13.ナンパ男

 テルムへの指導は、順調と言えば順調であった。開始から五日、平均よりやや早い程度の成長をしている。

 特段優れているわけではないが、決して劣っているわけではない。となれば後は、俺の腕次第だろう。

 しかし、今日に限っては休みであるが。


「……内乱、ねえ。」


 数日前にアテナさんに聞かされた、内乱が起きそうという話。それも、この町並みを見る限りでは信じられない。

 しっかりと活気があり、そこそこに賑わっている。とてもではないが、戦禍に晒されるかもしれない街とは思えない。


 それに、魔法書の品揃えも悪くない。


「上級者の為の物はないけど、初心者用のはよく揃ってるな。」


 俺は城下町の本屋にいた。そして、その本屋の中の魔法書のスペースを特に漁っている最中である。

 人に教える経験のない俺にとって、書物にヒントを得ようとしたのは当然の帰結と言っていい。

 それで、魔力量の拡張と基礎知識の定着に一段落がついたので、こうやって休みにしたわけだ。


「……だけどやっぱり、親父の本の方が魔法書としては役に立つか。」


 人器『無題の魔法書』に、記された魔法の使い方。これが俺が感じられる、唯一の父親からの愛情であり、俺の両親の形見と言っていいものだ。

 賢神第三席が書いただけあって、異様な程に事細かく、それでいて分かりやすく単調ではない。

 これ程の一冊を、俺の為だけに用意してくれたのだ。既に死んでいること以外は、正に完璧な父親と言える。


「帰ろ。気分悪くなってきた。」


 俺は立ち読みしていた本を元に戻し、適当な気になる表題の一冊を買って本屋を出た。

 別に何も買わずに出ても良かったのだが、冷やかしに来たとはあまり思われたくなかった為だ。幸いに懐には余裕がある。


「いいじゃん、ちょっと遊ぼうって言ってるだけじゃないか。」


 その店先で、ナンパをしている男がいた。

 赤髪の、痩せている貧弱そうな体つきの男で、しつこくそこの女性に付きまとっているようであった。

 少し見かねて止めようと足をそちらに向けるが――


「しつこいって言ってんでしょ!」

「ひでぶっ!」


 その男は直ぐにビンタされて、軽いその体は嘘みたいに綺麗に宙を舞った。

 そして一度地面で跳ね、地面の上で体を滑らしていって、停止した。


「……大丈夫か?」


 流石にそのまま帰るのもあれな気がして、その場に倒れ込んだ男に手を差し出した。

 女性は当然、もうその場から去っている。

 残ったのは分かりやすいぐらいの醜態と、地面によってつけられた擦り傷だけだ。


「あ、ああ。ありがとう。一瞬、冥界が見えた。」


 男は俺の手を取り、立ち上がる。

 こいつ、貧弱過ぎやしないだろうか。どこの世界に、ただの一般人のビンタで死にそうになる奴がいるんだか。


「クソ、あの暴力女め。こっちが下手に出てればつけ上がりやがって……」

「これに懲りたら止めておけよ。その内死ぬぞ。」


 悪びれもしない男に、俺は釘を刺す。

 この世界は見た目では筋肉がないように見えても、実は滅茶苦茶強いなんて事がよくある。ナンパの代償が命は重すぎるというものだ。


「……お前、『黒海』のセイドを知ってるか?」

「そりゃ、聞いた事はあるけど。それがどうしたって言うんだ。」


 冒険者の中でも珍しい、海人(うみびと)という種族の冒険者だ。名前の通り、大体は海中で生活をしているというのが主な特性である。

 その種族的な特性で他の冒険者にはできない海上戦を得意とする、凄腕の冒険者と聞いている。実際の実力がどれ程のものかは知らないが。


「オレはセイドに憧れている。冒険者の中でも指折りの槍使いであり、水属性の魔法なら随一だ。水中戦ならあのゼウスにも、まあ、勝てると思う。」


 また、ゼウスという名前を聞いた。冒険者の中でも上位、二つ名に海が含まれるほどに水中戦を得意とするセイドであっても、ゼウスが勝つ可能性を男の中では拭い切れなかったのだろう。

 俺は冒険者に大して詳しくはない。しかし、冒険者最強と呼ばれるゼウスの強さは想像ができないわけじゃない。

 あのオリュンポスのメンバーを従える。ただその一点で、そのマスターの実力は知れるというものだ。


「そのセイドは、大の女好きと言う事でも有名なんだ。世界中に自分の妻を作って、そんな理由でずっと世界中を回ってる。」

「まさか、それで?」

「おうとも!オレも自分のハーレムを作って、夢の生活を送るんだ!」


 純粋な子供のような目で男はそう言った。

 別に否定はしないが、まずそれより先にやるべき事が色々あるような気がする。それにナンパでハーレムを作るというのも、色々と世間を舐め腐っているような。


「だから、ナンパはやめられないんだよ。」

「他の手段はないのか。もっと正当な手段というか、そういうのを踏んでの方が楽だと思うぞ。」

「全部やった後だ。飲み会に参加したりはしたが、残念ながらオレの目にかなう女性はいなかった。だからこそ、こうやって自分で街を出歩いて探すしかないだろ。」


 何かこいつは、根本の、性根の方から腐っているような気がしてならない。

 別に顔が悪いというわけでもないだろうし、服装のセンスもおかしくもない。きっと上手くいかないのは性格の方に難があるからではないのだろうか。


「そういうわけだ。それじゃあ時間もないし、オレはナンパを再開させてもらうぜ。」


 そう言って男は俺に背を向けて、歩き始める。しかしふと、何かを思い出したのか振り返った。


「オレの名前はアポロン。冒険者として歴史に名を刻む男だ。よく覚えておきな。」

「ああ、うん。」


 そう言って今度こそ、アポロンは去っていった。

 自己主張の強い、変な男であった。きっと名前を名乗ったのも、自分の知名度を上げるためのものだろう。そういう事を聞かれてもいないのに名乗るのが駄目なのだと、自覚しないとあいつは駄目だと思う。

 俺がそこまで干渉する事でもないし、気にしてもしょうがないが。


「どっと疲れた。早く戻るか。」


 それにしても、アポロンという名前を、最近どこかで聞いたことがあるような気がするが……気のせいだろう。重要な人の名前なら覚えているだろうし。

 今はそれよりも、どうやってテルムに魔法を教えるかの方が大切な事である。


 俺は体を風に変えて、直ぐに王城へと戻っていった。

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