18.分岐点

 異世界転生をしたら、地球から因果関係が全く外れ、欠片も関係がなくなり、最早地球出身の設定が腐っている作品を、俺は何度か見かけた事がある。


 だが、少なくとも俺は、そう上手くはいかなかった。


 ツクモをこの世界に連れてきてしまったし、こうやって俺のせいで後輩の天野すらも連れてきてしまった。

 地球という世界線と、俺が住むアグレイシアという世界線は切っても切り離せないのだ。

 俺が、地球出身である限り、絶対に。


「ぁ、が」


 言葉ではなく、ただの気持ち悪さ故に喉の奥から漏れ出す音だ。

 俺の精神は屈強ではない。何があっても強く自分を保つというのが、酷く苦手だ。


 自分のせいで異世界に来た後輩を助けたいという気持ち。

 数少ない肉親と話し合い、分かり合いたいという気持ち。


 その絶対に両立できない気持ちが、渦巻き、それが気持ち悪さという形で現れる。

 気付けば俺は城を出て、路地裏で吐き出していた。

 怒っているのに慈しんでいるような、悲しいのに嬉しいような、殺したいのに愛したいような。そんな相反する感情が内在した結果である。


「これが平気な奴が……狂人なんだろうな。」


 単一の矛盾しない感情を抱えている奴は、そいつなりのルールを持っている。俺達と道徳観が違うかもしれないが、狂人ではない。

 狂人とは矛盾しているからこそ、矛盾のままでいられるからこそ、狂人であり、万人が恐れるのだ。この世の誰もが理解できないからこそ。

 常人が矛盾を抱えれば、こうやって気持ち悪さで頭がおかしくなるのが普通だ。


「おい、何でうちの家の路地裏で、吐いてるんだよ。飲みすぎたのか?」


 声が聞こえた。時間帯で言えばもうほとんどの人が寝ている頃である。だから、話しかけられるとは思わなくて、鋭く声の主の方へと顔を向ける。


「なんだ、イデアか。」


 そう言えばこの家には覚えがある。今朝、丁度来たばかりだ。

 イデアは吐瀉物の臭いを嗅ぎたくないためか鼻を手でつまみ、こっちの方へ歩いてくる。


「すまん、後で片付ける。」

「いや、酒飲みが適当な所で吐くのはたまにあることだし、片付けてくれる分には嬉しいけど、そこは気にしてない。僕が気になるのは、何で僕の家の裏で吐いてるのかって事だ。」

「嫌な事が、あったんだよ。」

「……僕より歳下なのに大変そうだな。」

「いつものことだ。」


 そうだ、いつも通りではある。いつも通り、どうすればいいのか分からない。

 だが、今回は少し状況が違う。いつも厄介事は一つだけ。今回は二つ重なっている。しかも互いに面倒な形で。


「僕の家で、休んでいくか?」

「いや、いい。大丈夫だ。」


 ここで城からあまり長時間離れていれば怪しまれる。今頃、地下への侵入者を調べ回っている頃だろう。

 本当に、後先を考えない馬鹿な事をした。だが、必要なことでもあった。

 俺はあの中にいるのが誰なのか、知っておかなくてはならなかった。


「イデアこそ、何でこんな夜まで起きてるんだよ。」

「本とかを読んでいたら、こんな時間になってただけだよ。」


 本を王女に渡してくれと、そう言っていた辺り、本を読むのが好きなのだろうか。


「……第二学園を出た魔法使いでも、そんな悩むことがあるんだな。」

「いくら強くても、それだけじゃ理想には届かないからな。強いだけじゃ人は英雄になれない。英雄としての行動を為すからこそ、英雄になるんだ。」


 俺に実力があっても、それを扱うに相応しい人格が伴わない。だから俺はまだ、夢という理想にはほど遠い。


「僕はアルスと会って、まだ三日だし、こんな事を僕が言って信憑性がないかもしれない。だけど一つだけ、年長者として言わせてもらう。」


 唐突に、そんな前置きをして、イデアは話し始めた。


「そんなに難しく考えないのが楽でいいと思う。結局人生って、思いついた事を全部やるのが楽しいじゃないか。」

「……励ましてるのか?」

「まあ、そうなるな。苦しそうだったから、つい。」


 そんなに、酷い顔をしていたのか。会ったばかりの俺を、励まそうと思えるぐらいの。

 俺はそれで少し冷静になって、取り敢えずは嫌な考えを振り払う。一度頭を冷やして、冷静に考えた方がいいな。


「悪いなイデア、ありがとう。また今度、機会があれば魔法でも教えるよ。」

「教えてくれるなら、ありがたく受け取っておくよ。」


 吐瀉物を土魔法で包んで、封じ込める。そしてその土を風属性で圧縮させて、地面の底に沈めた。


「……アルス、僕はお前が羨ましいよ。僕が君であれば、簡単に、王女を連れ出せるのに。」

「やめとけよ、イデア。王城に忍び込めば殺されるだけだ。」

「それでも僕は……いや、何でもない。忘れてくれ。変な事をつい言ってしまった。」


 王城にはディオがいる。昨日のあいつらの二の舞になるだけだ。


「本当に、やめておけよ。」

「わかってるって。そんな事をするのは馬鹿ぐらいだ。」


 一応念を押しておく。流石に無謀な事をやって、死なれるのは寝覚めが悪い。

 魔力を練って、体を風へと変える。雷や光に変えても良いのだが、俺は戦闘時以外は風が好きだ。世界に溶け込めるような、悩みを全て忘れられるような気が、するのだ。


「元気でな、アルス。死ぬなよ。」

「俺は、そう簡単には死なないさ。」


 死ねない、と言ってもいい。俺は生きなくてはいけないのだから。






 王都の、とある屋敷。貴族が住むような荘厳な屋敷の、奥の書斎にて、一人の男が、先程退室した使用人の話を聞いて頭をひねっていた。


「なるほど、気付きましたか。まさかこれほど早いとは、やはり賢神、ということでしょうか。」


 その男は宰相、ラボランテムという男であった。机の上に積み重なる書類を処理しながら、考え事を重ねていく。

 目の下には濃く隈がついて、くたびれ切った表情を浮かべながらも、考えるのも、体を動かすのも止めはしない。


「この状況で陛下と遭遇すれば、勢い余って陛下を殺すかもしれない。陛下が死ねば、他の家に付け入る隙を与えてしまう。それだけは、絶対に避けなくては……」


 宰相が国王代理の暗殺を行わない理由は、その場合残った王位の為に争いが起きるからだ。もしすんなり決まっても、まともな治世が行われる確証はない。

 どちらにせよ、一介の平民にして、文官でしかない宰相が抗う要素がなくなってしまう。


「陛下をなんとか抑えて、アルス殿とも交渉を済ませる。それしかない。」


 宰相には地位や財産に興味はない。それを求めるのなら、公爵家のどちらかに付き、さっさと国王代理を暗殺してしまえばいい。

 だと言うのに、彼は身を粉にし、最悪な国王の下で宰相を続けていた。


「諦めてたまるものか。我が王との約束を、決して違えてなるものか。」


 自分を励ますように、元気付けるように、そう言った。

 宰相には、この国を守る理由があった。平民である自分を宰相とし、死ぬ瞬間まで頼ってくれた、王への恩があった。

 どれだけの外法を行っても、正義でなかったとしても、その為であるならば全てをやってもいい、そんな覚悟があった。


 故に宰相は未だ知り得ない。

 その、アルスとの真逆の理想が、固過ぎる決意が、理想を終わらせることになるなど。

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