38.死刑は執り行われる

 開発局にて、イーグルと死刑囚の戦いは熾烈なものとなっていた。

 この世界における死刑囚というのは指折りの実力者ばかりだ。そうでなければ死刑を言い渡される事もない。しかし、長い拘束によって彼らも決して本調子ではない。それがこの戦いを成り立たせる要因となっていた。

 最前に立って戦うのは獣人であるオルトロスだ。今や数を減らす獣人の中でも更に希少、狼の獣人であるオルトロスの身体能力は並の獣人より遥かに高い。何人もいる死刑囚の中でも、彼が一番強いであろう事は疑いようがない。


 イーグルは鋼鉄の左手の甲から弾丸を放つ。空気を切り裂き放たれるその弾丸は、当たりこそすれどオルトロスに重傷を与えるには至らない。

 迫り来るオルトロスの拳を後ろに飛んでよけながら、左腕を変形させて手のひらをイーグルはオルトロスへと向ける。


「『散弾銃ショットガン』」


 大きく弾けるような音が鳴り、後ろにオルトロスが吹き飛んだ。その腹は焦げついているが、血は出ていない。与えられたのは衝撃だけだ。その馬鹿げた耐久力にイーグルは舌を巻いた。

 オルトロスは吹き飛ばされた先でも受け身を取り、四足で地面にしがみついて衝撃を殺す。


「……解せねえな、イーグル! こんなに強いってのに、何でわざわざあのクソ女の下につく!」


 彼はいわゆる、獣人らしい獣人だ。文明社会の法やルールを好まず、強者を尊び、縛られずに生きる事を至上の喜びとする。故にこそイーグルの事を理解できない。


「ここで俺と戦ってくたばる程の価値があるのか? それともお前、あの女に惚れてやがるのかよ。」

「勘弁してくれよ。俺は仕事を全うしてるだけだ。こんなに優良条件の金払いのいい職場、中々見つからないんだぜ。」


 アローニアに惚れる人は見た目だけで判断した馬鹿だけだ、とまで言おうと思ったがやめた。もし万が一、アローニアにその言葉を聞かれて機嫌損なわれたら最悪だ。こんな緊急時でもそんな事にイーグルは頭が回る。

 それに一つオルトロスが勘違いしている事がある。イーグルは死ぬ気は全くないし、ここで耐えるのも勝算があっての事だ。


「お前さんらも、檻の中に戻ったらどうだ。確かに酷い境遇かもしれないが、そこはお前さんらのしでかした事を考えれば仕方ない。死刑にされるよりは万倍マシだとは思わないか?」


 イーグルの言葉に反応する者はいない。そりゃ、こんな言葉にあっさりと従うような奴は死刑囚になったりはしない。考えてみれば当然の事だ。


「……イーグル、俺はお前がもっと賢い奴だと思ってたぜ。」

「賢いからこそ、ここで大人しく働いてるんだよ。」


 オルトロスは四足で地面を駆ける。その速度はさっきまでの比じゃない。今までのは彼にとって準備体操に近いものであった事を、遅れてイーグルは理解した。

 放たれる弾丸はその速度を捉えられず、当たったとしても致命傷にはならない。イーグルは近付いてくる狼を前にして、ただ眺める事しかできなかった。

 オルトロスの鋭い牙がイーグルの左腕に噛み付いた。普通、歯で壊せるようなものじゃない。剣でだって斬れるか怪しい代物だ。というのにとんでもない咬合力がそれを実現させる。部品を撒き散らしながら、それは噛み取られた。

 両手でイーグルの左腕を掴んで、もはや機能を失ったその左腕を体から引きちぎる。左腕を失ったイーグルは足で蹴っ飛ばされて地面に転がった。


「まっず。」


 口から機械の部品を吐き出す。

 イーグルはそこでやっと、獣人の恐ろしさを肌で感じた。獣人というのは、根っこの部分が人類種とは異なる。どちらかと言うと獣に近いのだ。文明に馴染めず、己の肉体を何よりも信用する種族。故に衰退してしまった。

