41.勇気を与える者
前に竜神の下に来てから一ヶ月も経っていない。それでも、ここに来るのは久しぶりな気がした。
――大義であった
薄暗い洞窟の中で、声が聞こえた。目の前にいるのは竜神であり、俺とヘルメスだけでここに来ていた。
相も変わらずその存在はバグのようだ。何もかもが不確かであるのにも関わらず、そこにいるという事はしっかりと認識できる。
「……いや、まだ何も言っていないんだけど。」
ヘルメスは思わずそんな言葉をこぼす。
開口一番の言葉がこれだ。俺達が何か言うより早くに、先に労いの言葉が飛んできた。一度目の報告の時は人伝の報告だったから、実際に顔を合わせるのはこれで二回目だ。
――危険は取り除かれた。うぬらの働きは見事であった。依頼主として報酬を支払おう
「もうちょっと話を聞かなくてもいいのかい。てっきり、詳細な事情だとかを聞かれるものだと思っていたんだけど。」
――既に知っていることだ。聞く必要はない
シャウディヴィーアも神と人の子と言っていたが、竜神とは格が違う。俺の中の神とも、だ。
超常の存在であり、人のカテゴリから大きく外れているのは間違いなく事実であるが、その中でも更に外れている。できることに差があり過ぎるのだ。
シャウディヴィーアにできるのはあくまで、人の心を少し読んだり、スキルを知れたりなどのことだ。全てを知っている竜神とは能力の次元が違う。
「全てを知っているならば、聞かなくても僕の言う事なんて分かるんじゃないかい?」
――我が知るは現在から遥か過去までの事象のみ。未来予測に近い事はできるが、それは決して未来ではない。故に聞く
「これだけ凄い神様でも、未来の事は分からないんだ。」
――どの神であっても変わらぬ。未来とは確定していない事象の事を指す。できるのはその性能を活かした高精度の演算のみである
ヘルメスのどの軽口にも、竜神様は尊大な態度を崩さない。まるでそれは機械のようだった。
「……じゃあ、僕からさっさと言ってしまおう。時間をかけても仕方はないからね。」
ヘルメスはもう聞く事を決めたのか、そう言った。
一体何を聞くのだろう。だって世界の何でも知れるのだ。選択肢が広すぎて逆にどれを聞けばいいのかわからなくなってしまうものだ。
「僕が知りたいのは、名も無き組織の拠点の場所だ。うちのクランが潰す予定だし。」
その疑問は俺も思い浮かんだものだった。
これだけ世界中を敵に回して、それでも名も無き組織の足取りは追えない。どこに拠点を置くか、それを知るだけでもかなり有利になる。
――承知した。答えはない、だ
「……そうか。薄々そんな気はしてたけど……せめてリーダーの所在地とかも分からないかい?」
――聞ける事柄は一つだけである。決まった拠点を作らずに活動している、というのが答えだ
思った回答が得られなかったのか、ヘルメスは項垂れる。
しかし、これも有力な情報ではある。拠点がないと分かっていれば、また別の対応策を打てるものだ。
「それじゃあ、次はアルスの番だよ。」
「俺も、名も無き組織の話を聞くべきかな……」
「いや、別にいいんじゃない。未来の事は知らないらしいし、基本は一問一答形式っぽいからね。正直言って、たった一つの情報だけじゃ有利にもならない。」
そうヘルメスに言われ、更に悩み込んでしまう。
何でもいいというのが一番困る。それこそ、昔であれば聞きたい事はあっただろうが、今は自分の向かいたい道筋もハッキリとしている。
竜神様に聞くほどの質問はない。だって調べれば分かるような事が殆どだからだ。それを聞くのは勿体ない。
聞くことなんて何も……
「あ。」
そこで思い出す。気になってはいたことではあったが、ドタバタし過ぎていて忘れていた。
というか聞くならこれしかあるまい。
「……前にアドバイスを貰ったのに、重ねた質問で悪いんだが――」
それでも今は情報が一つでも多く欲しい。
「俺の中の神を抑えるには、対話と屈服が必要と言っていたな。それを解決するためには天使王に会えばいいとも。」
所在地は分からないと言っていた。ヒントすらないと。
それでも違和感は拭えない。それなら何故俺に話したのか。会えないのだから、言ってしまえば無駄な情報だ。
