45.日常は未だ遠く
賢者の塔第30階層、魔導省開発局本部にて。
壊れた地面や物の修復にゴーレムや病み上がりのイーグルが走り回る中、この階層の主であるアローニアはいつも通り自分の作業スペースにいた。
彼女の目の前に転がるのは巨大な虹色の水晶で、その隣には生命科の冠位であるハーヴァーンの姿もあった。
「これが、精霊王の封印体だ。」
虹色の水晶を指差してアローニアはそう言う。その鎖に雁字搦めにされた虹色の水晶の中には、一糸まとわぬ姿のレイ・アルカッセルがいた。
「この封印は封印術と呪術の複合だ。それぞれが多重に絡み合い、難解なパズルのようになっている。これを解く努力をするぐらいなら、術者本人であるハデスを殺した方が早いだろうね。」
封印術は知恵の輪のようなもので、かけられるなら必ず解けるものである。逆に言えばかけた時点で魔法として完成しており、一度かければ術者を殺そうが封印に影響は出ない。
しかし呪術は違う。これは明確な術者へのデメリットが存在する。呪術とは自分の魂を相手の魂と繋げる、元は悪魔が使っていた闇属性の魔法だ。術者は呪いが続く限り、その維持の為に魔力を奪われ続け、逆に言えばその繋がりがある限りは必ず呪いは解けない。
と言っても、それ単体ならば繋がりを強引に切れば済む話だ。これらが組み合わさっているのが問題であった。
「どうせ今すぐは封印を解くことはできない。それなら、こんなに貴重な品を有効活用しない手はないと思わないかい?」
そこでやっと、ハーヴァーンはアローニアが何を考えているのかを理解した。
「……お前は知らないかもしれんが、それは禁忌だ。」
「禁忌? どうしてそうなるんだい?」
ハーヴァーンの一言に心底不思議そうにアローニアは返した。
「私はただ、精霊王の封印体で魔道具を作りたいだけだ。禁忌に抵触してはいない。」
「人を利用する魔法を行使してはならない、禁忌の大原則だ。」
「……? だから、人じゃなくて彼は精霊じゃないか。禁忌のどこにも、精霊を利用する魔法を行使してはならない、なんて書いていない。」
――ああ、これは話が通じない、とハーヴァーンは諦めた。
ハーヴァーンは禁忌に触れるのが絶対駄目なんて思っていない。使わないに越したことはないが、必要ならば彼だって禁忌に触れる事だってある。
しかし仮にもちゃんと会話もできる生物に対して、人ではないから危険な研究に使っても構わない、なんてぶっ飛んだ事は考えない。
「そうだったな。お前にも人の億分の一程度の倫理があると期待した俺が愚かだった。」
そもそも倫理なんてないのだ。それを理解してハーヴァーンは自分のこめかみを抑えた。
それに、ハーヴァーンとしてもこのやり方を否定する意はない。ちゃんと理解した上で禁忌に触れているのか気になっただけだ。効率だけを考えるならこれ以上の手はない。
「分かったなら結構。簡単な設計図を渡しておく。」
地面に落ちてある汚らしい紙をハーヴァーンは受け取る。ヨレヨレで折れ曲がっていて、正直言ってその場に捨てたかったのを我慢してその設計図に目を通した。
歪んだ線、解読が困難な殴り書き、インクの零した跡。捨てれば良かったとハーヴァーンは後悔した。
「……何だこれは、子どもの落書きの方がまだ綺麗だぞ。」
「清書してコピーしといてくれ。イーグルは今、他の用事があるからキミにしか頼めない。」
「はあ!? ふざけるな、アローニア! この世のどこに冠位を雑用として使う奴がいる!」
怒鳴りつけても返事はこない。アローニアはこれまた小汚い紙に何かを一心不乱に書き始めた。何度か共同研究をした事がある身だ。こうなれば話が聞こえない事をハーヴァーンはよく知っていた。
「クソ、これだから天才は!」
ああ、分かっていても、ハーヴァーンは叫ばずにはいられなかった。
賢者の塔に穴が開いてから一週間ほど、賢神が総力を上げて働き続けた事によって穴の修復とシステムの復旧にまでは成功した。しかしまだ完全な復興には至らない。