 あまりにも本能的で、直感的で、そして野性的だ。逆に言えばそれが強い。迷いなく己の全身を武器とできるその野生の本能は、人には簡単に得られないものだ。


「はは、一応地方では、名が通った冒険者だったんだがねえ……」


 自嘲するように、イーグルは倒れたままそう呟いた。

 足音が近付いて影がイーグルの体に落ちる。オルトロスは拳を振り上げて、真っ直ぐイーグルの顔面へと落とした。ゴーグルが壊れ、額から血が流れる。


「何か遺言はあるか。あるなら聞いてやるよ。」


 それはオルトロスが見せる唯一の人間性であった。オルトロスは戦いに誇りを持っている。獣と獣人の最たる違いは、そこであるのだ。


「遺言、そんなに慈悲深かったのか、お前さん。」

「闘争の敗者には、最低限の慈悲を。俺は外道かもしれねえが、誇りを失ったつもりはねえ。」


 よくよく考えてみれば、頭に拳を叩き込まれて生きているのがおかしい事だ。この為にわざわざ加減をしてくれたのである。

 イーグルは魔力も闘気も動かさない。反撃の姿勢を見せれば今度こそ殺される事を理解していた。その大人しい様子にオルトロスは思わず笑みを浮かべる。

 その開かれた口から出る言葉に耳を澄まそうとして――


「馬鹿だろ、お前さん。」


 破裂音が鳴り響いた。その音の発生源はイーグルの右手に握られるの小型の拳銃。魔力も闘気も動かなくても、拳銃は引き金を引くだけでその役割を全うした。

 オルトロスの腹から血が流れる。一つ、特別な威力の高い拳銃であった事。二つ、もう反撃はしないと油断していた事。三つ、魔力や闘気の動きが全くなかった事。それがこの結果を生み出した。

 イーグルは立ち上がりながら距離を取り、拳銃を構える。


「これは立会人がいる試合じゃない。殺し合いだ。それに誇りだとか、そんなくだらないものを持ち出すなよ。」

「てめえ……!」

「第一、俺は時間稼ぎができればそれで良かったんだ。この人数を相手に、生き残れればそれで十分だ。」


 オルトロスは反射的に後ろを向いた。後ろで戦いを見守っていた他の死刑囚の更に後ろ、オルトロスが最も憎む女の姿があった。

 伸びっぱなしの、手入れされていないはずなのに美しい銀の髪、あまりにも生気を感じられない真っ白な肌、そして宝石のように美しい紅い眼。この階層の主、アローニア・シャウトがそこにいた。


「――全員、直ちに檻の中に戻り給え。」


 軽く手で押しただけで壊れそうなぐらいの、エルフよりも美しく儚い少女のその声は、この場を完全に制圧した。

 死刑囚達は知っている。この少女のような化け物の本質を、その奥底に宿る狂気を。彼女を侮ったのは、この開発局に来て初めて彼女と出会った一回だけだ。

 誰も声を発さない。それでも、檻の中に戻ろうとしないのが唯一の抵抗だった。


「はぁ……最悪だな。魔物の駆除を終えたと思ったら、今度は重要な資源を失う事になるとは。本当に勿体ない。」


 うんざりとした表情を浮かべるアローニアは、己の影に手を伸ばす。その影はまるで水面のように揺らめき、アローニアの手は影の中にある物を掴む。


 さて、魔法使いという生き物の戦い方を前に軽く説明した事があるはずだ。

 ジリジリとした持久戦、ヒリヒリとした攻防戦なんて普通はやらない。それは大抵、魔法の理解が浅い者がやる戦い方だ。魔法使いが戦う時に目指すのは一撃必殺である。

 ハーヴァーンが使った『人魚姫』のように、発動した瞬間に勝利が確定するのが理想なのだ。だから同レベルの魔法使い同士の戦いは、どっちが先にその必殺を放てるかにかかっている。

