11.経験

 同刻、アルスとヘルメスが話していた頃。

 都市がある十層の中でも、都市部から大きく離れた所に二人の女性がいた。


 一人は鮮血のように真っ赤な赤色の髪の背丈の小さい女の子であり、その自身の髪で右目を隠している。

 もう一人は薄赤色の髪と、猛犬を思わせる鋭い目に白衣を身にまとう女性であった。


「それで、何の御用でしょうかティルーナさん。」


 白衣を着た女性、デメテルがティルーナにそう尋ねた。

 彼女を呼び出したのは紛れもなくティルーナであり、その当人はというと、ただただ真剣な目でデメテルを見ていた。


「お願いが、あるのです。」

「……内容よります。とにかく話してみてください。」


 ティルーナは言葉を選ぶように、口を少し開けたまま黙っていた。

 しかしそれも一瞬であり、決心がついたのか口を開き始める。


「私に回復魔法を教えてください。」


 そう言ってティルーナは深く頭を下げた。

 デメテルは少し困ったように眉を顰め、そしてティルーナに頭を上げさせることなく問いかける。


「あなたが回復魔法を使うことは知っています。貴族であるというのに回復魔法を使う人間という事で教会の間でも有名でしたから。」


 普通、回復魔法は貴族が学ぶものではない。

 回復魔法というのは人のために自分を犠牲にするような魔法であり、人に施す側の人間である貴族にとっては対極に位置するものだったからだ。


「そしてその腕も知っています。回復魔法とは攻撃魔法とは大きく方向性が異なり、取得難易度は桁違いです。だからこそ癒し手は教会がほとんど独占している。そんな教会の癒し手であっても一流になるのには十年の歳月が必要とされています。」