人によっては未だ働き続けていたりするし、中では住めないので下町の宿に泊まる賢神もいるぐらいだ。
冠位でさえもその例に漏れない。特に戦闘科が冠位であるヴィリデニアは今、戦闘とは対極に位置する書類仕事に追われ続けていた。
デスクの上には山積みの書類が並んでいる。国へ出す始末書、賢神達からの嘆願状、近隣住民からの苦情、商人との契約書等々。当分はずっとデスクから動く事ができていなかった。
「――随分と疲弊しているな。」
そんなヴィリデニアの部屋に山積みの書類を抱えてアルドールが入ってくる。その書類を近くの空いているテーブルに置いて、ヴィリデニアのデスクの前まで足を進める。
「そりゃそうよ。戦闘科が書類仕事をしてるなんておかしいと思わない?」
「同情はするが……私も今日で帰る。これ以上は手伝えん。」
それを聞いてヴィリデニアは天を仰いだ。
「……ああ、そうだったわね。今日までありがとう、アルドールちゃん。」
「当然の事だ。むしろすまないな。」
「いや、アルドールちゃんのせいじゃないわ。仕方のない事よ。」
ヴィリデニアの脳裏に浮かぶのは、賢者の塔の為と無茶な予算請求をして来るアローニアの顔と、ネチネチと小言を挟んでくる嫌な大臣の顔だ。
内外に厄介な奴がいれば心の休まる場所はない。加えて、二人共言ってる事は間違っていないのだから尚更だ。せめてアルドールのように優しさを向けてくれれば、と思わずにはいられない。
「これならまだあの日の方が楽しかったわ。逃げられたけど、強い子と戦えたもの。」
「……確か、ラルという名前だったな。」
「ええ、恐らく名も無き組織の幹部よ。あそこの幹部は本当に変な奴が多いわね。」
七人の内、二人を既に倒している。しかし敵の攻め手は緩まらない。むしろ本当に七人だけなのか、と怪むぐらいだ。
「名も無き組織の連中には全員逃げられてしまったからな。一人でも捕まえれば、情報の一つや二つ手に入りそうなものだが。」
「そう? アタシはそうは思わないわ。どうせ情報を吐く前に自害して終わりよ。奴らの情報管理は徹底しているもの。」
「ふむ、それも一理ある。」
そうでないなら、オルグラーを単身で突っ込ませればいいだけだ。どこにいるのか、何を目的とするのか、全く分からないからこその現状である。
「私は二度、幹部と対峙した。しかしどちらも大して戦わずに逃げられた。正直に言ってどれ程の実力が想像がつかない。貴方はどう思う?」
どう思う、とは勝てるかどうかである。
名も無き組織の強さのベクトルは特殊だ。単に強い魔法使いとか剣士ではなく、不思議な能力をそれぞれ持つ。カリティは特異な不死性と攻撃力、ニレアはあらゆる人を洗脳する力を持っていた。
未だ底は見えないが、他の幹部もそういう類いの力を持っていると考える方が自然である。
ヴィリデニアは少し机の上で悩んで、それからサラリと答えた。
「誰と戦ってもアタシが勝つわ、絶対に。」
「それを聞いて安心した。私も後ろ髪引かれずにグレゼリオンに戻れるというものだ。」
アルドールはヴィリデニアに背を向ける。
「今は貴方が賢者の塔で最も強い。その貴方にまだ戦意があるのなら、どうとでもなるだろう。」
「……そうだといいわね。」
部屋の外にアルドールは出た。ヴィリデニアは一人残った部屋で、椅子に背を預けて目を閉じる。
鍛錬はこの多忙の毎日でも欠かさない。実力は落ちていないと自負はしているが、それでも生きていく以上は歳を取る。情熱は間違いなく過去の方があった。
だから、今は別のベクトルでやる気を出さないといけないわけだが――
「今度、アルスちゃんでも誘って買い物に行こうかしら。」
そんなささやかな楽しみが、今となってはヴィリデニアにとって重要だった。
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