5.激動の一日目

 王城の廊下を真っ直ぐと歩き、自分の部屋へと戻ろうとスカイは歩く。その表情はいつもに比べて暗い。


「待て、スカイ。」


 スカイは足を止めて、声が聞こえた後ろへと振り返る。

 そこには兄が、アースがいた。二人とも目を逸らしはしなかった。既に覚悟を決めていたからだ。


「随分と急な心変わりみてーだが、何かあったか?」

「何もないさ。僕はずっと変わっていない。これが、僕の本性ってやつさ。」


 スカイは微かな笑みを浮かべながら、冗談めかしてそう言った。


「兄上には任せられない。この王選の儀では、僕が選ばれる。僕が兄上に代わって、完璧な治世をしてみせる。」


 アースは表情を変えなかった。ただ、その細い目で観察するようにスカイを見ていた。


「僕は兄上に比べて民からの評判もいい。それに今回はユリウス兄だって協力してくれる。」

「……ユリウスがか?」

「そうだよ。勝ちの目は十分にある。僕は本気で、王位を狙いに来ている。伊達や酔狂なんかじゃない。」


 アグラードル家が後ろにつくという事は、そこと交流が深い貴族はそのままユリウスを支持するという事だ。そうすれば王選期間中もスカイは大きな支援を受けれるだろう。

 四大公爵が後ろ盾につくというのはそれ程に大きい。それ故に、公爵家が王選に関わるのは珍しい。


「どうやら、本気みてーだな。」

「ああ、そうさ。兄上には、ちょっと悪いけどね。」

「悪い?」


 アースは大きな声で笑い始める。

 スカイはそれを見て頭に疑問符を浮かべた。何が面白かったのかがスカイには分からなかったのだ。


「ハッハッハ! 悪い、か! もう勝った気でいるわけだ!」

「――」

「いい、いいぜ! そうこなくっちゃな! 俺様もそう思っていたところだ!」


 それはスカイが想定した反応とは少し違ったのか、スカイの表情は固まる。


「そう言えば、俺様とスカイで兄弟喧嘩なんかしたことはなかったな。」

「そう、だね。」

「良い機会だ。兄の威厳を見せてやるよ。どんな心変わりかは知らねーが、手は抜かないからな。」


 アースはスカイの肩を軽くポンと叩き、通り過ぎた。

 その態度に王選に対する憂鬱は感じられず、むしろ楽しくなったと言わんばかりの足取りだ。スカイとは対照的だった。


「……やっぱり、兄上には敵わないなあ。」


 そうポツリと呟いて、自分の部屋へとスカイは戻っていく。その部屋の中には既に、二人がスカイの帰りを待っていた。

 一人はだらしない服装をした白い髪の男、ユリウス・フォン・アグラードル。

 もう一人は無機質な風に見える黒い英雄の髪の男、フラン・アルクス。


「集まってもらって悪いね、ユリウス兄。」

「いやあ、構いはしないさ。急だったけど、スカイがぼくを頼るのは珍しいからねえ。助けてやりたくなるものさ。」


 ユリウスは深く椅子に腰かけて、ゆっくり紅茶を飲んでいる。

 客人とはいえ、あまりにも堂々とくつろぎ過ぎているような気はするが、それを咎める者はここにいなかった。


「それと、護衛依頼を受けてくれてありがとう。フランさんは兄上の友人なのに、敵勢力に入るのは気に入らないと思うけどよろしく頼む。」


 ユリウスの近くに立つフランに対してスカイはそう言った。フランは少し悩み込んだ後に口を開く。


「名は呼び捨てで良い。それに、これはアースが望んだ戦いだ。一方に変に肩入れするのは、あいつに対する失礼と言える。」


 変なところで意固地で義理堅いのはフランの特徴でもあった。

 王選の儀で競い合っても、結局は命をかけるものではないし、何より自分から望んだ土俵である。それをフランは、一対一の闘技場の決闘に近いものだと認識していた。

 無論、協力をアースに頼まれればフランは断らないだろう。しかしフランが自分から助けに入る事は決してしない。


「そうか、それなら遠慮は互いになしでいこうか。これから一週間、行動を共にするわけだからね。」