 回復魔法は攻撃魔法に比べて遥かに発動そのものが難しい魔法だ。

 まず一つ目に他人に干渉する魔法は否が応でも相手の魔力が邪魔し、発動が難しいからだ。

 二つ目に状況に則した魔法を使うための知識が必要なのだ。原因を即座に理解し、相手の異常を的確に取り除く。これが難しいのだ。


「ですが、あなたなら成人の時。15には一流の癒し手になれるはずです。だからこそ分かりません。何故そこまで急ぐので?」


 癒し手として完成するのは殆どが二十代になってから。遅い人間なら40歳になってやっと一人前、なんて人もいるのだ。

 そんな中で15歳にその域に達せるとしたら、それは十分だと言えるだろう。

 だからこそデメテルには分からなかった。才能もあり、努力も欠かさず、慢心もない。そんな少女がわざわざ急ぐ必要があるのかと。


「……私は、フィルラーナ様の役に立たねばならないのです。」

「そこまでの才能があるというのに、何を急ぐ必要が?」

「……」


 その言葉にはティルーナは押し黙った。

 デメテルは大きなため息を吐き、そして事もなさげに心の内を言い当てる。


「アルスさんと比べているのですか?」

「……」

「それこそベクトルが違う。回復魔法は誰かが傷ついた時にしか役に立ちません。攻撃魔法の方が活躍の機会が多くて派手なのは当然でしょう。」


 無論、習得難易度が桁違いなのもあって人が寄り付かないのもあるが、やはり見栄えが地味であることに違いない。


「それに、あなたは回復魔法の才能はあるかもしれないが。」


 その段階に来て、初めてティルーナが大きく動揺して顔を上げた。


「回復魔法とは、治療の為に使われる魔法の事を指します。知っていますね?」

「……はい。」

「無、火、水、風、木、雷、土、光、闇。この基本属性の全て、それらを使いこなして癒し手として一流になれるのです。」


 回復魔法と言えば木属性の傷を治す魔法と考える人は多い。

 しかしその実、より適切な治療を施すためにも様々な属性を使う必要があるのだ。


「より適切に、より完璧な治療を施す為に、私達は傷口をあえて広げたり、あえて心臓を止めたりします。」


 傷を治す為に傷をつける。

 これは現代日本で生きる人間なら受け入れが早いはずだ。

 外科手術などその最たる例であり、数百年前に比べれば異様なまでに日常に溶け込んでいる。


「ですがあなたは優しい。もし、フィルラーナさんが大きな怪我をし、外科治療が必要となった時、あなたは躊躇いなく腹を斬れますか?」

「そ、れは……」

「いえ、それでいいのです。大切な人であればあるほど、治療は、特に外科に関しては難しい。」


 こと医療とは矛盾的なものが多い。

 毒をもって毒を制すという言葉の通りで、医療とはそういう風に発展してきた。


「しかし残酷な事に、それを平然と行える人間の方が優秀なのは確かです。」


 血を怖がる人間が手術をできるか、人を傷つけられない人間に腹を切るなんてことができるか。

 無論、それすらも耐えるほどの強い勇気と意思があるのなら乗り越えられるだろう。

 しかし、それは間違いなく障害となる。


「癒し手とは、命を預かる責任と、命を守るために命を傷つけるという二律背反の中に生き、そこに生き甲斐を見いだせる人間でなくてはならない。」


 ティルーナの中で癒し手というものが大きくのしかかる。

 子供の時、フィルラーナを守るために、傷ついた時に救えるように何も考えずに回復魔法を必死に練習してきた。

 しかし、才能があった故か無意識に舐めていたのだ。『癒し手』というものを。


「……別に私はあなたが癒し手になる事は反対しません。しかし、まだ時期尚早というものです。その歳で私から教わるには早過ぎる。」


 デメテルの回復魔法は他の追従を許さないほどに優秀だ。

 しかし、それを支えているのは彼女の強靭なメンタルに他ならない。

 どんな状況下においても的確な判断をくだし、迷わず実行するだけの胆力。これが彼女を聖人足らしめている理由。


「何より、精神が見合わない技術というのは意味がありません。あなたには経験が必要です。」


 そう言ってその場を去ろうとするデメテルの腕を、反射的にティルーナは掴む。


「それでもっ! 私はもっとあの人のために役に立たねばならないのです!」


 彼女の中にあるのは焦燥であった。

 自分が絶対に守ると、その隣に立ち続けると誓った恩人に置いてゆかれるのではないかという焦りだったのだ。


「私は……!」

「……いいですか、ティルーナさん。何がそこまであなたを焦らせているのか、私には分かりません。」


 ティルーナの手を跳ね除け、その鋭い目でティルーナを射抜く。


「それでも、いえ、だからこそ言います。経験を積みなさい。回復魔法など、その付属的なものでしかありません。」


 デメテルは言葉を続ける。


「場数を踏みなさい、修羅場を越えなさい。私から教わるのはその後でも遅くはない。」


 得てして、才能がある人間は経験が足りない。そしてティルーナもその例に漏れない。それをデメテルは分かっていた。

 だからこそ容赦なくティルーナを突き飛ばす。


「分か、りました。」


 しかし、それを理解するにはティルーナは幼過ぎ、許容できるほど大人過ぎた。


「戻りますよ。あまり遅すぎると明日へ影響が出ます。」


 そう言ってデメテルは宿の方へと再び歩き始めた。

 たった一人のために、ティルーナはその生涯を捧げると決めた。それは間違いなく褒められるべき美徳であり、ティルーナの強さである。

 だからこそ彼女はアルスに自分と同じものを求め、そしてそれに達しないアルスを好きになれない。


 だが、それとは別にティルーナが劣っているというのもまた事実である。

 いくつもの修羅場を抜け、挫折を潜り抜け、精神的に完成しつつあるアルスと、未だ経験が浅く、平和な世界で生きてきたティルーナではこの差が全く別に映る。

 だからこそ、ティルーナは焦るのだ。自分がアルスより劣っているという自覚があるから。そして何より、フィルラーナの役に立つことができないという恐怖から。


 薄暗く光り続けるダンジョン街で、少女は闇に溶けていった。

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