 だからアルスが四天王の一人であるエダフォスを倒した戦い方は、普通の魔法使いには通用しないのである。先に反応する間もなく必殺を放たれて負けるからだ。


 それでは、アローニア・シャウトにとっての必殺とは何か。それは銃だ。たった一つの、拳銃だ。

 血のように赤黒く、銃身は通常のものよりかなり長い。


「ふっざ、けんな! この人数相手に勝てるつもりか、ええ!?」


 オルトロスが吠える。弾丸を腹に受けたはずなのに、もうその傷は塞がっている。もはやイーグルは眼中にないし、実際そこにはもうイーグルはいない。


「――いや、もう終わった。」


 風船のように、死刑囚の内の半分近くが弾け飛ぶ。血が飛び散って、かつて人だったものの破片が地面に落ちる。


「は?」


 そんな純粋な疑問符を浮かべる声を誰かがあげる。アローニアは既に死刑囚達の目の前まで迫っていた。

 弾丸を一つ放つ。それは展開される結界をいとも容易く貫通し、一人の頭を貫いた。薬莢が残りの人数分飛び出た後には、もう全員が死んでいた。

 普通、有り得ない事だ。闘気や魔法による防御を無条件に壊せるほど、拳銃という武器は強くないはずなのだ。


「機械というのはどうも戦いに向いていなくてね。理由は単純、物理攻撃なら闘気には敵わないからだ。事実、キミはイーグルから散々銃弾を浴びてもほぼ傷がついていない。」


 普通なら、この世界において拳銃という武器は弱い。しかし、冠位が人を殺す為に特化した拳銃を作れば、それが覆る事もある。


「ハーヴァーンの生物的知識、イストの刻印の腕があって、やっと銃は兵器の領域に足を踏み出せる。当たれば死ぬ、なんて馬鹿げた事も可能になるわけだよ。今回の一件も、こいつの実験だと思えればまだマシな気分で終われる。」


 銃口は最後の一人、オルトロスへ向けられる。


「キミが最後の実験体だ、3番。抵抗しても構わない。」


 引き金が引かれる、その次の瞬間にオルトロスは駆け出した。銃の向く方向から弾丸の軌道を予想し、最小限の動きでそれを回避する。

 必殺の武器であっても、それは必中ではない。全てを避けて近付けば勝機がある。


「俺を番号で呼ぶな――!」


 狼の足は容易くその距離を詰めた。触れれば魔法使いの貧弱な体を引き裂くなど容易い。事実、オルトロスの考えはその通りである。

 近付いてくるオルトロスにアローニアは銃口を向ける。近付けば近付くほどにその銃弾は当たりやすくなる。よく狙いを定めて、銃弾は放たれる。


 銃弾がオルトロスに当たるまでのほんの一瞬、その僅かな時間でオルトロスは決断する。近くにあった物言わぬ死体を掴んで、それを盾にしたのだ。

 当たれば闘気や魔力も貫通して死ぬかもしれない。しかし銃弾の威力は並だ。魔力に依存しない盾があれば一度ぐらいは簡単に防げる。

 そして一度だけチャンスを貰えれば、オルトロスはアローニアに迫れる。


「くたばれ。」


 オルトロスはアローニアの喉元に噛みついた。喉から血が溢れ、もはや拳銃を握る力もアローニアは失う――はずだった。


「ああ、惜しかったな。」


 喉元を噛み砕かれて尚、そう言ったのだ。銃弾はオルトロスの腹を再び抉った。

 グラリと頭が、いや魂が揺らされる。体が言う事を聞かずにその場に倒れ込む。心は、意志は死んでいなくとも、体がもうその役割を失っていた。


「な、んで。」

「何で、理由は明白だ。私が喉を噛み砕かれた程度で死ぬわけがない。」


 溢れる血が止まり、逆流していき、砕けた骨も元の形に戻って、寸分違わず同じ姿に戻った。まるで最初から傷なんてなかったみたいに、いつものアローニアの姿がそこにあった。

 その特徴をオルトロスは知っている。実際に見たことはないが、噂にだけ聞いたことがある。


「きゅうけつ、き。」

「いいや、違う。私はダンピールだ。違いなく人類種だとも。一緒にされるのは心外だ。」


 ダンピールとは吸血鬼と人の混血。この世界では差別の対象にもなりえる種だ。


「だって私ほど、人らしい奴はいないだろう?」


 それを否定するはずの声は、鳴らなかった。

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