31.何も盗んだことのない怪盗

 運命という言葉が、イデアは嫌いだ。

 自分如きには何も変えられないと、そう言われているようで昔から気にくわないのだ。


 奇跡という言葉が、イデアは好きだ。

 奇跡は起きるものであるが、起こす事ができるからだ。数え切れない努力と、緻密な計算が届きさえすれば。


「僕は神様が嫌いだけど、ロマンチストな所だけは、大好きだ。」


 神々が与えた祝福、スキル。物理法則を超越し、結果だけを生み出す論理の大敵。

 スキルの取得条件は現在も解明されていないが、一つだけ明確なものがある。それは想いに呼応する事。溢れて止まらない、強過ぎる想いが引き起こすという事だ。

 故に、イデアのスキルは決定した。たった一夜だけ、たった一夜の為に全てを賭け切る覚悟の結晶、オリジナルスキル『一夜限りの怪盗劇オンリー・ザ・ナイト』を。


「止めろ! この先は王女殿下の部屋だぞ!」

「――もう遅い。」


 体は彼らの目には映らない。影だけを残し、瞬きの一瞬にして城の廊下を駆ける。

 繰り出される幻覚魔法に、多種多様な魔道具、思考の裏の裏を読んだような体の動かし方。騎士達はたった一人の青年に翻弄されていた。

 だが、ここまで来れば目的地は察せられている。ならばドアの前で待てば良いだけの事である。


「頼む、どいてくれないかい?」


 ドアの前に立つ騎士の返事は、剣を振られるという結果で返された。


「いくら王国が腐敗したとしても、我らは誇りある近衛騎士。他の全ての命を犠牲にしても、王女殿下を守る義務がある!」

「ああ、そうかい! だけど覚悟してるのはそっちだけだと思わない事だ!」


 イデアは短い黒い杖で、次に放たれる二撃目を受ける。しかし武術の心得がない上、身体能力で騎士に勝てるはずがない。

 体勢を崩されたタイミングで、流れるように三撃目が放たれる。

 当然、イデアも正面戦闘で勝てるとは思っていない。わざわざ正面から受けた以上、何とかできる策があっての事だ。


「『一夜限りの怪盗劇オンリー・ザ・ナイト』」

「なっ!」


 剣は、イデアの体を。幻覚ではなく、実体が一瞬だけ透けたのだ。

 明らかな超常の現象は、それがスキルである事を決定付ける。いくら多種多様な魔法や武術を経験しても、スキルの経験はほとんどないからこそ、必ず一度は意表をつける。


「適当に、ここまで走ってきたわけじゃないんだぜ。僕だって魔道具屋の息子だ。仕込みは完璧にやるさ。」


 素早く地面に、杖で魔法陣を刻む。騎士がこっちへ向き直るまでの一瞬の内に。


「すまないね、僕にもやらなくちゃいけない事があるんだ。」

「させんわ!」

「残念ながらもう僕の勝ちだよ。」


 王城の至る所から魔力が、一瞬にして走る。走りながら王城に刻んだ魔法陣が、互いに干渉し合う事によって、一箇所に強力な結界を展開する。当然、王女の部屋である。

 正確に言うのなら、王女の部屋周辺。騎士とイデアの間にちょうど、結界が展開される。


「クソッ!」


 剣を叩きつけるがその結界は壊せない。

 外部から幅広く、しかも複数箇所から魔力を供給している以上、ちょっとやそっとで壊れる代物ではない。


「多分、悔しがってるんだろうな。防音もつけたから何言ってるか聞こえないけど。」


 イデアは王女の部屋の前で、呼吸を落ち着かせ、そして軽く服をはたいて汚れを落とす。

 そして意を決し、扉は開いた。当然と言えば当然であるが、何の抵抗もなく、一瞬にして扉は開くこととなった。

 そしてその中には――


「久しぶりね、イデア。」

「ああ、久しぶりだね。エイリア。」


 イデアは、ここに到達するまでにおおよそ五年はかけた。互いの顔を見るのも五年ぶりのはずなのに、まるで家族に会ったかのような安心感を、二人は感じていた。


「私を、連れ去りに来たのね。だけどその必要はないわ。」

「どうしてだい。このまま行けば、君は民衆に捕まる事になるだろう。あのストルトスの孫であれば、君だってどうなるか分からない。」

「それでいいのよ。私は最後まで、リクラブリアの王家として生きたいの。お父様が思い描いた、王国の中で終わりたいの。」


 それは半ば、強迫観念に近かった。王家の責任からは決して逃れてはならないという、誇りある父の背中から学んだことだからだ。

 国で起こった事の全てが王の責任であり、全てが王の功績である。そう父は言っていたのだから。


「だから、帰って。私はもう、これでいいから。」

「――怪盗記述、読んでくれたかい?」

「え?」

「やっぱり読んでないんだ。昔っからその本だけは開こうとしないね。」


