23.檻の中の死刑囚

 賢者の塔に来てから2ヶ月経った。研究は順調である。

 今は色々と試したい事を試している段階で、その中で希少属性の本質に対する仮説も少しずつ立っている状態だ。上手くいきそうな感覚はある。

 開発局に行く頻度も減ってきた。あちらとしても気になるデータはあらかた取り終えたらしく、今日は5日ぶりに開発局に来ていた。


「……ここか。」


 気分は最悪だった。開発局に来たからではなく、開発局のこの区画に呼び出された事が嫌だった。

 この区画は檻が立ち並ぶ場所だ。生物実験を行う為にマウスなどの動物や植物などが飼育されている。ここだけを聞けば他の施設と変わりはないが、一つだけ大きく違う点がある。

 それは、人体実験を行っているという点だ。


 ロギアにおいて極刑に処された者は2つの選択肢がある。1つはそのまま死刑を執行される事、2つ目はここで残りの生涯を実験動物として過ごす事だ。

 この国で唯一、開発局だけが人体実験を許されている。これに対する批判も大きいが、相手が極悪な死刑囚であるという点、それによって齎される研究成果が莫大なものであるという点、この2点で開発局は存続する事ができている。


「おいそこのガキ、ここを開けて俺を出せ。」


 道を歩く途中、一つの檻から声が飛ぶ。足には鎖がつけられていて、首には分厚い首輪がついている人が入っていた。髪も服も薄汚れていて、まともな環境でない事は確かであった。

 俺が足を止めると、その男がニヤリと笑ったのが分かった。


「俺は冤罪でこのクソみてえな場所に閉じ込められてンだ。ここから出せ。それが善行ってヤツだ。」

「……俺に言うなよ。アローニアに直談判しろ。」

「はぁ? 寝ぼけてんのか、クソガキ。あのクソ女に頼んでもそれこそ意味がねえだろうが。」


 口は悪いが状況は分かっているらしい。一体何の罪で極刑を受けたんだか。何やってても違和感はない顔はしているが。


「いいから俺をここから出せ。早くしねえとクソ女が――」


 言葉を遮るように男は叫び、地面に転がり呻き始めた。首輪から魔力を感じる。何らかの魔法が男を苦しめているのだろう。


「静かにしたまえ。キミも檻の中の物を見るな。ここは動物園ではないよ。」


 俺の背後からアローニアの声が響いた。目の前で悶え苦しむ人を見ても顔色一つ変えないのだから、この女の倫理観はやはりイカれている。

 例え悪人だったとしても、俺は目の前の人が苦しんでいるのを見るのは気分が悪い。というか人はそういうもののはずだ。


「それとも何だ。もしやキミは本当に、こいつを解放するつもりだったのかい?」

「……いや、見てて気分が悪いだけだ。」

「気分が悪い、か。キミは存外に人らしい感性を持ち合わせているのだな。その身に人ならざる化け物を宿しておきながら。」


 そりゃ当然だろ。俺はただの人で、その体にツクモが入っただけなんだから。魔法だって神が俺の中にいるからこそ人より強いだけで、その感性から能力に至るまで俺は凡人に過ぎないのだ。

 それは40年以上にもわたる前世が証明している。俺は最期の一瞬を除いて、何もできないし何も成せない凡夫であったのだ。


「クソ女ァ……! 話してねえで、さっさとこれをやめろ!」


 檻の中の男は吠える。アローニアは不快そうな顔色を見せる事もなく、その檻の前まで歩いて足を止めた。


「その気概を研究の時に発揮して欲しいものだね。ただ死ぬだけの死刑囚をここまでの高待遇で、世の役に立つような研究に参加させてあげているんだ。もっと私に協力的であるべきじゃないか、被検体3番。」

「俺はオルトロスだ! 番号で呼ぶんじゃねえ!」


 男の言葉は無視されるが、そこでやっと魔法が解かれたのか男の表情は楽になった。


「私だってキミを殺したくない。だから大人しくしていろ。補充に手間がかかるんだよ、キミたち人類種はね。」


 そう言ってアローニアは俺が来た方向へと歩いていった。俺は黙ってそれについていく。


「不満かい?」


 振り返らずにアローニアはそう尋ねた。


「ここに来た奴らは皆、口裏を揃えたように同じ事を言う。こんなもの人道に反している、今すぐ止めるべきだとね。まあ、止める事は決してないが。」


 気持ちは分かる。一般人であればこの光景に嫌悪感を感じる者が大多数だろう。正しいか正しくないかじゃなくて、人はそういう風にできているからだ。

 どれだけ憎たらしい奴でも傷には目を背けて、悲鳴には耳を防ぎたくなる。それが人という生き物だ。


「私の研究は全て人の為だ。非道と言われた人体解剖が医術の発展に大きく貢献したように、人の犠牲は魔導を大きく発展させる。キミに対する実験もその一環に過ぎない。」


 それは、忘れそうになるが分かってはいる。アローニアは人類の文明を大きく進めた。それに対して賞賛こそすれど不満など持つはずがない。


「私は研究の為なら手段を選ばない。魔導の最奥に近付けるのならば私は魂だって捧げられる。利用できるならどんな危険な物だって利用するさ。人類の為になるのならば、数千数万の人を殺すのだって構わない。」


 俺にはその言葉のどこまでが本当なのか分からなかった。アローニアは歪んでいる。本当に人類の為と思っているかも分からないし、その『人類の為』が他者と一致するようなものかさえも分からない。

 俺の体を調べて、一体それを何の為に使うかも想像すらつかない。俺とは見えてる世界が違い過ぎる。


「私に不満を言う奴らの中に、私以上の覚悟がある奴がいるはずがない。私を失望させないでくれよ、アルス・ウァクラート。キミは私に似ているからね。」


 死ぬほど嬉しくない言葉を言われて、俺はただ苦笑いをする事しかできなかった。

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