24.裏切り

 最も効率の良い方法とは、その大半が非人道的、非道徳的なものである。

 例えば大学の入試があったとして、その会場を爆弾で爆発させて大半を殺してしまえば、試験に受かる確率は高くなる。それでなくとも、適当な受験生の筆記用具を盗むとか、そんな事でもいい。

 だが、そんな事は誰もやらない。バレたら大変だからとか、そんなくだらない理由ではない。単純に自分の良心に従って、それは駄目なことだと深く知っているからだ。


 人は良心と効率を天秤にかけ、その妥協点で選択を行うのが殆どである。

 だが、その良心というのは余裕がある場合に生まれるもの。

 もし自分の大切な人、両親でも子供でも恋人でも親友でも誰でもいい。大切な人の命がかかっているとしたら、君は先程述べた選択を行わないと断言できるだろうか。


 人は追い詰められた時にこそ、極めて効率的に、凶悪な本性を表に出して敵を蹴落とす。

 それは正々堂々だとか、人道的だとか、そんなものを語るところにはない。生物の全てが持つ剥き出しの生存本能そのものが、それであるのだ。






「いないな……逃げ出したか?」


 テルムの心の底を聞いた翌日、いつも通り部屋へ来たが魔力を感じられなかった。一応ノックをして部屋を開けたが、中にも誰もいなかった。

 部屋の中は至っていつも通りである。変化はない。だがそれが却って、俺を不安にさせた。


「普通、使用人に言伝を頼むものだよな。どんな理由にせよ、ヴァダーがそこら辺を雑にやるとは思えない。何か緊急のことが……?」


 しかし緊急のこととは何だ。ここは王城、警備体制ならそんじょそこらの比ではない。

 別に他の場所には異常がない。この部屋だけが、いつもの景色と違う。まるでここだけが切り取られたかのようにだ。

 こんな鮮やかな手口を、外部の者ができるだろうか。となればそれは――


「内部犯、いや、待て。それはつまり、ヴァダーが裏切ったということか?」


 こんなにも穏便に事を進めるにはヴァダーの協力が必要不可欠。しかし何故、このタイミングなんだ。

 できるタイミングなんて無数にあった。逆に言えばそれは、このタイミングである必要があったということ。

 最近の間に何か変わったこと。そんなもの、思い浮かぶのは一つだけ。


「内乱を始める直前に、の王女を攫うってわけかよ!」


 俺は魔力の感知を広げる。この王城の、全ての動きを把握するために。

 ヴァダーも多少は魔力を抑えているだろうが、微かに漏れ出る魔力は誰でもある。俺ならそれを、感知することなど難しくない。


「――しまった。」


 俺は反射的に体を雷に変えて走る。

 アテナさんが前線へ向かった今、王城で一番警戒すべきは誰か。そんなもの俺に決まっている。変身魔法を使えば、俺の移動速度は文字通りの桁違いだ。

 俺から逃げ切るには、俺に対抗するには弱みを握るほかない。都合よく連れて来た、ヒカリを人質に取れば全て上手くいく。


「ヴァダー!」

「……やはり、速いですね。」


 その青い目は、その声は、違いなくテルムの騎士、ヴァダーのものであった。左手には気絶したテルムが抱えられていて、右手でヒカリの両手首をつかんでいる。

 場所は当然、俺達に用意された部屋だ。部屋が荒れてないことから、片手でヒカリを、一瞬の間に拘束したことが見て取れる。


「先輩!」


 俺の顔を見て、ヒカリはそう大声で言った。その顔は悲痛で、背筋に嫌な何かがつたい、ただただ深い後悔だけが渦巻く。


「念には念をとは、よく言ったものです。後、数秒も早く来られていれば、姫様も置いて逃げ出さなくてはならなかったでしょう。」

「ヒカリを離せ。」

「私がこの手を離す時は、剣を抜いて首を刎ねる時です。それでも離しても?」


 歯ぎしりをする。

 ヴァダーの表情はいつも通りであった。変わらない、騎士の理想像そのもの。それが俺の冷静さを余計に奪った。


「私とて、女性を手にかけることは本意ではありません。一度、私の話を聞いてくれませんか?」

「……どうやって逃げるつもりだ。逃げ切れると思うのか。」

「話を聞けと言っているのです。骨の一本でも折った方がいいのですか?」


 俺は黙りこくる。

 俺の変身魔法は確かに速いし、一対一ならヴァダーにも負けない自信はある。だが、ヒカリを庇いながら戦えはしない。

 もしそれで、ヒカリが大怪我を負えば、俺は自分を許せなくなる。


「私はこれから転移魔法の刻印書スクロールを使って逃げます。その間に、絶対に邪魔をしないことを約束してください。」

「……」

「この女性は国境に一番近い街に適当に放っておきます。位置の指定はしません。見つかって殺されたくはないので。」


 テルムを抱えている左で、器用に巻物を取り出して、地面に転がす。

 巻物は広がっていき、中にはびっしりと魔法言語で文字が書かれていた。ヴァダーの言う事が正しければ、転移魔法のだろう。

 ヴァダーはその巻物を足で踏み、魔力を流し込み始める。


「お前は一体、何が目的なんだ。」

「全ては国ために。私の忠誠は常にそこにあります。」

「ヴァルトニアのことか?」

「アルス殿の想像に任せますよ。」


 巻物は青く光り輝き、その魔力がヴァダーの周辺に溢れ出す。この魔力から考えて、一回では国境までは届かない。恐らくは近くに、直通の転移魔法陣を作っているのだろう。


「それでは、またどこかで会いましょう。」


 そう言ってヴァダーの姿が掻き消えた。まるで元からいなかったように、つかみどころのない霧のように。


「く、そ。」


 声が漏れる。それは他ならない自分への罵倒であった。

 ヒカリを連れ去られてしまった自分と、ヒカリにまた、あんなにも苦しそうな顔をさせてしまった自分が、許すことができなかった。


 本来なら、このことを報告しにクラウン陛下のもとへ向かうべきである。情報を共有して、協力してもらうべきだ。

 だが、それを伝えるのに一体どれほどの時間がかかる。もしその一瞬で、さっきみたいに差ができてしまうのなら。


「畜生が。」


 俺は部屋の窓を開け放ち、そこから飛び降りた。そして即座に焔の翼を広げ、体を鳥に変えて空を飛ぶ。

 ヴァダーの言う事が本当とは限らない。もしかしたら、行った先で監禁をされているかもしれない。それこそ、国境付近の街にいるかも分からない。

 今の俺には、全力でヒカリを見つける以外の選択肢はなかった。

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