 イデアが首を動かして部屋の中を見ると、机の上にその本が見えた。イデアはその本を指さす。


「僕は君に、毎日のように話を言って聞かせた。だけど、実は最後の部分だけ、一回も話したことはないんだ。」


 お姫様の前に怪盗が現れて、その後。確かにそのままであれば、物語の終わりとしては不格好な区切りである。

 だが、そんな事を、今までエイリアは考えもしなかった。


「怪盗は、お姫様に拒絶されるんだ。丁度、今の君が言ったように、王家としての責任を口実にね。」

「だから、どうなのよ。そんなの関係ないでしょう?」

「だからこそだ。僕はずっと、この時の答えを考えてきた。その答えを出せるようになるまで、君に話さないと決めていたのさ。」


 イデアはモノクルとシルクハットを外した。杖もそこらに放る。そのどれも、光となって一瞬で消える。

 怪盗としてではなく、イデアとして話すために。


「どれだけ君に拒絶されようと、僕は君が好きだ。どうか、盗まれてくれないかい?」


 イデアはエイリアへ手を伸ばした。

 しかしその手を、エイリアが取ることはない。


「……私も、あなたの事は嫌いじゃない。きっとあなたと一緒にここから逃げれば、幸せなのでしょう。だけど、それはできない。私だけが幸せになることは、許されない。」


 否定の言葉である。しかしイデアにとっては十分な答えでもあった。


「それなら、僕はここで死のう。」

「どうしてそうなるのよ。どうして言うことを聞いてくれないの。あなたは関係ないじゃない!」

「だけど、君のことが好きなんだ!」


 確かにイデアは関係ない。ただ、仲が良いだけで、エイリアが抱える心境など理解しえる事もない。

 だが、そんなもの気にならないほど、彼は恋をしていた、


「君が、自分の責任の為に自分を犠牲にするなら! 僕も君の為に自分を捧げる!」

「そんなこと、私は望んでない!」

「それなら、君がここで犠牲になることを誰が望んでるんだよ!」


 エイリアは言葉に詰まる。


「君の家族の誰が、そんな事を言ったんだよ。全ての責任を君に払ってもらうって。」


 その通りのことだ。結局ここで、エイリアが何もしないというのは、エイリアの我がままに近い。

 それにもし、逃がせるのであれば宰相だってエイリアを逃していただろう。


「それじゃあ、誰が責任を取るのよ! この王族が、生み出した全ての罪の!」


 エイリアもまた、アルスと同じように縛られていたのだ。血族に、一族に、王族に。

 だからこそ無意識下に、ストルトスの悪業を背負おうとする。


「……確かに、罪はあるだろうさ。罪があるからこそ、ここまで人は集まった。」

「なら!」

「それは君の罪じゃない。王族の罪だ。全ての王族関係者全員で負うべき罪だ。君一人で背負っていい罪じゃない。」


 口論の内に、エイリアの目には涙が浮かんでいた。


「それなら、私は一体どうすればいいのよ。私だって自由になりたい。お父様が生きていた頃みたいに、日常を過ごしたい。だけど責任を放り出せば、お祖父様と一緒じゃない!」


 記憶に蓋をして、忘れるのは簡単な事である。だが、それではエイリアは自由になれない。死ぬまでその楔に繋がれてしまう。

 だからこそイデアは、その楔を断ち切らなくてはならなかった。


「それなら、君の今まで苦しんだ分の報酬は?」


 しかもそれは、相手が心の底から納得できる形でなくてはならない。

 頭を巡らせる。怪盗であれば、呼吸をするように言葉が生え出てくるのだろう。しかしそれでは、盗めない。

 万物を盗む怪盗であれば盗めない。何も盗んだことのない怪盗だからこそ、そこに手が届く。


「君は王族として力を持つ代わりに、責任があるのだと言う。だけどその考えが正しいなら、君は親を失い、この部屋に囚われた分だけ幸せになる責任があるはずだ。」


 否定はしない。それは決して、間違った事ではないから。


「でも、だって――」

「これも、君の責任さ。どちらの責任も果たす為なら、一度ここから逃げ出さなくちゃね。」


 そう言って、イデアは不器用に笑う。

 何でも盗めた怪盗は、お姫様だけは盗めなかった。だけど、何も盗んだことのない怪盗は――


「私は、幸せになっていいの?」

「ああ、もちろん。」


 お姫様だけは、盗めたのだ。


「さて、お姫様エイリア。僕は君を盗みにここに来た。どうか、盗まれてくれないかい?」


 返事は、決まっていた。

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