21.先輩の師匠
アルスが工房を空けるのは珍しい事ではない。だからアルスがハデスに会いに行って一人になっても、ヒカリは慣れたように過ごしていた。
異世界に来てからもう数年経つ。不安感や孤独感は未だあれどマシになり、それより退屈だと感じるようになった。毎日本を読んで勉強をするか、剣を振るかの繰り返しで飽きてしまうのも無理はない。
しかし自分の立場を理解してもいる。個人の感情より、アルスに迷惑をかけない事の方がヒカリにとっては重要だった。
だから今日も、彼女はいつも通りに本を読んで剣を振っている。
ヒカリは自分のスキルで聖剣を呼び出し、それを片手で何度か振るい、その後に両手で持って更に振るう。その剣に流派はないが、フランに教えられた振るい方を守って、敵をイメージして剣を振るう。
力の入れ方、足捌き、剣の持ち方に振るい方。一人であっても見直す点は十分にある。集中していれば時間は直ぐに過ぎた。
「ふぅ――」
それは一区切りついて、一呼吸置いた瞬間の事であった。
「あ、終わったかい?」
ヒカリしかいないはずの工房の中から、声が響いたのだ。錆び付いた機械のように頭が回り、この工房にいる黒髪の男の姿を捉える。
非常に整った中性的な顔立ちをしていて、髪は腰に届くぐらいに長い。まるで自分の家かのように椅子に座って寛いでいた。
「ああ、別に怪しい者じゃない――っていうのは無理があるか。怪しいけれど悪い人じゃないの方が正しい。」
「だ、誰ッスか?」
ヒカリは手に持つ剣を強く握る。工房に音もなく侵入できるような者から逃げ切れるはずもない。頼みの綱は聖剣だけだった。
「僕の名前はレイ。賢神第一席にして
ヒカリはその名前に聞き覚えがあった。かつて嫌そうな顔をしながらアルスが教えてくれていたのだ。
最も強い魔法使いでありながら、最も何もできない魔法使い。そして何よりアルスの師匠であると。アルスの話から凶悪そうな人相をヒカリは想像していた為、その顔が優しそうで少し驚いた。
とにかく、敵でないのならば問題はない。ヒカリは警戒度を少しだけ緩めた。
「先輩は、アルスさんはいないッスよ。」
「そうみたいだね。だけど、今日は賢者の塔に来た挨拶って感じだから。ここに来た事をアルスに伝えておいてくれれば十分だよ。」
レイはそう言いながら、辺りの机やタンスの引き出しを適当に漁り始める。別にヒカリに何か言うでもなく、淡々と。
「あの……帰らないんスか?」
「いやあ、そう思ったんだけどね。折角の機会だし帰るのは勿体ない気がしてきた。ほら、僕の事が気になるものだろう?」
「あんまり気にならないッスけど……」
どことなく会話が噛み合っていない。ずっと独り言を話されているような感覚がヒカリにはあった。
レイは引き出しの机の引き出しの底から一冊の本を取り出した。その本をパラパラとめくって、その後にヒカリの方へと目を向けた。
「それじゃあ授業をしてあげよう。弟子の後輩となれば、それは僕の弟子みたいなものだからね。」
ヒカリは一冊の色褪せた本を手渡される。『ゆうしゃのほん』と表紙に書かれた子供向けの絵本のようだった。
「君は異世界から来て、神々から『勇者』のスキルを賜った。たまたまこの絵本を見つけたけど、君にとっても関係のある題材だね。」
さらりと、ヒカリの身の上を知っているようにレイは発言した。しかしそれで逆に信用できると思ったのか、ヒカリは手から聖剣を消した。
そんなヒカリの心情を知ってか知らずか、レイはニコニコと笑みを浮かべている。
「まあ、座りなよ。生徒は座ってノートを取るのが授業ってもんだ。」
気付けばヒカリの隣には木で作られた椅子があり、レイはそれに座るように促す。ヒカリは大人しくその椅子に座り、その対面にレイが立った。