無駄な事を、竜神がするとは決して思えない。だから何か裏があるのは当然だ。
「天使王の所在地が分からないなら、天使に会う方法を教えてくれ。」
天使王に会おうとするんじゃなくて、その下の役職である天使に聞けば良かったのだ。
この世界ならざる場所にいたとしても、そこに住むはずの天使ならば知っていて然るべきだ。
――承知した。天使に会う方法は二つある。一つは英雄として功績をあげて死に、冥界にて会う。二つ目は世界を渡るスキルを得るかだ
あれ? 全くヒントじゃないんだけど。全くどっちも実用的な話ではない。
できるわけないだろ、そんなこと。
――うぬであれば、ディーテという女に会え。ヘルメスに聞けば分かるだろう。以上だ
そう言って早々に会話は打ち切られた。
「……ディーテって誰?」
俺はヘルメスにそう尋ねる。
「うちのクランメンバーだよ。最近はクランハウスに戻って来てないから、僕でも正確な位置は分からないんだけどね。」
「何でお前のクランは殆どクランハウスにいないんだよ。」
「だってクランマスターが一番いないからね。そりゃ仕方ないさ。」
「それで世界最高峰なのが余計に意味わからん……」
俺とヘルメスはそう言い合いながら、洞窟を後にしていった。
どうやら俺の旅は、まだもう少し続きそうだけどな。やりたい事が増えてしまった。
――時は少し遡る。
カリティを倒して直ぐ、その翌日の朝のことである。ヒカリとフランの二人が、互いに剣を構えていた。
「行くぞ。」
そのフランの掛け声と同時に、フランは右足を前に出す。それに合わせるようにして、鋭くヒカリは突きを胴へと放った。
しかしその剣はフランの剣によって容易く逸らされ、そして逆に鋭く首元へ剣を添えられる。
「……これでいいのか?」
フランはそう言って剣を収めた。
この勝負はヒカリからの提案であった。自分の実力を最後に試したいと、真剣での勝負を持ち込んでいた。
結果はこの通り、勝負にもならない。そもそも基礎のレベルが段違いで、大人と赤子ほどの差がある。
「……はい、ありがとうございました。」
「何をそんなに悔やんだ顔をする。お前のおかげで、救われた命があるのだぞ。」
こういう所で妙にフランは鋭く、ヒカリの感情を言い当ててしまう。
「悔しいんスよ。私、昔から器用で、あんまり人の役に立てないだなんて事がなかったんス。」
これは、ヒカリにとっては再確認であった。自分がスキルでしか役に立てないのだと、現実を再認識させるための。
「だから、スキルなしじゃ役に立てない私が、情けなくて……」
スキルとは与えられた力だ。カリティのように誇れる人もいれば、こうやって嫌悪を示す者もいる。
実際、生まれながらにしてスキルを持っているのは特別な事だ。ズルいという感情は間違っていない。
「いや、それは違うぞ。例えお前がスキルを持っていなくとも、俺はお前がいなければカリティを斬れなかったかもしれない。」
「――え?」
「これは本当の事だ。俺は嘘はつかん。」
自分の何倍も強い、スキルに頼らない純粋な力を持っているフランから、そんな言葉が出たのはヒカリにとって驚きだった。
「お前は自分が弱いと知っていながら、前に出た。そして、自分にとっての悪と戦った。ジフェニルの事で、剣に迷いが生まれていた俺と違って、お前はどこまでも純粋だった。」
確かに結果はついてこないかもしれない。力は足りていないかもしれない。
しかし、この世の人の魅力というのは多角的だ。強さだけじゃ、人の素晴らしさは語れない。
「俺はお前から、勇気を貰ったんだ。そして夢を思い出させてくれた。だから至れた。」
フランの夢、それ即ち、究極の一刀をその身で習得する事。
何年も焦がれ続け、様々な戦いの中でも唯一、フランの手元に残り続けるフランだけの宝石。
その激情に、ヒカリは火をつけたのだ。落ち着くだけの火に、火薬を落としたのだ。
「俺はお前を尊敬する。お前は正に、俺が想像する勇者そのものだ。」
ヒカリは何も言葉を返さない。いや、返せない。
世界が霞む。口の中からつっかかったように言葉が出ない。頬を液体がなぞる。
ヒカリはフランのその一言で、救われていた。
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