24.知識は折れる
俺は工房の中にあるボロいソファに寝転がっていて、ヒカリは椅子に座って本を読んでいた。今日は休みだ。賢者の塔に来てから何もしていない日というのはなかったのだが、今日はその日である。
むしろ二月もよく休みなく働き続けられたものだ。俺にしては頑張った。こんなに夢中になれたのは学園以来だ。
「あー……ヒカリ、向こうの戸棚に菓子って入ってたっけ。」
「あると思うッスよ。取ってきましょうか?」
「いや、あるって分かったら食欲がなくなってきた。すまん。」
会話が途切れて沈黙が響く。
頭が死んでいる事は自覚していた。研究の調子は悪くないのだが、やる事が多いし気が滅入るものだ。人には今日みたいに何も考えなくても良い日が必要である。
そろそろ良い結果が出そうなんだけど、出そうなだけなんだよな。それも俺のやる気が出ない理由の一つかもしれない。
「あ、そうです先輩。良い忘れてたんスけど、レイっていう人が来てたッスよ。」
「はぁ!?」
急激に目が覚めた。俺はソファから飛び起きて、ヒカリの方に駆け寄る。
「いつ、いつだ! 何もされなかったか!?」
「お、落ち着いてください。何もされてないッスよ。来たのは一月前ぐらいッスね。」
嘘だろ。師匠が本当に何もせずに工房を見るだけ見て帰るなんてありえるのか。いや、だけど実際に一ヶ月経った今でも変な所は見つかってない。
……一応後でトラップが仕掛けられてないか確かめておこう。引き出しを開けたら爆発するとか、スイッチを踏んだら呪いをかけられるとか、師匠ならやりかねない。
「なんか、凄い人でしたよ。心の底を見透かされているような、そんな気分だったッス。」
「それを楽しんでるんだよ、あの人は。自分自身でも気付いていないような深層心理を指摘して、思い悩む姿を見て楽しむ。そういう性格が悪い人なんだ。」
良くも悪くも、見えてる世界が違う。お嬢様曰く、師匠が全面的に協力をしてくれるなら簡単に名も無き組織は潰せるらしい。その知識も実力も両方加味してだ。
ただ、精霊王とはこの世界を管理する神々の使徒であり、この世界に留まる代わりに様々な制約を受けている。直接的に人の世を変える知識を与える事ができなかったり、限られた場所にしか現れる事ができなかったり、使える魔法が制限されていたりだ。師匠が戦えるのはいつも暮らしている山の中、全ての精霊が生まれる地である精霊界、そして今いる賢者の塔だけである。
師匠が戦えるからこそ、魔導の国であるロギアは一度も戦争をした事がない。師匠ならばここから国境にいる兵隊を皆殺しにするぐらい容易いだろうから、誰も仕掛けてくるはずもない。
「私はそんなに嫌な気分はしなかったッスけどね。」
「お前は人が良すぎる。もっと自分を大切にしなさい。」
「む、先輩には言われたくないッスよ。」
俺は人より自分を大切にしてると思うけどな。俺がいつだって動くのは他人の為じゃなくて自分の為だ。そうした方が俺の気分が良いから動いている。命をかけるのだって全て自分がやりたいからだ。
「まあ、それじゃあ互いに気をかけるって事で――ん?」
呼び鈴が鳴った。俺は話を中断して玄関の方へと向かって扉を開ける。しかし、見渡す限りに人の姿はない。そこで足元へと目を向けると真っ白な鳥がいた。
その足にはよく見ると小さな筒が括り付けられている。
「伝書鳩か? また古風な連絡方法だな。どこから飛んで来たんだ、こいつ。」
俺が筒を外すと鳥は直ぐに羽ばたいて何処かへと飛んでいった。俺は扉を閉め、その筒を開けながら部屋の中に戻る。中には一枚の手紙が入っていた。
「何だったんスか?」
「手紙らしい。内容は今から読むところだ。」
差し出し人は……ロロスだ。先代の生命科の冠位である女だ。一度会ったきりで話してはいなかったが、何の用であろうか。
『アルス・ウァクラート殿へ。貴殿の研究に役立ちそうな文献を見つけた。至急の用である為、急ぎ生命科本部である15階への来訪を願う。』
あまりにも簡潔な内容である。だが、研究に役立つ文献を教えたいだけなのに急いでいるというのはどういう事だろうか。そんなの別にいつだって良いだろうに。
しかし放っておくのも心苦しい。もし何かしら事情があって俺の助けが必要なら、それを拒むのは俺の信条に反する。
