17.気持ちが悪い
俺は決して頭が良いわけではない。俺の考える策は必ず凡手である。俺が自分の頭で考えて上手くいったのは、アースの裁判の時ぐらいだ。
だが、今なら思うのだ。きっとアースなら、お嬢様なら、もっとスマートにできたはずだと。
俺は決して天才の類ではないし、相手の裏をかくのはできない。だが、そんな俺が唯一できる事がある。
「そこを、どけ。」
普通ならやらない事を、無理矢理やる事だ。誰もが一番最初に思いつき、そして一番最初に切り捨てる選択肢を迷いなく選択することだ。
「殺すぞ。」
初めて、明確な殺意を持って、その言葉を使った。
目の前にいるのは剣を構えた騎士二人。外から見える闘気から考えても手練だ。
だが、賢神の称号はそこまで甘くはない。
賢神とは世界にいる数千万の魔法使い、その上位数千人だけに与えられる称号。末端であっても、その力は一般の騎士とは比べ物にならない。
「……そうか、どかないか。」
俺は前へと足を進める。
実を言うのなら、異界から呼び出された勇者といった辺りで、そうなのではないかと思っていた。
だが、それを認めたくなくて、こうやって目の前に証拠を突きつけられるまで何もできなかった。俺は知るのが怖かったのだ。自分の悪行を認めるのが嫌だったのだ。
だが、俺がさして驚くこともなかったという時点で、答えは既に出ているようなものだ。俺は予想していたのだ。
「『
俺の背中から、地下のこの通路を覆い隠さんとするほどの炎の翼が広がる。
俺は自分が嫌いだ。大嫌いだ。確信を得なければ足も動かせない、嫌な事から目を逸らし続ける偽善者だ。俺がもっと、現実を直視できるような人間であれば、母親が死ぬこともなかった。
「気をつけろ! 相手は賢神だぞ!」
「もう遅い。」
焔の翼で宙を舞い、焔へと変わった両腕で二人の騎士を同時に取り押さえる。だが、動きは止めない。地面を引きずるようにして、俺は前へと羽ばたき続けた。
体は焼け焦げ、地面に跡がつくほど鋭く引きずった。死にはしないが、動くのは難しいぐらいの負傷のはずだ。
俺は魔法を解除して、地下通路を進む。
この地下通路を見つけるのは難しくなかった。魔法による探知を城中に張り巡らせば、空洞があるかないかぐらいは分かる。
入るのには少し仕掛けがあったようだが、空気が通る場所さえあれば、俺はそこを通れる。
「……クソ、クソが。」
それは他ならない自分に向けた言葉だ。どうしようもなく、どこまでも卑怯で、救えない自分の愚かさにだ。
地下通路の奥には、鉄の扉があった。武骨で、刑務所の扉のような感覚の黒い扉だ。恐らくこの先にいる。異界から来た、呼び出されてしまった勇者。
「――気持ち悪い。」
そう言いながら、扉を風魔法で無理矢理吹き飛ばす。手で開けるのも面倒だった。
「やっぱり、そうなんだな。」
俺の目の前には、少し薄汚れてはいたが、確かに人がいた。黒く長い髪に、見覚えのある顔をした女性が、四肢を鎖に繋がれた状態で、地に伏して眠っていた。
その人の周辺には淡く光る丸い結界があった。
俺はその人を知っている。天野光という人を知っている。だからこそ、俺の頭に湧き上がるのは、どうしようもない後悔であった。
「……わかってたんだろ。自分の事情に追われて、面倒ごとから敢えて目を逸らしたんじゃねえか。」
これは自分の罪だ。脳裏に常にありながらも、無意識化に否定し続けていた、一つの答えであるのだ。
勇者なんてものは現実的ではない。この国のことがどうかだとか考える必要があったから余裕がなかった。別にちょっとぐらい放っておいても大丈夫だろうと思った。
言い訳なら無限に湧いて出る。しかしその言い訳が、取るに足らないものであると他ならぬ自分自身が否定する。
俺は畢竟、答えを見たくなかっただけだったのだ。どんな嫌なものでも、確認するまでは希望にすがっていられる。だから俺は、ここに来るのを後回しにし続けた。
俺は偽善者だ。誰かのためなら無意識に体が動くだとか、感情を無視して最善を選ぶことなどできはしない。漫画や小説の主人公とは、あまりも程遠い。
わかっていたのだ。勇者なんていう噂が、根拠なく流れるには現実性が無さすぎることぐらい。
わかっていたのだ。俺が超常が故にこっちに来たのなら、後輩が来る可能性が高いことぐらい。
わかっていたのだ。今、最も苦しんでいるのは俺じゃないってことぐらい。
わかって、いたはずなのだ。俺が、俺自身が、この状況を全て覆さなくちゃならないってことぐらい。
理想とは無限に湧く。しかし夢でもないこの世界は、自分の想像とは明らかに逆を行く。
それでも理想を追い続けるというのなら、悩んでいる時間などありはしない。その場における最善を、どれだけ辛くても、選ばなくてはならなかった。
「自分の知り合い一人、まともに救えないのに、幸福の魔法使いになんてなれるわけないだろ。」
自分が原因であれば、余計にだ。
今はまだ、連れ出すことはできない。人を運びながら、ディオから逃れるには、あまりにも算段が足りない。置いていくしかないのだ。
「遅れてすまん、天野。全部俺のせいだ。」
罵ってくれて構わない。理不尽なこんな目に合っているのは、全て俺の責任である。これ以上言い訳をするつもりはない。
俺が善人であろうとするのなら、助けられたはずの人間を捨ておくのは、決して許されぬ怠惰に他ならない。
「必ず助けに来る。この国だって変えてみせる。だから頼む、耐えてくれ。」
一体どれだけ、ここにいたのだろう。一体どれだけ、ここで耐えていたのだろう。それに比べれば、俺の境遇などただの厄介ごとで片付けられる。
俺はただの卑怯者で終わらない。終わってたまるか。偽善者なら、偽善者を貫き通さなくてはならない。偽善を、薄っぺらい善行を色濃く重ねる必要がある。
それが俺にできる唯一の贖罪である。
「絶対に連れ出してみせるから。」
そう言って俺はこの場を去る。長居をすれば、ディオがやってきてしまう。あの男なら、床をぶっ壊して来ることだってきっとあるだろう。
――だが、気持ち悪さは拭えない。
天野は、俺が救わなくてはならない。助けなくてはならない。絶対に助けると、そう決めた。俺の夢のためにも、それは必要なことだ。
しかしそれとは別に、あの男に、国王代理に、ストルトスに、祖父に、嫌われたくない自分がいる。この期に及んで、対話でなんとかならないかと考えてしまっている俺がいる。
――気持ちがわるい。
気が狂いそうだ。俺はどうすればいい。どうするのが正解なのだ。
わからない。何もわかりはしない。俺が主人公であるのなら、迷わず家族を切り捨てられたのかもしれない。だが、俺はその選択を選べなかった。
俺は血縁にすがっている。家族に執着を抱いている。切り捨てるなんて、考えただけでも視界がにじむ。
――気持ちが悪い。
しかしその二つは同時に取れない。何故なら他ならぬ、天野を苦しめているのがストルトスであるからだ。
どちらかを救うという事は、どちらかを捨てるということ。その決心ができない自分が、何よりも気持ちが悪い。反吐が出る。
ああ、気持ちが悪い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます