幕間〜不穏なる影〜

旅の終わりは近く

 地球と違い、ここアグレイシアにおいて宗教はただ一つである。

 何故なら神の存在を証明するのが、この世界は容易い。神は確かなものとしてある以上、新たな神を信仰する、なんて事はありえないのだ。

 そしてその宗教こそがルスト教であり、本拠地をグレゼリオン王国の最北、ヴェルザード領に置いていた。


「デメテル様、こんなに早くとんぼ返りをする必要はなかったんじゃないですか?」


 その本拠地である教会にて、一緒に歩きながらティルーナはデメテルへと不服そうにそう尋ねた。

 カリティを倒して直ぐにデメテル達は戻っていた。元よりカリティの討伐は本来の業務ではなく、予定が詰まっていたとはいえあまりにも早い移動だった。


「……確かにそうですね。少し急ぎ過ぎたかもしれません。ヘルメスが見ていられなかったもので。」

「見ていられない、とは?」

「無茶をし過ぎるからです。特に最近は大きい傷が多い。カリティとの戦いでも冷や汗をかきましたよ。」


 その物言いにティルーナは少し驚いた。

 デメテルは全ての患者を平等に見てきた。より多くの人を救う為に、命の優劣を付けたがらない。そのデメテルが、明確にヘルメスを気遣ったのだ。

 これは一年以上、共に旅を続けているティルーナにとっても初めて聞く事だった。


「ヘルメスさんとは、仲が良いのですか?」

「……折角だから話しておきましょう。オリュンポスというのは、創設メンバーである一期生、孤児院から集められた二期生、クランマスターが直接勧誘した三期生がいるのです。私はその中でも二期生に当たります。」


 再びティルーナは驚く。

 教会において最高位の癒し手であるデメテルが孤児院の出身であるという事である。回復魔法は習得が難しく、中々使い手が少ない。平民の出であれば教えてくれる者がいないので、更に難易度は増す。