「……ちょっと行ってくる。」
「どこにッスか?」
「生命科だ。夕飯の時間までには帰ってくる。」
折角の休みだが仕方ない。少しはお世話になった人物だ。多少の義理ぐらいは通さなくてはな。
15階、ロロスと初めて会った大樹の下に俺は来ていた。集合場所は書かれていなかったし、思い当たる場所はここぐらいだったからな。
しかし大樹の下にロロスの姿はない。入口の付近にも姿はなかったし、ここでも違うのなら俺には見当がつかない。
「――おい、そこで何をしている。」
そうこうしている内に、嫌な奴の声が聞こえてきた。
俺と知り合いの生命科の人なんて俺の知る限りは2人だけ。ロロスでないのならば、当然ながらハーヴァーンを除いて他にはいない。
「俺に殺されたくなったのか、アルス・ウァクラート。」
「そんなわけないだろうが。俺は呼び出されてここに来たんだ。」
「……ロロスにか?」
ハーヴァーンは直ぐに言い当てた。俺の反応を見て正解だと理解したらしく、顔を少し顰める。
「奇遇だな。俺もロロスに呼び出されてここにいる。それで、当の本人はどこにいる?」
「知らねえよ。会ってないんだから。」
「無能めが。ただでさえ役に立たないのに、俺よりも情報を持たないのなら何の価値があるんだ。」
相変わらず辛辣な奴だ。だが、今回は俺が我慢してやろう。今ここでハーヴァーンと争う利点なんてないからな。俺が年長者として大人になってやらなくちゃいけない。
それにしてもロロスは何で俺とハーヴァーンを呼び付けたんだろうか。前はあっちから会わないほうがいいって言っていたのに。
「お前はもう帰れ。お前の顔を見ると気分が悪くなる。それにロロスの思い通りに物事を進めさせるのも癪だ。」
「それならお前が帰ればいいんじゃないか?」
そもそもハーヴァーンらしくない事だ。わざわざ人に呼び付けられて律儀に待っているなんて。何か弱みでも握られているんじゃないだろうか。
「俺はあいつに聞かなくてはいけない事がある。」
「それって何だよ。」
「お前に言う必要があるか? それとも拾った命を捨てたいのか?」
ハーヴァーンの体から魔力が漏れ出る。ここら辺が限界そうだ。これ以上にハーヴァーンの機嫌を損ねると、また殺し合いに発展しかねない。
ここはロロスには少し申し訳ないが一度帰ろう。命の安全の方が大切だ。
「分かった。それじゃあ――」
口は言葉を紡ぐのを止めた。こんな会話よりもっと重要な事ができてしまったからだ。
俺は反射的に天井を、性格にはその先、賢者の塔の遥か上空にいる何かを見た。並の魔物を遥かに凌駕する厄災級の魔力が空に浮かんでいたのだ。
隣のハーヴァーンを見ると、ハーヴァーンも目を見開いて上を見ていた。
「まさか、いや――そういう事か!」
ハーヴァーンに何が分かったのかと問い質すより先に、目の前を真っ白な光が覆い尽くした。とんでもない量の魔力の塊が、そのまま賢者の塔にぶつけられたのだと、そう理解したのは少し後の事である。
光が収まり目を開けた頃には、
賢者の塔に大穴が開けられた。
有り得ない事だった。この賢者の塔は数多の魔法使いの手によって強固な防御魔法が組まれている。指一本分の穴ですら開くはずがないのに、二つ上の階層が見えるほどの大穴が目の前に広がっていた。
優秀な魔法使いしかいないはずの賢者の塔で、この攻撃から体を守ることすらできずに焼き焦げている人がいた。
何が起きたのか、俺に全く理解できなかった。一体誰が、どうやって、どうしてこんな事を――
「呆けている場合か、無能が!」
そんな俺の意識を戻したのは、俺の肩を押したハーヴァーンだった。
「お前は自分の工房に戻れ! どうせ神秘科にも来るだろうからな!」
「来ている、何が?」
「お前は本当に脳が足りんな。あれが見えないのか?」
言われてやっと、俺は賢者の塔へと迫りくる大量の黒い影が見えた。まるで雲のように大量に空を漂うそれは、全てが魔物であった。
俺の脳裏に真っ先に過ったのはヒカリの顔である。
「俺は生命科の冠位だ。ここで全てを迎え撃つ。お前は邪魔だ、さっさと帰れ!」
俺は返事もせずに駆け出した。
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