 スカイはユリウスの向かいに座った。それを見て、フランはユリウスの隣に座る。


「明日から僕達はここにいる三人を主軸に、騎士を連れて国中を歩き回る。兄上に勝つ為には、僕の強みを十分に使わなくちゃいけない。」


 昔、それこそアースがまだ無能王子と呼ばれていた頃であれば勝つことは難しくなかっただろう。

 しかし今は違う。アースは内政にも大きく関わり、その勢力は大きくなっている。自身の手腕もあり、全力を賭しても勝てるかどうかである。


「かなり大変な旅になるけど、着いてきてもらうよ。」


 グレゼリオンの家に生まれて王の器がない事は決してない。スカイも当然、兄に劣らぬほどの大きな器があった。

 その目、その立ち振る舞い、その顔つき。全てが人を惹きつける何かを持っている。

 故に、スカイは兄を差し置いて王に据えられようとしたのだ。


「ぼかぁ嘘はつかない。できる限りは協力するさ。あんまり頼りにはしないで欲しいけどね。」


 ユリウスはそう言った。


「俺はどちらが王になろうと構わん。ただ、依頼を完遂する事だけは確約する。」


 フランはそう言った。

 スカイはその二人の返答に安心したのか、表情を和らげて伸ばしていた背も少し曲げ、背もたれにもたれかかる。


「……それにしても、二人揃って王城に来たときはびっくりしたよ。」

「ぼくだってびっくりしたさ。王都に行きたいとは言っていたけど、まさか王城まで一緒とは思わなかった。」


 しかし、とユリウスは続ける。


「フランを護衛につけたのは正解だ。腕が立つ、良い剣士だよ。」

「それは、ユリウス兄よりかい?」


 スカイのその質問に、二人は静まり返る。地雷を踏んだと気付いてももう遅い。

 武人を相手に、どちらが強いなど最も聞いてはいけないのだとスカイは知らなかった。


「……俺の方が強い。」

「いや、どうかなあ。アグラードル家の当主は、一族で最も強い者が務める。正直言って、そこら辺の騎士の何倍もぼかぁ強いと思うよ。」

「ユリウスの強さは認める。しかし、俺の方が強い。」


 ユリウスはティーカップを置く。フランは右手を剣に添える。


「試してみるか?」


 表情を変えずに、フランはそう問いかける。

 部屋の中の空気は突然に重苦しくなり、フランとユリウスは互いに睨み合う。

 今直ぐ戦いが始まってもおかしくない――そう思わせるほどの剣呑とした雰囲気だった。


「あー……やめだ。」


 しかし、その雰囲気は他ならぬユリウスによって断ち切られる。


「実際、フランの方が強いと思うよ。最近は家督争いでこういう癖がついてただけで、ぼかぁ元々どっちが強いなんか興味ないんだ。」


 ユリウスは至極面倒くさそうだ。争いが嫌いというのは嘘ではないのだろう。

 それを見てフランもユリウスから目線を外した。


「ぼかぁ今回の旅は公爵家の当主としてスカイに同行する。スカイの命は君が守ってくれよ。」

「無論だ。」

「そうだよね。なんせ君は、あの『生存欲』のカリティを倒しちゃったわけだから。一人の王子を守るぐらいは簡単か。」


 フランは少し眉を顰める。それにスカイは直ぐに気がついた。


「どうしたんだい。君がカリティを倒したのは事実のはずだろ?」

「……俺だけの手柄じゃない。あそこにいる全員、誰一人欠けていても倒す事はできなかった。」

「それでも偉業じゃないか。君もアルスも、今や世界中で有名だよ。」


 名も無き組織の幹部を一人倒した。それは未だ記憶に新しいビッグニュースである。

 組織に苦しめられている人は数え切れない程にいる。それこそ、人によってはフランを英雄視する人だっているのだ。


「……依頼は全力で行う。俺はそれだけだ。」


 ぶっきらぼうにフランはそう言った。

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