティンは無言でサムズアップする。「そう。」とフィルラーナは言って、ベレトに背を向けて歩き始める。プラジュは直ぐにその後ろへついて行き、ヒカリはバティンとベレトに頭を下げた後に二人を追いかけた。

 三人は仲間を一つ減らし、幻惑の森へと向かう事になった。






 三人が十分に離れた後、ベレトは口を開く。


「貴様、どんな甘言を吐いた。」


 その言葉を聞いてバティンは笑う。


「……嘘はついてないぜ。俺っちは最後まで案内するつもりだったし、楽に行けるってのも間違いない。あいつらと戦いたくねえってのも本当だ。悪魔の規則には反しない。騙してなんかいねえ。」


 ギロリとその青い目がバティンを睨む。バティンは身を震わせるが、逃げることはしない。


「ただ、俺っちは楽にたどり着けるとは言ったが、たどり着けるなんて一言も言ってない。楽な道を案内するとは言ったが、楽で安全な道を案内するなんて言ってねえ。それはしょうがねえだろう、この魔界に安全な道なんてねえんだから。それなら幻惑の森でどんな事故が起ころうが、俺っちの知ったことじゃねえ。」


 ベレトはよく怒るが、それは優しさが故だ。全ての王の中でも最も優しい悪魔こそがベレトだ。どれだけ悪辣な悪魔が相手でも、殺すことは決してない。それをバティンはよく知っていた。


「運が良ければ、楽にバアル様のところまで行けるだろうな。ただ運が悪ければ、餓死するまで永遠に迷い続ける事になるってだけだ。ベレト様はどっちにしろ困らねえだろう?」


 ベレトは手に握るバティンをその場に放り捨てる。

 バティンに罪があるとするならば、楽だが困難な道と、苦労するが確実な道の二つがある事を伝えなかった事だ。それがベレトにとって気に入らなかった。


「その通りだ。だからこそ、我はお前という死の案内人を引きはがすだけに留めた。純粋な実力だけで幻惑の森に挑戦させる。それこそが我の最大限の温情である。」


 馬にまたがり、ベレトは再び走り出す。せめてこの領地にいる間は安全であるように、それが偉大なる王であるベレトができる最大限の公平であった。

 ベレトは人の味方でも敵でもない。ただ誰であってもその愛情を向けるのだ。

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