8.人助け

 三日目に街に着いた。

 朝ぐらいには着いていたんだが、手続きやらで結局街に入ったのは昼。明日の朝にはもう出て、また馬車の旅が始まってしまうけだが、逆に言うなら、それまでは自由だ。


 それで今、俺がどこにいるかというと、宿屋の一室である。

 この世界は宿屋の値段が安い。世界を渡り歩く冒険者が積極的に利用することもあってニーズが絶えないというのが理由だ。

 その分、部屋の質は悪いんだがそれは仕方ない。最低限ベッドがあるだけで十分だ。


「流石にダンジョンに今から行くのは違うよなあ……」


 自由と言われてもやる事がない。

 フィルラーナ様はここの領主の屋敷に行ったし、護衛の人もそれに付いて行った。ヘルメスもアルテミスさんもどこかに行ってしまったし、これからダンジョンに行くにしてもあんまり意味がない。

 意味がないと言うのは今が昼で、移動だけでそこそこかかるし、ダンジョン内で活動する時間が少なくなるからだ。それなら宿で魔法の練習をしていた方がいいだろう。


「……夢かあ。」


 そしてやることがなくなれば目先のどうしようもない問題が頭に浮かぶ。心が急速に冷え込んでいくのを感じた。

 死にたいなあ。もう何も考えたくない。だけど、それは許されないのだ。お母さんがそれは許してくれない。


 心の中にポッカリと大きな穴が開いた気分だ。

 何をやるにもやる気がどうしてもわかない。何かやらなくちゃいけないと分かっていても、やることも見つからないまま時間だけが過ぎていく。

 それは一種の生き地獄だ。


「取り敢えず外に行くか。」


 俺はこのままいると腐ってしまうと思って、理由もなく宿屋から出た。






 俺は街の大通りをあてもなく歩き続ける。

 この時は体が子供で良かったと思う。昼間に適当に歩いてても何も言われやしない。


「夢、夢……夢って何だろう、ゲシュタルト崩壊してきた。」


 俺は過去にお母さんに言った。大切な人を守れるような魔法使いになりたいと。

 しかしもう、その大切な人はいないのだ。

 そして、今なら分かる。それは俺の夢じゃない。大切な人を守るというのは、俺にとっての最低限の事だ。夢ではない。

 探すべきは『すべきこと』ではなくて、『したいこと』。

 すべき事を探すのは簡単だ。目の前の事だけを考えていればいい。適当な事に挑戦すればいい。しかししたい事となれば、途端に難易度は跳ね上がる。


「まあ、小難しく考えても分かんないよな。」


 理屈じゃないんだ、夢ってやつは。

 ふとした時に意味もなく湧いてきて、人生に活力を与えてくれる。それが夢だ。手に入れようとして手に入るもんじゃない。


「……ん?」


 俺はふと足を止める。

 人混みの中、端の方で壁を背にうずくまる少女がいた。だが誰一人としてその少女に目を向けない。いや、目を向けてもそのまま通り過ぎるだけ。

 年は俺より小さいぐらいだから、5、6歳ぐらいか。


「大丈夫?」


 放っておけるはずもなかった。昔から人にはお節介を焼きたがる性格だからな。その究極形で後輩をかばって死んだんだけど。

 少女は座ったまま微かに顔を上げる。その目は泣き腫れており、今も涙が流れ続けている。

 どう見ても大丈夫じゃない。


「……何でそんなに泣いているんだ?」


 俺はしゃがみ込みながら少女にそう聞く。少女は嗚咽をもらしながらも、少しずつ言葉を出し始めた。


「おかあ、さんとはぐれ、ちゃって。」

「うん。」

「私が、かってに、一人で、走って行っちゃ、たから。」


 感情をそのまま吐き出すように喋り始めた。

 なるほど母親とはぐれたのか。昼とはいえ、この道はかなりの人がいる。五歳児がそんな中で走って行っちゃったら、母親が見失うのも無理ないか。


「よし、じゃあお兄ちゃんについてきなさい。お母さんと会わせてあげるから。」

「ほ、ほん、と?」

「本当だとも。」


 子供を見失ったとなれば、あっちも間違いなく探しているはずだ。互いが探しているならば、日が沈むまでには会えるだろう。


「はぐれたのはいつ? さっき、それとも結構前?」

「けっこう、まえ。」

「なら、騎士の駐屯所にいるかな。」


 この国は警察はいないが騎士がいる。騎士が警察の代わりだ。そして交番みたいな場所を駐屯所という。

 騎士の協力を求めるために、母親が駐屯所に行っている可能性は高い。


「行こうか。」


 俺は左手で少女の手を握り、人混みの中を歩き始めた。






 そしてまあ、俺の予想通りと言うべきか。駐屯所に母親はいた。少女と母親は抱き合い、泣く少女を母親はあやしていた。

 そしてそのまま少したった後、母親が俺の方を見た。


「ありがとうね、娘を連れてきてくれて。何かできる範囲であればお礼をするけど……」

「ああ、いえ。大丈夫ですよ。」


 流石にここで何かお礼を貰うというのは無粋というものだろう。それにここで返礼を強請るような図太さは俺にはない。


「それじゃあ、俺はもう行くので。」


 であればここにいる意味もない。さっさと離れてしまった方がいい。


「本当にありがとう! ほら、ティルも早くお礼を言って!」

「え、あ、うん! おにいちゃん! ありがとう!」


 俺も勿論の事だが、人間である。感謝されれば気分がいい。俺は少しだけ宿屋を出るより良い気分で大通りに戻っていった。


「……結局何も進展してなくね?」


 まあ、いいか。人助けは気分がいいし。

 俺はそのまま何も考えずに宿屋に戻っていった。目先の問題に蓋をして、こんな行動が、自分の自己肯定感を高める為のものでしかないと理解しながら。






 人には運命の分岐点というものが存在する。通常それはどれを選んでも変わりないが、時たまに大きな選択を迫られる事がある。

 それは人によって大きく違う。


 そしてアルス・ウァクラートの運命の分岐点は間違いなく、ここであった。

 この街に寄らなければ、この街でアレが起こらなければ、この街に1人で来ていたらアルス・ウァクラートは凡百の人間の一人として終わっていただろう。



 ――日が沈む頃、月が昇り運命が定まる。

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