 だというのにデメテルは、決して豊かではないはずの孤児院で生まれ育ってこの地位に立ったのだから、驚かずにはいられまい。


「二期生のメンバーはヘルメスが集めたんですよ。ですので昔はヘルメスや含めて五人で色んな場所を冒険しましたし、親友や戦友と言っても差し支えありません。」

「デメテル様の、冒険者時代ですか。想像できませんね。」

「あの頃は私もまだ未熟でしたよ。あなたにも劣っていました。」


 デメテルのその言葉を、ティルーナは冗談として笑いながら受け流す。


「その後、色々あってパーティを解散し、それぞれの道を進んでいるわけです。一人は鍛冶王に、一人は聖人に、一人は冒険者に、一人はメイドに。」

「メイドに?」

「全員が立派な道を進められているのも、ヘルメスのおかげではありますよ。あの性格と言動ですから、知らない人から見れば半端な人ですが。」


 ティルーナの疑問は無視される。冒険者からメイドの転向なんて聞いた事がなかったからだ。

 この場にアルスがいれば、あの常識外れの『冥土メイド』であるアテナの事を思い浮かんだであろう。


「ですので、あまり無茶をして欲しくないのですが……当人のやりたい事を止める権利を私は有していません。ですのでこうやって目を背けるのが精一杯です。」


 それは逆に言えば、見ていれば止めてしまうという事でもあった。


「というより、逆に一緒にいたかったのですか?」

「まあ、久しぶりですので。ゆっくり話してみたかったとは、少し思っています。」

「あの中に想い人でもいたりするのですか?」


 ティルーナの歩く足が止まる。何故止まったのか理解できないようにして、デメテルは振り返った。


「どうしましたか、遅れては迷惑になりますよ。」

「デメテル様が変な事を聞くからです! ただの友人ですよ!」

「この前のオラキュリア様への治療も適切でしたし、独立するのも早いと考えていまして。それなら独立した後に誰かと結婚するのではないかと。」

「しません!」


 頬を赤くして、必死にティルーナは叫んだ。

 独立がもう少しという嬉しい話をサラッとされ、その上で恋愛耐性が欠片もないティルーナにそんな話をしたので、一種の錯乱状態にあった。

 今こそただの平民だが、元は貴族である。爵位も低くはない。そんな箱入り娘に恋愛話は縁もなく、身近にいる男も変人ばかりで、結婚など考えたこともなかったのだ。


「そういうデメテル様は結婚をなさらないのですか?」

「私は全ての患者が恋人ですので、結婚はできません。」


 デメテルはそう言って、ティルーナを置いて再び歩き始めた。

 数秒はティルーナも反応ができなかったが、遅れて小走りで横に追い付く。不満を小声で垂れ流しているが、あえてデメテルは無視した。


「――おやおや、お久しぶりですね。」


 一人の男性が声をかけてきて、デメテルは足を止め、それに合わせてティルーナも止める。

 二メートルにも迫ろう巨体ではあるが、あまり恐ろしさを感じさせない温和な笑みを浮かべていて、加えてその服装からも教会の人間である事は直ぐに分かった。

 彼が立つのは教皇の部屋の前、つまりは護衛である。しかし教会が公にしている聖騎士の装いではないし、剣も持っていない。

 その特徴に当てはまるのは、冠位魔導医療科ロード・オブ・メディスンであるグラデリメロスをおいて他にはいない。


「そうですね、神父。」

「そちらは報告にあったお弟子さんですか?」


 グラデリメロスは優しくティルーナを見ながら問いかけた。


「はい、ティルーナと申します。」

「私はグラデリメロスです。以後、よろしくお願いします。」


 ティルーナは当然、ガレウをグラデリメロスが襲ったなんて知る由もない。その凶暴な本性を感じ取るの事もできない。

 だからこそ、ただ見た目は恐ろしいが良い人なのだろうと思った。


「さあ、中で教皇様がお待ちです。お入りください。」


 グラデリメロスは部屋の扉を開き、入室を促す。二人は軽くグラデリメロスに会釈をして、そのまま中へ入って行った。


「座れ、話はそれからだ。」


 部屋の中はとにかく質素で、教皇であるのにも関わらず平民と同じ、もしくはそれ以下の最低限の設備以外はなかった。

 そしてその部屋の真ん中に、デメテル達に背を向けるように座る男がいた。

 二人は何も言わずに歩いていき、椅子に座った。そこでようやっと、男を振り向いて目線が合う。


「よくやってくれた。冒険者、皇国、賢神、これに交じって戦果をあげれれば、それだけ寄付金も増えるってモンだ。」


 その男は小さかった。歳として13かそこらであろう。しかしその纏うオーラは、有無を言わせないほどの王としての威厳があった。


「最近は教会を毛嫌いしてる奴も多いからな。クリーンなイメージを作れたのは嬉しい。」

「勿体ないお言葉です。」

「はっ! 絶対に思ってないクセして、取り敢えず取り繕うとしてんじゃねえよ。」


 教皇の言い回しは粗暴であった。これを教皇と知らなければ、スラム街の子供と勘違いしてもおかしくはない。

 教皇は椅子の向きを変え、向かい合わせになるようにして座った。


「それで、勲章の一つでもくれてやりたいところだが、生憎ともうお前にくれてやれるものは何もねえ。何が欲しい?」

「引き続き、自由に行動させて頂ければそれ以上は望みません。」


 デメテルはそう言い切った。実際にデメテルには欲しいものも特段はない。余るほど聖人の給金で金はあるので、無償で治療する旅に出かけてるぐらいだ。

 それを聞いて教皇は嫌そうにため息を吐いた。


「それでもこっち側としては、何か渡さなきゃ示しがつかねえんだが……」


 そこでやっと、教皇はティルーナを目に止める。


「そいつが弟子か。お前は欲しいモノはあんのか?」

「え、いえ、何も欲しい物は……」

「別に男でも女でも金でも、何でもいいんだぜ。うちの教会は、一部役職者を除けば肉欲を禁じてはいないしな。」


 そう言われて余計にティルーナは言葉を詰まらせる。その反応を見て教皇は舌打ちをついた。


「それじゃあ、弟子には聖人候補の座と追加の資金をくれてやる。それでいいな、デメテル。」

「いえ、別にいりませんが。」

「素直に貰えるもんは受け取っとけ! 教皇からの贈り物を拒むのはお前ぐらいだぞ!」


 そう言われてデメテルは不服そうに貰う事を承諾した。

 その後にまた、深いため息を教皇はつく。


「これで用件は以上だ。もう帰っていいぞ。」

「いえ、少し聞きたいことがあります。」


 半目になりながらも、教皇は何だ、と問いかけた。


「名も無き組織は今、どのように動いていますか?」

「……大国は無視して、小国が主に被害を受けてる。特に厄介なのが物流だ。船や行商が異様に襲われるようになった。多分これから、ホルト皇国みたいな大国への攻撃が増えていくだろうぜ。」


 それを聞いて、デメテルは感謝を述べて直ぐに部屋を出た。ティルーナもそれに続いて部屋を出る。部屋には当然、教皇だけが残った。


「……七つの欲望の内の一つが落ちた。だけど逆に言えば倒すのにあの規模の戦力が必要ってわけだ。」


 教皇はそう呟く。

 賢神に高名な冒険者、聖人と竜王に加えて世界でも最高峰の剣士。正直言ってこの時点で、小国を余裕で潰せるほどの戦力である。

 それが最低でも必要で、周辺の地形にも一回の戦闘で大きな被害を出してしまう。攻め入られれば、こっちは逃げられないが、あっちは逃げられてしまう。

 所在が一向に見つけられないのだから、この状況に余裕はない。


「近々、どっかの大国が亡ぶだろうな。」


 その教皇の予想は、決してありえない想像ではなかった。

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