19.理屈と感情
この国に来て、丸3日が経過した。
3日というのは長いようで短い期間だ。3日の休暇は短く感じるし、3日の仕事は長く感じる。
せめて一週間であれば、長いと思う人も多いはずだろう。
俺は、長く感じていた。
俺の祖父のストルトス、異世界から呼び出された、前世の後輩である天野、この国の為に協力を頼む宰相。軽く想起するだけで、様々な事が思いかかる。
その全てを投げ出してしまえば、どれだけ楽だろうか。
論理的に考えれば、こんな事の全て、やる必要はない。メリットに対してデメリットが大き過ぎる。
これは責任の問題だ。自分が起因するものを、全て精算するという責務の話だ。
だからこそ、最高に気持ちが悪いのだ。
「こんな朝早くに来てしまい、失礼しました。ですが火急の用ですので、どうかお許しください。」
「構わない。朝は強い方だし、不快にも思わないとも。」
朝早くに宰相が部屋に来た。急いでいるようだったので、自分が寝泊まりしている客間に通したというところだ。
「それで、肝心の用は何だ。」
「昨日、城内に忍び込んだ者がおるそうで――」
「迂遠な言い回しはやめろ。わかったから、ここに来たんだろ。」
「……左様ですか。」
俺には読み合いなんてできない。できたとしても、今はそういう精神状態でもない。
「なら、単刀直入に言いましょう。どうかお見逃しいただきたい。」
「アレが、如何に非合法で、非人道的か分かっての事か?」
異世界から拉致した人間から、食料も何も与えずに魔力を吸い続けている。犯罪奴隷でもまだマシな待遇があるというものだ。
それを、国王と宰相という国のトップが承認しているという事実。これに嫌悪感を抱かなければ、それはおおよそ人ではない。
「私が秤にかけているのは、一人の命と国民全員の命です。ここで陛下に怪しまれれば、私は宰相を辞めるほかありません。そうなれば陛下を止める者はいなくなってしまう。」
「その為であれば、人がどれだけ苦しんでも構わないと? 罪なんて一つもない、ただの人間の女性を虐げるのは許容されると?」
「平和の為の犠牲です。全てを得るなんて事は、人にはできません。必ず何かを犠牲にしなければ、得られないものがあるのです。」
「そんなもの認められるかよ!」
俺は言葉を荒げる。
平和の為の尊い犠牲、そんなもの体の良い言葉だ。確かに大局で見るのなら、それが効率の良い方法なのだろう。それが最も多数を救える方法なのだろう。
だが、本人はどうする。犠牲になった当人は、どういう思いをする。皆から憐れみの目を向けられ、応援の言葉を、知らない人から吐き続けられる。どういう思いで生きればいい。解放されたとしても、一生犠牲者という肩書きがこびりつく人生を送り続けるのか。
一生憐れみ続けられる人生は、想像よりかなり大変だ。自分の今を、誰も見てくれなくなるから。
「それを考えるのがお前の仕事だろ。なんとかしろよ。」
「……何度も検討はしました。何度も思考はしました。ですが、これが最善だと、最終的に結論付けました。それにアルス殿が国王になれば、勇者の解放だって可能です。」
「それは、何日、何ヶ月先の話だよ。」
「最短でおよそ、三ヶ月ほどでしょうか。」
「遅いんだよ、クソが。」
どんどん口汚くなるのを自覚している。しかし、止める事もできはしない。
あそこに数年いるらしいという事は知っている。だから今更一ヶ月ぐらい、などとなるはずがない。今だ。今助けなければならない。
一日でも早い救いを。一日でも早く自由を。
誰だって、苦しみは一分一秒でも短い事を望んでいる。これ以上待たせてなるものか。
「国民も、勇者も、誰もが今すぐ助かる手段を考えろ。」
「そんなもの、思いついたらとうにやっております。」
「ならもういい。帰れ。お前と話すことはない。」
「……国王になるというお話、良いご返事をお待ちしております。」
そう言って宰相は立ち上がり、部屋を出た。誰もいなくなった部屋は数秒の間、沈黙に包まれる。
「もう、どうしたらいいんだよ……」
誰も犠牲になんかしたくない。犠牲になるとしたら俺だけだ。だが、俺のこの脳みそでは、誰もを助ける手段なんて思いつこうはずもない。
だがそれでも、諦められないのだ。
これは悪い事なのだろうか。何も失わずに、全てを得ようという考えは、間違っているのだろうか。
「……取り敢えず、行くか。」
それでも、人は動く。俺が何もしたくない時でも、無情にも時は流れ続けていた。
「俺は、やめろと言ったはずだぞ。」
王城へと続く道の、その真ん中に俺は立ち塞がっていた。かなり細い、裏道のような場所で、他に人は誰もいない。
いるのは、イデアという男一人だけだ。
「人を見殺しにする趣味はない。大人しくここで引き返せ。」
「……やだね。今日ここで、王女を拐わせてもらう。」
「無理だから止めているんだ。絶対に殺される。それに、何だってこんな昼間から行こうだなんて思ったんだ。」
返事はない。対話はもう、意味を成すことはなさそうだ。
「どいてもらうぞ、アルス!」
「……そうかよ。」
俺もこれぐらい真っ直ぐであれば迷わなかったのだろうか。危険を省みず、自分の思うものに一直線であれば、もっと良かったのだろうか。
答えは出ない。わからない。そもそも、答えはないのだろう。
答えのあるような簡単な世界であれば、どれだけ良かったか。百点が存在するような人生であれば、どれだけ楽であったろうか。
「――なら、眠っておけ。」
行ったことの正しさなんて、誰も証明してくれない。俺達は自分の人生を、感情でしか評価できない。論理的に点数を付けられるほど、人生は単純ではない。
「そう簡単にはやられるかよ!」
「やられるんだよ。だから、やめとけって言ってるんだ。」
しなる木の幹が、鞭のように鋭くイデアへと迫る。それを避けきれずに足を掴まれるが、その体は光となって消える。
俺が前に教えた幻覚魔法だ。この短時間でものにするとは、かなり筋がいい。
ただ、魔法使い相手には、落第点もあげてやれはしないがな。
「あぐっ!」
「魔法使いは視力よりも魔力を頼る。だから視界を誤魔化すだけの幻覚は効きが悪い。それに、引っかかったと思ったからといって、集中を解いたらこうやって捕まるだけだ。」
もう一つ伸びていた砂の手がイデアを捕まえ、拘束していた。全身を砂に包まれて身動きも取れていない。
俺にこの有様では、ディオと会えば瞬きの間に死んでいただろう。
「……どうしてだ。どうして、そんな無茶をする。そこまで王女が好きなのか。」
しかしそんな事、イデアにも分かっているはずだ。一介の騎士にすら勝てない。その程度の実力しかない事ぐらい、イデアだって理解しているはずだ。
「俺は、お前が分からないよ。イデア。」
俺は恋というものを体験した事がない。俺が激情にかられるのは常に負の感情からである。恋というのは、そこまで眼を曇らせるのか。
「……僕は、お前みたいに力はない。確かに、無謀な賭けだってわかってるさ。」
「なら、何で。」
「誰だって、覚悟を決めなくちゃいけない時がある。それが僕にとっては今だ。万が一、いやその遥か先の可能性でも、僕が命を賭けるのには十分なんだよ。それが、人の生き方だ。弱者の、弱者なりの覚悟だ。」
その時、俺はなぜか、イデアが自分よりずっと強く見えた。
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