7.怪盗記述
採集したスープはネズミに食わせた。すると明らかに動きが悪くなり、弱々しくその場を離れていった。
人間とネズミでは、当然だが毒の致死量は違う。ネズミも殺せない程度の毒であれば、俺が死ぬこともなかっただろう。しかし、毒を盛られた事には変わりはない。
そしてそれを、ストルトスが知らないとはどうも思えなかった。
「疑い過ぎか……いや、ちょうどいいぐらいだな。」
未だにストルトスがどんな人間であるかは正確に把握できていない。そういう時は、ありとあらゆる考えの裏を見るべきだ。特に力を持つ人間には。
「取り敢えず、目先はこれか。」
俺は虚空から現れた一冊の本を掴み取る。無題の魔法書の収納魔法にしまっていた、イデアから渡された本だ。
大して分厚くはない小説であり、題名は『怪盗記述』という一言だけだ。
別に王女に渡すことは構わない。俺も色々と話してみたかったし、そのついでに渡すのでもいい。だがその前に、目を通してみたかった。
「ええと、昔々あるところに――
――昔々、あるところに一人の怪盗がいた。
その怪盗の事を言い表すのに的確な言葉はない。紳士というにはだらしなく、天才というには一つ足りず、義賊と言うには意地汚い。彼のことを不完全なパズルと呼ぶ者がいるが、不完全というには些か整って見える。言ってしまえば、とっかかりがない事が特徴であった。
彼が泥棒ではなく、怪盗と呼ばれた所以はその盗み方にあった。必ず盗む際は予告状を出し、そして時に大胆と、時に慎重に、時に狡猾に、予告状を出した物を手に入れてきていたのだ。失敗は一度もなかった。故に怪人、怪盗と彼は呼ばれた。
彼に決まった形はなかった。得意技も、好んで使う手段も、名前ですら盗む為に変えてくる。だからこそ彼のことを皆、ただ
しかしそんな彼であるが、失敗が一つあった。
彼の失敗は、彼の最も長所とする、完全ではなく、完璧を求めないが故の掴みにくさから生まれた。端的に言おう、恋をしたのだ。
元々彼は恋多き人であり、様々な国に恋人を作っては、置いていくのを繰り返していた。
しかし今回は違った。そこまで簡単にもいかなかったのだ。何せ今回彼が恋をしたのは一国の王女、加えて言うのなら、大国の箱入り娘でもあった。
一国の王女となれば、警備は強固、盗み出すのも一筋縄ではいかない。今まで、街中で口説き落としてきた女とはわけが違う。
だが、彼がその程度で諦めるのなら怪盗とは呼ばれはしない。
かくしてその国に、一枚の予告状が、他ならぬ王女に届けられることとなったのだ。
『貴女を、盗みにいきます。』
そんな一言だけが添えられた、無骨な予告状が王女の部屋へ届けられた。
それを見た国王は激怒した。怪盗などと呼ばれているが、結局は泥棒である事には違いない。更に言うのなら、近日中に王女は他国の貴族に嫁ぐ予定があった。より国家を盤石にする為にも、ここで王女を失うわけにはいかなかったのだ。
王城では警備の量が増えることとなった。王女も必ず誰かを連れて歩かなくてはならず、その日以来、窮屈な生活を過ごすこととなった。
ならば王女はこの予告状を憎んだのか、と言われるのであればそうではない。むしろ王女はこの予告状に希望を抱いてすらいた。
なにも彼女が歯の浮くような台詞に浮かれ、魅了されたからでは決してない。
彼女は自由に憧れていたのだ。翼のない人が、自分より不自由であるはずの鳥に憧れるように。王族として数多もの枷をつけられて来た彼女にとって、王城とは牢獄で、人生とは始まった瞬間に終わっていた、何も映さないレコーダーのようであった。
だからこそ彼女の心は動かされた。人生に彩りを、その怪盗は与えてくれるかもしれない、と。
(中略)
予告状には日付が書かれていた。その日付の前日に、王女の元へ国王が足を運んだ。
国王は王女へと、明日のことについて話し始める。貧乏ゆすりをしながら、早口の大声で、まるで責め立てているかのようであった。
「いいか、一歩も部屋の外に出るな。食事は事前に作った物を置いておくから、それを食え。窓も開けるな。カーテンも絶対に閉めておけ。あのこそ泥が何をしでかすかわからないからな。お前の結婚で、あの貴族との繋がりができれば、貿易も融通してくれる。私の悩みの種をこれ以上増やしてくれるなよ。」
王女は少し経ってから、その言葉に頷き、国王はそれを見て、また不機嫌そうに「ふん」と鼻を鳴らした。
