25.不可視の攻撃

 俺の変身魔法の制御できる最高速度は、およそ時速300キロほどである。これ以上の速度は、俺の動体視力が追い付く所ではない。

 だが、制御を度外視すれば、ただ目的地に着くことだけを考えるのなら、音速にだって届く。


「どこだよ、前線に一番近い街ってのは!」


 ただ、何よりの問題は俺が周辺の地理に疎いことである。そもそも国境がどこかという事すら分かりはしない。

 俺は空中で翼を広げ、空から地上を見る。

 内乱が始まりそうと言うからには、国境付近に軍隊がいるはずだ。しかしこの高さからでは、それすらもよく見えない。


「何か目印になるものでもあれば――」


 その瞬間の事であった。

 何よりも大きな、音が鳴り響いた。対個人に使うような爆発エクスプロードなんて比べようのないような轟音。

 耳が潰れるような感覚を覚えながら、視覚がその巻き上がる爆炎を、触覚が空気を押し出す風を、確かに感じた。

 しかもそれは、目下の街の、


 全身の血の気が引いた。つまりは、合図であったのだ。ヴァダーが王女をさらって戻るという事が。

 避難勧告など行なっていない。その証拠に、逃げ惑う人とその叫び声が微かに聞こえる。交渉の余地を一才残さないような、あまりにも暴力的な開戦の狼煙であった。

 嫌悪を示すなんてものじゃない。ただ吐き気がした。その醜悪さに、その卑劣さに、人とも思えぬその所業に。


「クソがッ!!」


 だが、俺には今、それより優先すべき事がある。ヒカリを見つけ出して、守らなくてはならない。これ以上、あいつに不幸を欠片でも背負わせてはならない。


「随分と苛立っているようだね。それはヴァルトニアの、この派手な宣戦布告のせいかな?」


 背後から声がした。ここは遥か上空であるというのに。

 急いで大きく距離を取りながら振り返る。そして空中に、それが当然かと言うように一人の女が立っていた。

 迷彩柄の軍服に身を包み、腰には短刀と拳銃がある。口を大きく歪め、狂気的な表情でこっちを見ていた。


「それとも、大切なを盗まれてしまったからかな?」


 警戒度を、更に引き上げる。

 この事を知っているのは一部の者のみ。だがどの人も、軽はずみに、しかもこんな女が属するような団体に情報を漏らすとは到底思えない。

 ならば選択肢はほぼ一つに限られる。一番厄介な一択に。


「……お前、何を知っている?」

「そんなに殺気立たないでくれよ。ただの女。名前のない女だ。君達が言うところの、名も無き組織に属するだけのね。」


 対話は必要なかった。ヴァルトニア側の者ならば、手を出せば問題になる可能性があった。どれだけキレていても、アースに迷惑をかけるわけにはいかない。

 だがこいつは、全世界において共通の敵と認識されている名も無き組織に属すると自分で言った。俺が倒しても何も問題にはならない。


「『雛鳥』」

「いいね! その敵への容赦のなさ! 流石はシルード出身なだけはある!」


 俺の体は小さな火の鳥となって、四方八方から女を囲む。

 こいつは恐らく、ヴァダーと繋がりがある。でなければ俺がヒカリを探していることなど知り得ないだろう。

 そうとなれば、逃がせばヒカリを襲う可能性だって十分にありえる。ここでこいつは仕留めなくてはならない。


「しかもこんなに殺気立っていながら冷静だ。私の能力が分からないからこそ、馬鹿みたいに攻撃をせずに様子を見た。さぞ沢山の修羅場をくぐって来たんだろう。」


 女は無駄口を叩くばかりで、攻撃も防御も、どちらの反応も見せない。

 俺の出身を知っている辺り、何故かは知らないが、俺の事は調べ上げているらしい。ならば俺の魔法についても知っているのだろう。

 対して俺は相手の能力を一切知らない。今、こうやって空に立っている原理も理解の内にはない。それが分からない内に攻めては無駄死にをするだけだ。


「そんな奴を殺した瞬間は、さぞ気持ちがいいんだろうなあ!」


 パキ、と音が聞こえた。その音が何なのかを感じるより早く、火の鳥達が『何か』に突き刺された。

 不可視の攻撃、魔力すら見えずに放たれたが故に回避もできない。

 この分裂した火の鳥は俺の体の一部そのものと、攻撃を避けるための偽物がある。それは逆に言えば、本物が混ざっているということ。

 変身魔法は俺の体を魔法に変えただけ。魔法が潰される事は、俺へのダメージと同義だ。


「まずは一撃ぃっ!」


 幸いにも近くに置いていたのは指先だとか、損傷が少ない部分だ。だが、これが積み重なればいずれ体はボロボロになってしまう。

 それにこいつに時間をかける暇はない。時間をかければかける程、ヒカリの安全度は下がっていく。


「めんどくせえなあ!」

「私に会った奴はみんなそう言って、死体になっていったさ!」


 不可視の攻撃と、空中に立つという行為。その両方を違う能力と考えるのは現実的ではない。どちらも似た同一の能力であると考えるべきだ。

 つまりは不可視の物体を生み出す能力。形は自由自在、物理法則に反するという条件の物体をだ。

 それならば物理感知で動きは読める。船のソナーみたいに、波を飛ばして返って来た所に物体はある。


「全員、死体になったって?」


 不可視の攻撃のその全てを掻い潜り、一瞬で懐へと潜り込む。


「一人残らず、雑魚だっただけだろ。」


 体を人型に戻し、右腕を鋼鉄へと変える。焔の火炎を纏いて、赤く鈍く光るその右腕は、その矛先を女の腹へ定めた。


「速っ――」

「吹き飛べ。」


 右の拳を殴り抜く。空中では踏ん張りがきかないが、それは燃え盛る翼が手伝ってくれる。

 空中ぶつかって止まる事なんてない。いっそ面白いぐらい簡単に、女は数メートル以上も服を焦がしながら飛んでいった。


「……硬いな。」


 殴った感触は到底、人の体ではなかった。恐らくは不可視の物体で防いだのだろう。

 これは不味い。初撃は対応が遅れるだろうが、二度目は予測できてしまう。三度目になれば対応ができるようになる。

 このチャンスを逃してはならない。ここで決め切らなくてはならない。

 何より、このような悪人を目の前にいて見過ごす奴に、どうして正義を語る事ができようか!


「開け、無題の魔法書。」


 俺は焔の翼を広げながら、左手で人器を広げる。本のページは一人でにめくられ、あるページで停止する。

 そして俺自身は、女が落ちるより速く、再び高速で肉薄する。


「『巨神炎剣レーヴァテイン』」


 右手に燃え盛る剣を握る。右手が熱い。今直ぐに剣を手放したくなる程の高音。

 この剣は、俺の成長につれて威力が上がっている。学園を卒業した時でさえ、魔導の深奥第十階位に至っていた大魔法。だが今なら、階位すら越える。

 魔法の一つの到達点、親父が辿り着いた一つの答え。越位魔法へと。


「『終焉の剣ラグナロク』」


 抵抗する間も無く、反応する暇すら与えない一撃。いや、反応されたとしても、意味のない攻撃。

 剣は一瞬で相手の両足を斬って、その余ある高音で女の体を焼き焦がす。足を奪えば、無力化ができると判断したからだ。


「殺しはしない。大人しく牢屋にでも入ってな。」


 この高さから落ちれば、普通なら死ぬだろう。だが、俺はこいつを普通だとは思っていない。

 魔力をまとうなり、闘気をまとうなりして、きっと生き残る。だが流石にこうなれば戦えはしないはずだ。体全身を燃やしたんだから、痛みも想像を絶するはずである。

 俺は一度、女を思考の外へ追いやり、ヒカリの魔力を感知するために意識を伸ばす。


「は、あはははハハハハハハハハハハ!!!!!」


 その耳に痛く、狂気的な笑い声を聞くまでは、本当に戦えないと、そう思っていた。

 落ちゆく女は空中でまるで地面に落ちたように止まり、そして切断された足も近くに落ちた。女はそれを掴んで、無理矢理傷口へ押し込んだのだ。

 傷口は重度の熱傷であり、触れていなくとも、触れれば尚更の激痛がある。とても正気の沙汰とは思えない。


「惜しかったねえ! どうして心臓や頭を狙わなかったんだい!? そうしたら殺せたのに!」


 強引な回復魔法による治療。いや、あんなもの回復ではない。無理矢理くっつけて、動くようにしているだけだ。

 あれじゃ痛みは消えない。戦える状態に持っていっているだけ。


「まだ終わらない。終わらせない。私はまだ、お前が苦しむ様を見ていない! 私はまだ、楽しめていないんだから!」


 空中を幾度も蹴って、まるで獲物を狙う豹のように俺へと迫った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る