23.幼き頃の約束を
別に何ということのない、昼下がりの日常の一幕である。未だ余裕があった頃のリクラブリア王国、それこそ子供が街中を走り回るのが許されるような時の事であった。
そんな中、平民の少年と、やけに美しい服を着込んだ少女が日陰で本を読んでいた。
『いつもその本ばっかり。たまには他の本を読まないの?』
『いいや、僕はこれがいいんだよ。どんな本にも、こんなにカッコいい人なんて出てこないんだから。』
それはイデアが、王女エイリアに渡した本。怪盗記述とだけ、表紙に綴られた、作者名すら書いてない本であった。
『だけどだけど、怪盗って言うけど、泥棒じゃないその人。』
『そうかもしれないけど、この人は自由で、何でもできるじゃないか。何にも追われず、何にも縛られず、きっと毎日が刺激的で楽しいんだよ。』
『それ、何度も聞いたわ。』
イデアにとって、怪盗というのは自由の象徴だった。揺らがぬ決意を持つ、自分の理想そのものであった。
まるで詩人のような言葉選び、鮮やかで無駄のない策を練る頭脳、そしてその計画を可能にする肉体。どれもイデアには持ち合わせぬものが故に、憧れたのだ。
『もう読まなくても内容なんて知っているじゃない。何百回読んだかなんて覚えてないでしょう?』
『少なくとも千回は読み直したね。多分、最初から最後まで何も見ずに朗読ができると思うよ。』
『私も、イデアがずっとそれについて話すせいでほとんど覚えちゃったわ。一度も読んだことはないのに。』
『君が読まないからだろ?』
『だって本を読むのは嫌いなんだもの。体を動かした方が楽しいわ。』
『僕だって、この本以外は読まないさ。この本だけが特別なんだよ。』
時に本というのは、単なる符号でしかない文字というのは、人の人生を、価値観を、生き方を大きく変える時がある。
その本が、イデアにとってはこれであったのだ。
見る度に体が痺れて、文字から目を離せず、そして気付いたら本を閉じている。そして読み足りなく感じて、また最初から読みたくなる。
彼はこの本に、大きく志す在り方を決められてしまった。
『僕は将来、怪盗になるんだ。世界を渡り歩いて、好きなものを盗んで行きていくんだよ。』
『そうなれば、わたしとは会えなくなるわね。』
『うぐ。』
そこまで考えて話していなかったからか、イデアは言葉に詰まる。
エイリアに一目惚れをしていたイデアにとって、エイリアと話せなくなるというのは、非常に困ることであった。
『なら、何も盗まなきゃいいんだろ。何も盗んだ事のない怪盗になればエイリアとも話せる。』
『それってもう、怪盗である必要はないんじゃないの?』
『う、うるさい!それでも僕は怪盗になるんだよ!』
赤面しつつも、必死にイデアは言葉を連ねる。その様子を見て、エイリアはコロコロと笑っていた。
『それならさ、イデア。』
可愛らしい笑顔とは一転、今度は悪戯好きの子供の顔をして、イデアへと問いかける。
『私が魔王に連れ去られたら、私を盗み出してくれる?』
『当然だ!友達を見捨てる奴なんていないよ!』
あまりにも真っ直ぐにイデアが答えたからか、今度はエイリアが面を喰らい顔を少し赤らめる。
『なら、約束するよ。君が何かに囚われたとしたら、僕が必ず盗み出してみせる。僕は君だけの怪盗になってみせるさ。』
エイリアは上手く言葉を出せず、ただ頷いた。それを見てイデアは無邪気に笑う。
『よし、なら今日は何をして遊ぶ?』
『え、あ、そうね! 何をしようかしら!』
ただの日常の一幕である。一人の少年と、一人の少女の会話の記録。
いつも通りに遊んで、楽しく笑い合う少し前のいつも通りの会話。だが、互いにそれを忘れていなかった。いや、忘れられるはずもなかった。
イデアにとっても、エイリアにとっても、人生で一番楽しかった瞬間は、その時であったのだから。
忘れない。
何を話したか、何を考えたか、何をしたか、どんな風に歩いていたか話していたか。
片や初めてできた友達、片や初めて好きになった人。
家族の次に、家族と同じくらい大切な人同士。故にエイリアは助けてもらうのを拒絶し、イデアは命をかけてエイリアを助けようとするのだ。
「……よし。」
イデアは用意した魔道具を袋に仕舞い込んでいく。
平民である為、容量が増大した魔法袋は持っていない。故に入れるのは小さな魔道具ばかりで、それも彼が憧れた怪盗に自然と似ていた。
「一欠片の小細工を、壮大な奇術に変えるのが怪盗だ。僕にはこれで十分だとも。」
自身が凡人であると、イデアは知っている。無限のように奇術を生み出し、怪人、怪盗と呼ばれるまでに至った、その人にはなれない事を知っている。
しかし、一度限り、一夜限りであれば。彼は怪盗に迫る事ができる。
一月かけて道具を用意し、一月かけて策を立てる。たった一夜の為に、一年以上の準備を彼は立てていたのだから。
万事抜かりはない。今の所、彼は賭けに全て勝ってきた。後は最後の、一世一代の賭けに大勝ちを決めるだけ。
だが、大事なのはそれよりも――
「君は、僕に連れ去られてくれるのかな。」
それは届かない問いかけであった。沈みゆく夕日に吸われて、消えてしまいそうな淡いもの。
その不安は、イデアの心の中にそっと、仕舞われた。
「クソ、まだアルスは国王につく気がないのか。あいつが半端に魔法が使えたりさえしなければ、エイリアのように腕輪をつけてやれるのに。」
自室にてストルトスはそう愚痴る。
意味もなく部屋の中を歩き回り、手に持つ紙を眺めていた。まるで何かに迫られているように、焦っていたのだ。
「あの無能な宰相も、不出来な子も、孫も、全員が役に立ちはしない。凡庸で、愚かで、物の価値すらわからぬ愚民どもが、何故余に黙って従わない。」
苛立ってストルトスは机を蹴った。
そうこうしている内に、部屋の扉がノックされる。それを聞いて今度は一転、満面の笑みを扉に向けた。
「おお、やっとか! どうぞ中へ。」
そうすると黒い軍服に身を包む、無表情な男が部屋に入る。
「ストルトス国王代理陛下。主よりの連絡です。」
「ああ、待っていた。待っていたとも。それで、何と言っていた? どうすれば良いと言っていたのだ?」
無邪気な子供のように、親を縋る子供のように、男の言葉をストルトスは待った。
「万事問題なし。よく眠れ、とのことです。」
「おお、問題ないと! ならば安心だ。きっと、巧妙な策を打ったに違いない。それだけでなく余の体調まで案じてくれるとは、これほど嬉しいことはない!」
さっきまで苛立っていたのが嘘のようであった。
全ての不安が消え失せたようにして、ストルトスは自分のベットへと向かう。
「それでは『感謝する』と、伝えておいてくれ。余はもう寝る。」
「承知しました。それでは失礼します。」
ベットに辿り着けば、ストルトスは直ぐに瞼を閉じ、夢の世界へと旅立っていった。
「どうぞ、
最後の男の声が聞こえたかどうかは、誰も知らない。
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