44.悠久の旅路の終わり
「――肋骨の粉砕骨折、左肺と心臓の破裂、左胸の大きな裂傷、大量の出血。」
その白髪の少女は、病床の上で冷静に自分の症状を話す。つい先程目覚めたとは思えないぐらいに快活で、俺は少し驚いていながらも安堵していた。
「ま、生きているだけで儲けもんじゃな。流石はわしじゃ。」
自慢気にオーディンは笑う。
「……冗談を言う空気ではない事を、貴方は理解するべきだ。」
俺の隣で椅子に座るアルドール先生がそう言った。本当にその通りで、笑っているのはオーディンだけで俺とアルドール先生は欠片も笑っていない。
「しかし喜ぶべき事じゃろ。あれだけの重症を負って生還したんじゃから、それを祝わずしてどうする。」
「決して完治ではない。治っているのは見た目だけだという事は理解いるはずだ。その魔法が解ければ貴方は死んでしまう。その前に臓器を人工のものに取り替える必要があるのだぞ。更に言えば――」
そこでアルドール先生は言い淀む。一度息を吐き、強くなっていた語気を正して、きわめて落ち着いた口調でまた話し始めた。
「更に言えば、だ。貴方はもう二度と、以前のように魔法を使う事はできない。貴方は生き残っているかもしれないが、魔法使いとしては死んだのだ。」
言葉を選ぶ事なく、アルドール先生は直截簡明にそう言った。オーディンもそれを理解していたのか、驚きもせずただ頷く。
数百年あり続けた魔法使いの象徴は、つい昨日、終わりを迎えたのだ。
「……魔力炉を体に取り付ければ魔法は使える。無論、魔法は使いづらくなるじゃろうが仕方ない。」
「そういう問題では――」
「違う。そういう話じゃよ、アルドール。わしは長く生き過ぎた。形あるものはいずれ終わるんじゃ。」
アルドール先生は苦い顔を浮かべる。
「今まで手に入れた魔法の全てを失っても、わしは満足している。魔導会を任せられる若人がいて、学園を任せられる教え子がいて、何より誇りに思える曾孫がいる。まるで夢のようじゃと思わんか。これ以上を望むべくもない。」
その満ち足りた表情は、その言葉に嘘がない事を否応なく実感させた。
「それに損ばかりでもない。わしが大昔、自分にかけた不死の呪いも解けた。元々魂を起点とする呪いじゃったから、魂に大きな傷が入れば効力を失う。やっとこの小さな体ともおさらばできるというわけじゃ。」
これもまた本音だろう。前、不老の秘術を碌な魔法ではないと自身で言っていた。不老に対する魅力なんてとうに消え失せていたはずだ。
しかし、魔法も不老も失うという事は、それは――
「『悠久の魔女』はもう終わりじゃ。これからは長い余生をのんびりと暮らすとするわい。」
――ああ、伝説は終わりを迎えたのだ。俺を庇おうとしてしまったばっかりに、十世紀にも渡る魔女の旅はここを終着点としてしまった。
「……そうか。貴方が理解し、納得しているのならば、私は決して構わない。」
アルドール先生は立ち上がる。その表情に微かな陰りがあろうとも、それを口にする事はしない。先生はそういう人だ。
「私は賢者の塔に戻って修復を手伝う。学園長はしっかり休むように。」
「言われずとも動けんわい。見れば分かるじゃろうに。」
点滴に繋がれた腕を見せるように振りながらオーディンはそう言った。
再び、そうか、とだけ言ってアルドール先生は部屋を去った。当然、残るのは俺とオーディンの二人だけとなる。
「防音の結界を張れるか、アルス。」
「ああ、うん。」
俺はオーディンがそう頼んだ理由も聞かずに防音結界を張る。中から来る音の振動を自動的に打ち消してしまうものだ。魔法陣なしで展開し続けるのは疲れるが、仮にも賢神である俺にとって難しいものではない。
「話してもらうぞ、今まで何を隠していたのか。」
心臓が止まった、ような気がした。
