22.天野光と草薙真

 天野光は警察官の父と母の間に産まれた。

 一人っ子で特に不自由のない幼少期を過ごした光は、両親の影響を受けて正義感の強い子として育っていった。そして自然と両親である警察官に憧れた。

 剣道を始めて、勉強にも時間を注ぎ、学校の行事にも全力で取り組んだ。とにかく、目の前の事で全力に生きていた。


 それが変わったのは中学生の頃である。


 何故か、人から距離を取られるようになった。別に虐められていたわけじゃない。ただ、近寄りがたくて嫌だって、そう言われただけで。

 天野光は天才である。自分をそうと自覚をせず、やると決めた事を最後までやり通す事ができる。何より人の言う事を正直に受け入れる素直さが何よりの強さだった。

 故に彼女を妬む人や、嫌う人がいた、いてしまった。彼女の今までの人生にはない発想だった。自分より優れている人がいるのが嫌、だなんて感情があるとは思わなかった。


 彼女は真っ先に原因を他人にではなく自分に求めた。完璧に物事をこなす事は良くないのだと、そう思ってしまった。

 だから少しを抜くと、それを見た人が友達になってくれた。天野さんも失敗する事があるんだね、と。その成功体験が彼女の考えを加速させた。

 それからちょっと、ズレた自分を作るようになった。先輩から疎まれないように砕けた敬語を使って、思ってもいないような一般論を口にして、嫌われない自分を作った。

 だって友達がいないのは寂しい。人と話したり遊んだりするのは楽しいんだから。


 いつの間にか警察になるという夢も泡のように消えて、残ったのは自身で作り上げた仮面だった。

 ちょっと優等生だけど抜けてる自分を、鼻につかないように、バレないように演出した。そこそこの大学に行って、そこそこの会社に入った。


「手、抜いてるのか?」


 それが崩れたのは、会社に入って少し経った時だった。

 偶然、天野光の教育係となった上司がいた。40歳にもなって大した役職にもついておらず、それを気にも留めていないような人だった。

 だがそんな奴が、今までバレていなかった、家族にすら悟られなかった自分の仮面を言い当てたのだ。不思議そうな顔をして。


「す、すみません。精一杯やったつもりなのですけど、何か不備がありましたか?」

「いや、仕事はちゃんとできてるんだ。怒っているつもりもない。ミスもあるけど新入社員がよくやるミスだし、これから改善できると思う。」


 それならば何の問題があるのかと、光は心の内で思った。飛び出過ぎず、凹み過ぎず、それが最も賢い人の生き方だ。より多くの人に嫌われず、より多くの人に好かれる模範の生き方だ。

 何も後ろめたい事なんてない。嘘はついているが、嘘をつかない方が敵が多くなる。だったら嘘をつく方が得に決まっている。


「いや、もしかしたら気のせいかもしれない。そうだったら本当に申し訳ないんだけど――」


 そう、思っていた。この日までは。


「――俺はできないけど、天野ならもっとできると思う。」


 何の根拠もない言葉である。楽がしたい為にそう言ったのか、それとも本当に光の本質を言い合ったのか、本人に聞かなければ分からない。

 それでも、光の心を揺らすには十分だった。


「俺は仕事が嫌いだ。暮らしていけるだけの金が溜まりきったら、さっさと辞めるつもりでいる。だけど仕事が好きな人の気持ちも分からないでもない。」


 その上司は別に特別ではなかった。頭の良さも行動力も凡庸で、特に短所もないが長所もない。掴みどころのないただの人だった。

 だけど、人の本質を見抜く力だけはあった。何故そんな力が備わったのかはよく分からないが、そんな力を持っていることが重要であった。


「天野は仕事が好きになれる人だ。だけどいつも、仕事じゃない何かに追われているような気がする。それが勿体ない。」

「勿体ない、って?」


 光が聞くとその上司は、少し悩む仕草を見せる。彼自身も何故勿体ないと思ったのかあまり理解していなかった。感覚的に出た言葉であったからだ。

 数秒の間、沈黙が響く。やっとその男は思い付いたのか口を開いた。


「だって――もっと幸せに生きれるならそっちの方がいいだろ?」


 ――それが草薙真という魔力が見えるだけのただの人と、不器用な天才である天野光が初めて瞬間だった。






「魔王が再び現れたとして、君はどうしてみたい?」


 突拍子もないようなレイの問いかけだった。どうしてみたいと言われても、ヒカリにはどうしようもないような事態ではある。

 ただ、一つ引っかかる事があるとするならば、ヒカリは曲がりなりにも勇者であるという点である。魔王は勇者が倒すもので、それは求められるままに生きてきたヒカリにとって無視できない話だった。

 だけど、未だにヒカリの中にそんな強大な力はない。大言を吐くような自信がヒカリにはない。自然と口は固く閉ざされた。


「……おっと、そうこう話している内に時間切れだ。もっと話したかったんだけど、僕は見た目通り多忙な人でね。仕事をしに行かなくちゃ。」


 質問の答えを待たずに、レイはそんな事を言った。ヒカリは助かったと思って胸をなでおろす。


「質問の答えはまた会った時に聞こう! それじゃあ、アデュー!」


 白い煙が弾け、一瞬で部屋の中を埋め尽くす。その煙は数秒で消えていき、気付けばもうレイの姿はなかった。

 ヒカリは椅子の上で三角座りをして、一人で静かに考え込む。


 今まではとにかく、生きるのに必死だった。迷惑をかけないのに必死だった。アルスの側にいてもいいように、勉強も沢山したし剣も握った。

 この世界でヒカリが心の底から信じられるのはアルスだけだ。だから無理を言って賢者の塔にもついてきた。王城の人が怖かったから。

 そんなヒカリは、この異世界で何をしてみたいかなんて考えなかった。だっていつかヒカリは元の世界に――


「本当に、私は帰れる?」


 アルスはそう言ってくれている。しかし、成果は未だに何一つない。帰れないと考えた方がより自然である。

 ならばこの世界でどう生きるか、ヒカリは考える必要がある。


「私が、なりたいもの。」


 子供の頃は警察官になりたかった。しかしそれは何故だろう。両親に憧れたからだろうか。ヒカリはどこか違う気がした。

 それじゃあ普通の人として、安全な場所でゆっくり暮らすか。それも違うとヒカリは思った。だってそれはきっと、


「私は一体、どうありたいんだろう――」


 答えは出ない。想いだけが部屋を木霊した。

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