「勇者は英雄とは違う。人々を救わなくても、誰の記憶に残らなくても勇者は生まれる。聖剣に選ばれた者は、どんな悪人だって勇者になる。」
ヒカリにとって初めて聞く話だった。今まで色んな勉強をしてきたが、そのほとんどが魔法や言語、そして現代の国の事に留まる。過去の歴史の事に関しては疎かった。
ここに来た時から当たり前のようにあった自分の力、勇者の力とは何か、聖剣とは何か、それはヒカリにとっても気になる話であった。
「初代勇者ピースフルは神から聖剣を賜った。その聖剣をもって魔王を倒して、世界最初の人間による国家であるグレゼリオンが建国された。」
この話はグレゼリオンの建国神話として有名な一節である。故にこそグレゼリオンは神に選ばれた一族であり、数千年にも渡り王国を統治し続けてきた
「それから数十年、再び魔王が現れた。そして当然、人々は聖剣を持った勇者を求める。しかし聖剣っていうのは誰にでも扱える代物じゃない。グレゼリオンは聖剣を扱える事ができる新たな勇者を求めたわけだ。」
「それで次の勇者が見つかったんスか?」
「いや、見つからなかったよ。」
あっけらかんとレイはそう言った。それでは話が繋がらない。聖剣に選ばれた者が勇者となるのならば、二代目の勇者がそこで見つかっていないとおかしいはずだ。
「二代目勇者は聖剣を鍛造した。神の鉱石と呼ばれるものを利用してね。そして新しい勇者となり、十代まで続く勇者制度を作り出したんだ。」
「……それじゃあ、初代勇者の聖剣はどこにいったんスか?」
「さあ。多分、今も王家の国庫にしまわれているはずだけど、詳しくは僕も知らない。」
この世に知られる聖剣は二種類。初代勇者が持っていた聖剣と、二代目勇者が作った聖剣の二つだ。この内で聖剣と言えば基本的に後者を指す。
初代勇者が成し遂げた事は確かに偉業である。しかしそれは神代に起きた神話の出来事だ。今や聖剣が存在したかどうかも定かではないし、初代勇者に関する記述が真実かどうかも分からない。
「君がスキルで出す聖剣は、そのどれでもない新しい聖剣だ。」
「そんなに、特別なものなんスね。」
ヒカリにはいまいちその凄さが分からない。だって聖剣を持っていたって、そこら辺の騎士にすら勝てない。それと同じ名を冠する聖剣が強いとは到底思えなかった。
レイはそのヒカリの様子を察して、少し笑みを深める。
「ああ、特別さ。君の聖剣にはまだ隠された力がある。それこそ魔王ぐらいなら倒せるぐらいの、強力な力がね。」
「本当ッスか!」
「――ただ、目覚めるかどうかは君次第だ。」
ヒカリは興奮した心に水を差される。それは想像はできていた事であるが、彼女の心を落胆させるには十分だった。
「君の聖剣は今までの聖剣と違ってスキルの一部だ。聖剣は君の精神力と共に成長する。もしかしたら、君が死ぬその瞬間まで目覚めないかもね。」
どれだけ都合の悪い事でも、どれだけ苦しい現実だってレイは容赦なく告げる。だからこそアルスは彼の下でエルディナに勝てる程に成長したわけだが、それがいつだって良いように働くとは限らない。
「話の続きをしようか。聖剣は十代目勇者まで受け継がれていって、その代で壊れてなくなった。それから魔王は一度も現れていないし、勇者だって当然現れていない。今や勇者は数百年前の伝説の存在になりつつある。」
しかしそれでも今、ここに勇者はいる。誰に知られなくても、誰に語られなくても、天野光は勇者である。
「もし、もしもの話だ。魔王が再び現れたとして、君はどうしてみたい?」
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