16.奇妙な悪魔
何故かティルーナを主と呼び跪く悪魔を前に、俺の頭は混乱していた。
まずこの悪魔が七十二柱である事に間違いはないはずだ。悪魔は嘘をつけないし、悪魔の召喚で悪魔以外が現れるはずもない。ただその先が分からない。
というかこの悪魔を除いて誰一人理解していない。ガレウは勿論、ティルーナでさえもだ。せめて敵対的でないだけ幸運とするべきなのだろうか。
「……ちょっと待って、今サブナックって言ったかい?」
その名前に思い当たる節があったのか、ガレウが声をあげる。
「僕の記憶が正しければ、オルゼイ帝国最後の七大騎士に同じ名前の悪魔がいたはずだ。もしかして君は――」
「それは全て、終わった話だ。」
言葉を遮り、悪魔は立ち上がる。黒いもやが一瞬だけ彼の姿を隠し、それが晴れる頃には全身につける鎧は消えていた。
エルフと見紛う程に美しい顔立ちと白い肌、そして真っ赤な眼。それはその悪魔が人であると誤認させる。闇に紛れるかのように真っ黒な燕尾服のような服装は執事のようだ。
悪魔とは、人を騙し誑かす存在であるというに彼はそれを一切感じさせない。
「私の使命はオルゼイの血脈を継ぐものを守ること。その前では全ての肩書は意味を成さない。」
五本の指を自身を拘束する結界に突き立て力を入れる。あらゆる魔法を通過させない最上級の結界は、音を立てて目の前で砕け散った。単なる腕力だけで、だ。
「『
俺はその瞬間に、手に十束剣を呼び出してサブナックに叩きつけた。しかしそれは寸前で黒い剣に妨げられる。まるで闇をそのまま形にしたような黒い剣をサブナックは握っていた。
「動くな。俺はお前を信用していない。動けば敵と見做す。」
「……何か気に触ったか、少年。主人の前で血を流させたくはないが、私の邪魔をするなら話は別だぞ。」
サブナックの体から魔力が溢れる。その魔力を見ただけでこの悪魔が相当に強いことは分かった。しかし、引き下がる理由にはならない。この場でこいつの相手をできるのは俺だけだ。俺が二人を守らなくちゃいけない。
「落ち着いてください、アルスさん。まずは話し合いからです。私たちはこの悪魔に頼みごとがあるのですから。」
ティルーナに言われて、剣を下ろして一歩、二歩と下がる。しかし警戒は解かない。いつどんな攻撃が放たれても防げるように準備をしておく。
ティルーナは俺の後ろからサブナックに話しかける。
「貴方は私たちを害する事はしませんか?」
「そう命ずるのならば。信じられないのなら、私の首を刎ねても良い。」
「いえ、それは結構です。貴方は私の言うことを聞くという事で良いですか?」
「無論その通りだ。悪魔の規則に反しなければ、私は主人の言う全てに従おう。」
ティルーナは息を一度吸い直し、そして再び口を開く。
「それなら、アルスさんを魔界に送れますね?」
「ああ、送り出せるとも。私は同行できないが。」
こんなおかしい状況でもティルーナは本来の目的を優先していた。それが冷静さが故か、それともお嬢様への忠義故かは分からなかったが。
俺としては二人を置いて魔界に行く気にはなれない。ここに悪魔と二人を残すことになってしまうからだ。俺はそこまでこの悪魔を信用できない。
「信用するのか、ティルーナ。この如何にも怪しい悪魔を。」
「それは承知の上です。確かに都合が良過ぎる気もしますが、それでも計画に変わりはありません。」
そうかもしれないが、流石にこんな悪魔が来るだなんて考えていなかった。これを疑いなく受け入れるのは流石に愚行だろう。
「おい、魔界に同行できないって言っていたが、それはどういう事だ?」
返事はない。聞こえているはずだが無視されている。俺はティルーナに目配せした。
「……魔界に戻れないんですか?」
「いや、それは違う。再び私を召喚できるとは限らないからだ。悪魔は自力で魔界から出ることを禁じられている。帰れと命じられればその通りにするが、もしそこの少年が目的を果たすことができなければどうする。賢明な判断とは言えない。」
まあ一理ある。俺が失敗した時、もしくは帰りが遅くなった時のために再度魔界に送り出せる方法があれば楽になる。
「アルスさんは魔界から出れるんですか?」
「人ならば魔界から出る方法はいくつかある。何より悪魔王に会えば魔界から出るのは難しくはない。」
ティルーナは少し考え込む。
早くお嬢様を助けに行きたい気持ちは分かるが、だからといって違う犠牲者が出れば本末転倒だ。だからそう簡単に俺は頷けない。
「行きなよ、アルス。僕らは大丈夫だ。」
そこでガレウが話に入る。
「この5年で成長をしたのは君だけじゃない。最悪、僕たちへこの悪魔が襲いかかっても何とかなるさ。それよりも、今はフィルラーナを助けに行かなくちゃ。」
いや、とてもそうとは思えない。この悪魔は俺が全力で戦ったって勝てるか怪しい。二人で戦ってもサブナックには勝てないだろう。
それでもガレウは何とかなると言った。ガレウは無理な事は絶対に言わない。信じるべき、か?
「お願いします、アルスさん。」
駄目押しと言わんばかりに、俺を真っ直ぐ見ながらティルーナはそう言った。この場で反対をしているのは俺だけになった。
こうなったらもう断れない。俺にできるのは二人を信じるだけだ。そして本来の予定通り、お嬢様を助けに行くしかない。
「……分かった。サブナック、俺を魔界に連れて行け。」
「良いのか、主人。」
「ええお願いします。」
こいつ、毎回ティルーナに確認を挟むな。正直言って聞きたい事は腐る程あるが、今である必要はない。こいつの言うことが本当なら帰る頃にもティルーナの近くにいるだろう。その時に聞けばいい。
二人の言う通り、お嬢様を助けることが今は何よりも重要だ。その役割は俺にしか担えない。
「それならば行ってこい。あの何もない世界にな。」
そう言った瞬間に俺を黒い闇が覆った。俺はそれを拒むことはしなかった。
闇が晴れるとそこにアルスはいなかった。残ったのはティルーナとガレウ、そして悪魔であるサブナックだけだ。
当初の目的は果たした。となれば、次は目先の問題である。一体この悪魔は何なのか、という疑問をティルーナは無視できなかった。
「……サブナックさん、で良いですか?」
「主人の好きなように。それよりも、新たなる主人の名前をお聞きしたい。」
そう言えば名乗っていない事をティルーナは思い出した。焦っていたので思考から抜け落ちていたのだ。
「私はティルーナです。彼はガレウ・クローバーと言います。」
「ああ、感謝する。それでは早速、オルゼイの地へと向かおう。」
当たり前と、そう言わんばかりの口ぶりだった。しかしティルーナにはオルゼイに行く理由なんてありはしない。その様子を見て、サブナックは首を傾げた。
「私を忘れただけでなく、もしや古の契約まで失伝したのか? いや、もしや敢えて……あり得る話だ。」
自分で話して自分の中で完結したらしいサブナックは大きな声て語り始めた。
「ティルーナ、貴方はオルゼイの血を引く末裔。かつての契約に従い、グラスパーナの広大な大地を統べる権利がある。」
はあ、といまいち理解できていないままティルーナは相槌を打つ。
「主人は新たなオルゼイ帝国の女王となるのだ。そのためにオルゼイへ向かわなくてはならない。」
ティルーナの疑問は更に深まった。ただ、面倒事に巻き込まれたのだな、という事だけは薄っすらと理解した。
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