国王は多忙であることは王女も当然理解していた。国の発展を常に考え、国の為に、自分の全てを捧げるような男であったのだ。だがそれ故に、家庭を顧みなかった。
結婚ですら国王にとっては手段であり、娘は道具であった。人として国王を尊敬できたとしても、父として国王を尊敬するには、王女は至らなかった。
「それと結婚は今月以内だ。絶対に体を傷つけないようにな。そんなことで文句を言われてはかなわん。」
そう言って国王は、乱暴に部屋を出ていった。王女の部屋に残ったのは王女だけで、椅子から、窓から零れる月光をぼーっと、ただ眺め続けていた。
(中略)
遂に、決行の日は来た。人々が寝静まり、日付が変わるほんの少し前。体に流し込んだアルコールで緊張を消し去った、そんな怪盗が現れた。
「さあ、奇怪な事件を始めようか。」
その声は闇夜に紛れて消えていく。その代わりに、王城の数ヵ所、三つの地点で同時に爆発が起きる。
怪盗は忍び込むという選択肢を選ばなかった。最高峰の警護システムを相手に、いくら策を弄しても無駄骨であると確信していた。だから壊した。いっそ、バレた方が楽だと断じて。
その爆発口の一つから、怪盗は王城へと入り込む。直ぐに人は集まるだろうが、発生源は三ヵ所で、場所も遠い。分散は避けられないだろう。
「行け、ゴーレム。」
そして手元から何体もの小さな人形を投げる。それは魔力を持った人形であり、城内を素早く動き回り始めた。探知系の魔法を混乱させ、使えなくさせる為である。
怪盗は走り始めた。ここまで来れば待ったなし、人が集まるより早く、王女の部屋へ辿り着くだけ。下準備の苦労と時間に比べて、あまりにも呆気なく王女の部屋の近くまで迫る。
「いたぞ! 怪盗だ!」
王女の部屋に近付くほど、当然ながら見張りは増える。となれば見つからずには進めない。だからこそ敢えて王女の部屋から離れた位置から入り込み、戦力を散らしたのだ。
「おやおや、良いのかい。この世に無策で敵に姿を晒す奴はおらんよ。いたとしたらそれを、馬鹿と呼ぶのだ。」
見張りの騎士の数人に囲まれても尚、それでも怪盗は余裕そうに、社交界でダンスを誘うように言葉を囁く。
見張りは何も言葉を発さない。彼らにとって仕事は、眼前の怪盗を捕まえる事のみ。軽口を叩くことでも、談笑を楽しむことでもありはしない。
「私には策がある。君達は馬鹿だ。それだけで十分、今やっていることの分の悪さが伝わると思うがね?」
怪盗は口元を歪め、その瞬間に忽然と姿を消した。転移魔法などではない。単に床に穴を開け、落ちていったのを光属性の魔道具で、そこにいると誤認させただけだ。
その証拠に彼が消えた足元には一つの魔道具が落ちていたのだから。
だが床の穴はその頃には魔法で塞がれていて、そんな初歩的な手段で逃げたなど騎士は思わなかった。相手が怪盗だからと、何をしてもおかしくないと考えることを放棄して。その下が王女のいる階だと忘れて。
「あと、数人か。」
魔道具で自分が切った床の修理を終えた怪盗は、そのまま王女の部屋へと走る。王女の部屋の前には数人の騎士がいた。
こればかりは退ける必要がある。逃げれば目的は果たせない。
「予告状通り、王女を盗みに来た。そこを離れたまえ、騎士たち諸君。」
短刀を取り出し、一歩ずつ怪盗は部屋へと近付いていった。騎士の後ろから接近する、小さなゴーレムに気づかせないように。
「……だから、離れろと言ったのだ。」
ゴーレムは、王女の部屋の前で爆発した。侵入してから、未だ五分も経たない頃である。
迅速な行動が仇となり、王女の部屋の前にいる騎士の数は少なく、いとも簡単に、怪盗は王女の部屋へと辿り着いた。
「誰?」
怯えた目で王女は怪盗へと尋ねる。まだ彼女は起きていた。
爆発でドアは壊れ、カーテンも爆風で空いてしまっていた。棚なども一部倒れてしまっており、王族の部屋と思えないほどに部屋は荒れている。
「驚かせてすまない。私とて少し乱暴であったと自覚しているが、残念ながらこれが一番合理的だった。」
月明かりが窓から差し込む中、迷いなく怪盗は王女の目の前まで進み跪き、そして右手を王女へと差し出す。
「貴女を盗みに来た。どうか、盗まれてくれないか?」
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