「別にお主の隠し事の内容に問題はない。問題なのは、そこまで重要な出来事をこのわしに隠しておった事じゃ。」
「い、いや違うんだ、ひいおばあちゃん。別に隠そうとしていたわけじゃなくて、いつ言えばいいかわからなくて……」
「言い訳など聞きとうない。わしがその程度の隠し事でお主を嫌うと思われいたのも腹が立つ。いいか、見てわかるじゃろうが言っておくぞ。わしは今怒っている。」
魔法が使えなくなったはずなのに、その圧力は以前と変わりない。隠し事をしていたのは俺が悪かった事だし、申し開きのしようもない。
目を細めて俺を睨む姿は、心底俺に呆れているような表情だ。さっき俺を誇りに思っているとか嬉しい事を言ってくれていたが、それとこれとは別のようである。
「で、まず異世界転生をした経緯を教えろ。」
「……別に神様に会ったとかそういうわけじゃないんだ。地球で死んで、気付いたらこの世界に生まれていた。」
「じゃろうな。過去に異世界転移者や転生者と話した事はあるが、あの支配神に会ったという奴は見たことがない。」
支配神、神々の中の最高神の事だ。支配神に限らずこの世界の神は人に姿を見せない。運命神の加護を持つお嬢様だって、姿を見ることも話したこともないはずである。
彼らの存在を感じ取れるのは、神々の恩寵であるスキルだけ。会えるものなら一度は会ってみたいけどな。
「それで、何故かは分からないけど神が俺の魂にくっついて、そいつのせいで俺はこの世界に引きずり込まれたんだ。」
「……ん? いや、待て。それはおかしい。それなら何故、お主が死んだその時点で体を乗っ取らなかった。」
……それは確かにそうだ。思いつきもしなかった。
「そもそも何故、異界生まれの神がこの世界にパスを繋げられる。わしはてっきり、何らかの拍子でこの世界に迷い込んで、偶然アルスに出会ったのだと思っていたんじゃが。」
そう言ってオーディンは一人考え込んでしまう。俺には気にならないような事でも、オーディンにとっては考察の対象となるような事らしい。
やっぱりもっと早く話した方が良かったかも。そうすればわざわざ天使王の所へ行かずとも問題が解決したやもしれない。たらればの話では有るが。
「……まあ、この話は後で良い。転生したのは分かった。お主自身、何故そうなったのかも分からない、という事もな。他に隠し事はないか?」
「いや、多分、特にはないはず。」
俺の最大の秘事は転生したという事実の一点である。それ以外にわざわざ隠していた事なんてない、はずだ。
「この事、わし以外の誰かに話したか?」
「いや、ひいおばあちゃんが初めてだ。」
そう言うとオーディンはまた少し目を細めて、分かりやすく大きな溜息を吐いた。
「戻ったらアースやフィルラーナにも伝えておけ。友人は大切にするものじゃぞ、アルス。」
「……はい、分かりました。」
確かにまあ、ずっと隠し通せるような事でもない。これを良い機会だと思って伝えなくっちゃな。よくよく考えれば、それを気にするような人達でもない。
「それと、これからも励むと良い。」
あまりにも目的語が省かれたその一言に俺は疑問符を浮かべる。何を応援されているのか分からなかったからだ。
「冠位になるんじゃろ。応援をしている、と言っているんじゃ。」
ああ、なるほど。確かにそうだ。昨日今日と色々あってつい忘れていたが、俺はその為にここへ来たんだった。俺の夢はまだ終わっていない。
「言われずとも、必ずなるさ。」
「ふん、なってもらわねば困る。わしの曾孫が冠位にすらなれぬ軟弱者では困るわい。」
その通りだ、と思って俺はオーディンと一緒に笑った。
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