13.約束の地へ
真はどこか苦しそうで、不知火は見てわかるほど困惑していた。
事情を知らない不知火にとって、真の言っている事は理解できるはずもなく、その詳しい事情を話せるほど、真に余裕はない。
だが、不知火にも分かる事があった。
自分を助けてくれた恩人が、ヒーローが、何かで苦しんでいるのだと。それを自分が何とかせねばならないという事なのだと。
不知火は臆病であっても、人の恩に報えぬ卑怯者ではなかった。
既に勇気は右手にあり、踏み出す事は容易い。後は左手に想いを掲げるだけだ。
「違う!」
そして、そんな建前の以前に、何より不知火は認めたくなかった。
不知火が出した声は、真を驚かせる。
そんな言葉が返ってくるなど、思っていなかったからだ。このまま消えていく夢の中に、価値が生まれるとは思っていなかったからだ。
不知火は真と初めて、しっかりと目を合わせる。
「私には、草薙君の言ってる事は、分からない。」
目から一滴の雫が零れ落ちる。その雫は、自分の為に流したものではない。
「だけど、間違ってる。だって草薙君は、私を救えたんだよ。ここにいる私は、草薙君に救われたと思ってるんだよ。」
「だからそのお前が、俺の記憶の中の存在なんだよ!実際のお前はもう、死んでるんだ!」
「そんなの関係ない!」
数時間前の二人とは真逆で、不知火が真へと迫っていく。
「ここにいる私は! 間違いなく今を生きる私なんだよ! この世界は私にとって全てで、本物か偽物なんて関係ない!」
「ッ!」
「草薙君が私を救うと選んだから、今があるんでしょ!?」
ここは夢の世界だ。一泡のように儚く脆く、そして誰の記憶にも残らない。
ただ、真の中には残る。無かった事になどなりはしない。真が挑んで人を救い、そして人を変えたというのは、間違いなく事実だ。
そして少なくとも、ここにいる夢の不知火は、そんな世界しか知らないのだ。
「だから、私は、絶対……!」
必死になって言葉を紡ぐがその先が出てこない。
真の生き方や感じ方は間違っていない。そんな風に感じるのが、人としては美徳というものだ。だからこそ、論理的に追い詰める言葉は、生憎と不知火の手元には無かった。
しかし最後のピースは、他ならぬ真の手元にある。
「……俺は、人を幸せにできる人間になりたいんだよ。」
最後に必要なのは、真の覚悟であった。
既に夢は決まり、目標は決まり、想いは決まった。後はそれを貫き通すという覚悟が、最後のピースを嵌めてくれる。
「それを最初に思ったのは、お前が死んだからだ。こんな世界の不条理に、嫌気が刺したからだ。」
草薙真は、アルス・ウァクラートという人間は未だ未完成だ。否、完成された人間など存在するはずがない。
故に人は悩み、苦しみ、何とか自分ながらの答えを出す。
その答えは、もう彼の心の中にあったのだ。しかしアルスという人間は、一度も一人で勝ったことが無かった。
母親を殺したヴァンパイア、街を襲ったグリフォン、貴族が使役したゴーレム、才能を体現したような公爵令嬢、圧倒的な強者であった名も無き組織の幹部。
そして今も、一人で強敵に勝てた事はなかった。
それが自分の弱さを証明しているようであったのだ。
「色んなクソみたいな事があって、負け続けてさ。」
草薙真も、アルス・ウァクラートも、ずっと昔から自分が嫌いだ。
肝心な時に何もできず、ヒーローのようにカッコよく人を救えず、夢すらも遥か遠い。そんな自分が嫌いなのだ。
「そんな俺でも、お前は救えたのか?」
「勿論、だよ。救えてないはずがない。」
見え切っていた答えだ。その答えは、既に自分の中で出ていたのだから。
自分に嫌気が刺しながらも、今度はしっかりと胸を張る。立ち止まれない理由もあり、真自身も立ち止まりたくはなかった。
後はその足が、想いの軌跡を辿るだけでいい。
「……ありがとう、不知火。俺はまた、成長できた気がする。」
真は不知火に背を向ける。そしてその家の出口へと、歩いて行った。
「だから、忘れない。ここでの記憶の全てを、何一つ忘れない。ここは俺が、お前が、命をかけて戦った世界だ。絶対に忘れねえよ。」
真には急ぐ理由があった。
決着がまだだ。まだ、友との約束は果たされておらず、自分はどれだけボロボロになっても、そこに辿り着かなくてはならない。
「……またな、不知火。」
「――ありがとう! またね!」
そしてその手がドアノブへ触れ、夢の世界は、最期を迎えた。
俺は気付けばまた、水の中に沈んでいた。
それと同時に、俺の体から草薙真というものが剥がれ落ち、俺だけになるのを感じた。
しかし、その記憶や想いは間違いなく、俺、アルス・ウァクラートに受け継がれている。
『……反吐が出る三文芝居だったね。』
また、俺の頭の中で声が響いた。
少し不快そうな声色で、事実気に入らないのだろう。この結末が。
『くだらない。こんな夢物語に惑わされ、こんなにもつまらない結末を迎えるなんて。本当に、くだらない。』
ツクモは時に俺の味方をする時がある。だが、俺の敵をする時もある。
未だにこいつが味方なのかすら分からない。
だが、今回は少なからず世話になった。感謝はすべきだし、語るべき事は語ったほうがいい。
「確かにな。本当にくだらない話だったよ。」
別に世界に影響を及ぼすような事でもなく、たった一人の少女が死ぬか生きるかだけの話。
しかもそれが、俺の記憶にしか残らないときた。
一見無駄に思える出来事だし、何も生まないであろう出来事だ。
「だけど、勇気を貰った。お前には意味がなくても、俺には、俺だけには意味があったとも。」
『相変わらず、君達人間は無駄なことが好きだね。』
「無駄に価値を見出だせるのは、人類だけだからな。」
価値の捉え方は人によって無限に変わる。
そして人類は、ありとあらゆる無駄なことに価値を与え、そして発展した種族だ。
なら無駄な事をするのを恥じる必要はない。いつか夢に辿り着くための、必要な事だったと割り切ればいい。
「それで、何で俺をこの世界に呼んだ。そのまま返せば良かっただろうが。」
『……君が知る必要はないさ。』
「そうかい。なら、出してくれよ。」
長居し過ぎた。現実世界ではどれくらいの時間が経っているのか、想像がつかない。
もしかしたらここで過ごした日数、いやそれ以上の時間がかかっているかもしれない。だが、帰らなくてはならない。
『安心したまえ。現実世界だと経っていても一時間と少し、という程度だとも。』
「心読むんじゃねえよ。今でもビビるんだから。」
『すまないね。私はそういう性分だから。』
体が浮上していく。底に沈んだ体は水の表面へと瞬く間に上がって行った。
『君と会うのはこれが最後だよ。私はもう君に会いたいとは思わない。』
「……どういう事だ、それ。」
『もう君に、私が語りかける事はない。だから私も、今回の不快な出来事を忘れるとするよ。』
「ちょっと待て、一体それは――」
呼び止め、ツクモの真意を聞き出すより早く、俺の体は浮かび上がってしまった。
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