13.魔法植物

 海を渡る事は容易だった。

 ヘルメスが監視が薄いと言うなら、魔力を感知する物もないという事に違いあるまい。それなら、空を飛んだり、潜水艦で行ったりと手段はいくらでもある。

 だが海を渡る程度なら、もっと簡単な魔法で良い。俺達は木属性で作った小舟を、風と水の魔法で押し出すという形で上陸を果たした。


「……臭いな。」


 上陸して直ぐに、ディーテはそう言った。しかし俺が臭いを嗅いでも、全くそれは感じ取れない。

 確かにちょっと通常より魔力が濃いが、その程度である。


「フィルラーナ、私の近くに来い。そこの二人には効かんが、お前の体には毒だ。」


 ディーテがそう言うと、お嬢様は近付く。お嬢様の頭にディーテは手を置き、その手から魔力を発した。


「一体、これは何を?」

「……お前の周辺の空気を浄化させる結界を張る魔導だ。まさか毒を喰らいたいわけではあるまい。」


 お嬢様の疑問にそう答えて、ディーテは島の中へと足を進めていった。

 その不穏な物言いを追求したかったが、昨日に言い争ったのもあって尋ねづらく、俺は無言でその後に続いた。


 浜辺を通って森の中を進んでいく。隠れやすいからこそ、森がある場所を選んで上陸をしていた。

 しかし歩いていくと今まで訪れた島の森、いや正確には俺が知っている森とは大きく異なる点があった。

 魔力が強過ぎるという点だ。

 浜辺の所からでも通常より魔力が高い感覚はあったが、島の中心部へ近付く度により高くなっていった。こんなに強い魔力が溢れているのなら、相当住んでいる魔物も強くなっているはずだ。


「ディーテ、まさかこれは、魔法植物かい?」

「何だ、やっと気付いたか。」


 ヘルメスの質問に、呆れたようにディーテはそう答えた。

 魔法植物、という単語には聞き覚えがあった。というよりこの世界における魔法の常識と言っても良い。


「この島では、魔法を使って育てた植物を燃やし、それを香として島中に充満させている。グレゼリオン王国においては違法薬物に当たるものだ。」


 魔法を利用して野菜を育てる、という事は行われる。しかし魔法で作られた水を吸わせてはいけないし、土に魔力を込めてもいけない。

 生物には魔力を体外から多量に摂取した場合、自分の体内の魔力と反発して脳を狂わせてしまうのだ。

 だからこそ、魔法で作られた水を飲む事はまずしない。それで手を洗う事はあっても、直接体内に取り込んではいけない。


 それだけでも問題だが、これをした当人は直ぐに意識を失ったりする為、依存性はない。魔力は時間と共に排出される関係上、余程一気に取り込んだりしない限りは即死には至らない。

 だが問題なのは魔法で作られた植物を、火をつけて大麻などのように扱った場合である。

 魔力と植物は完全に分離せず、魔力を含んだ植物の塵が空気中を漂う事になる。これが最大の問題である。


 酒と一緒で、これは人の頭を破壊して感覚を鈍らせる。そして一時的に体内の魔力自体は増えている為、軽い全能感を使用者は感じる。これが原因で、強い中毒性を持つのだ。

 比較的容易手に入る事もあって、余計にやめさせる事が難しい。

 しかし、使い続ければ徐々に脳はおかしくなり、次第に自分の魔力と取り込んだ魔力を区別できなくなって、死に至る。

 当たり前だ。魔力は魂の力であり、魔力がどれか分からなくなれば、魂を維持する事はできない。


「眼で視えた。相当に酷い光景が、街には広がってるよ。」


 ヘルメスのその一言で、否が応でもその姿を想像してしまう。

 地球でも薬物を使う人は絶えなかった。こんなにも悪い物として周知されて尚だ。だからこそ、人としての尊厳を踏みにじる薬物が、俺は嫌いだった。


「国は止めないのか。これが、最終的に人を殺すだけって事は理解してるだろ。」

「いいえ、ここまで大規模ならむしろ国の主導ね。理由にも検討がつく。」


 俺の漏れ出た呟きに対し、お嬢様はそう言った。

 頭をガツンと殴られたような衝撃だった。それはつまり、国が嬉々としてこの島を滅ぼそうとしている、という事なのだから。


「魔法植物を島に高値で売りつけ、その代わりに資源をもらう。島の住民は魔法植物を貰う為に必死に働くようになるし、ローコストでハイリターンだわ。」

「だけど、それで死んでしまったら、どうするんですか。」

「死んでしまっても、下多島の住民なら構わないのでしょうね。少なくとも重要なのは、やる理由と価値があるという事よ。」


 そんなの、馬鹿げている。あまりにも非人道的だ。


「俺、街を見てきます。」

「アルス、やめなさい。あなた一人でどうこうできる問題じゃないわ。」

「見てくるだけですよ、それ以外は、しません。」


 俺とお嬢様は互いに睨むように見る。

 確かに俺はお嬢様を尊敬しているし、大恩がある人だ。その命令であれば、基本的に逆らうことなんてない。

 しかし俺にも、譲れない部分はあった。

 お嬢様の言うことが如何に正しいかを理性は理解している。けれども本能がそれを拒む。


「面白いな、アルス。お前は自分の都合よりも、他者の都合を優先するのか。」


 ディーテは俺に向かってそう言った。


「……人として、当然の事だと思うが?」

「いや、それは違う。少なくとも私の知っている人とは、酷く利己的なものだ。お前のように、理性や本能を容易く切り捨てられる者は珍しい。」


 嫌な感じがその言葉にはついて回るが、故意でない事は何となく分かった。

 ディーテはその時、その場所で思った事を言うのだ。それはこの短い旅の間でもよく分かっている。だから今回も、本当に面白いと思ったのだ。


「お前の本能は、こんな面倒な事を拒んでいる。お前の理性は、こんな得のない事を拒んでいる。お前を突き動かすのは、魂にある『何か』だ。その絶対的なルールに従って、自分を押さえつけている。」


 だからこうやって、土足で踏み荒らすように、俺でも気付かない自分の本心を言い当てる。


「それは、俺の誇りである夢だ。そこを切り捨てたら、俺はただの人形に成り下がってしまう。」

「……ハハハ! 確かにそうだな、アルス。それがなくなればお前は凡人として埋もれてしまう。」


 ディーテはここに来て初めて、くつくつと笑った。


「その心意気を私は気に入った。理解はできないが、それはお前の中の譲れないものなのだろう。であれば、私もそれを尊重せねばなるまいよ。」


 お嬢様とヘルメスを、ディーテは見た。

 お嬢様はその真意を理解したのか大きな溜息を吐き、ヘルメスは仕方なさげに首の後ろをさする。


「望む結果が得られるかは保証しない。しかし、私はアルスの行動に全面的に協力する。異論はあるか?」


 それには有無を言わさない迫力があった。

 異論を言おうにも、鐘の位置を知るのはディーテのみ。初めから答えが決まったような問いかけである。


「……分かったわ。一日だけ、アルスの好きなようにしていいわよ。」


 そうやって、俺には一日の猶予が与えられた。

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