7.空っぽ
俺は最初から気分最悪な状態でファルクラム領を出た。
オリュンポス側とフィルラーナ嬢側で馬車を分けて、計二つの馬車を使う事となった。御者もリラーティナ家お抱えの人らしく信用に値する人物らしい。
というかこの馬車もそもそもリラーティナ家のものだからな。よくよく見てみれば紋章みたいなのもある。
「随分とげっそりしてるじゃないか。大丈夫かい?」
「うるせえよ、ほっといてくれ。」
精神的にもう疲れているのだ。後、馬車に乗ると思いの外揺れるというだけ。これは多分あまり道が整備されていないせいだと思う。
「長い旅になるんだぜ、楽しまなくっちゃな。」
「……そういやどういう風に行くのか聞いてなかったな。流石にそのまま直でファルクラム領に行くってわけじゃないんだろ?」
俺はヘルメスにそう尋ねる。
ファルクラム領までは普通に考えて一週間はかかる。どう考えても今ある食料じゃ足りないし、どこかで街に寄る必要があるはずだ。
「大体、三つか四つぐらいの街を中継して向かうことになるね。それで大体7日ぐらいかな。」
「遠いなあ。」
「そりゃあ広い国だからね。しかも最南の街から最東の街へ行くんだから大変だよ。これでも速い方だぜ?」
こう考えると地球の交通機関は優れていたんだな。日本国内であれば一日以内に行ける場所がほとんどだし。
「……なあ、ヘルメス。」
「なんだい?」
俺はずっと気にしないようにしていた事を、それでも無視はできずにヘルメスに聞く。
「なんでアルテミスさんは馬車の上にいんの?」
「さあ。」
最初からずっと馬車の上にいるんだよ。そのための屋根じゃねえから。
馬車に乗って数時間。公爵家の馬は強靭らしく、ほとんど休まずに進んでいた。しかし夜が更けると流石に進むのは危険なのか、馬車を止めて一度ここで休む事となった。
飯を食いながら焚き火を囲い、全員が思い思いに休息を取っている。
そんな中、俺はあのフィルラーナ様と隣に座って話をしていた。
「ふーん、シルードってそんなところなのね。」
「ええ、安全とは最も遠い場所ですよ。」
今日はシルード大陸とはどういうところなのかを話した。
家庭教師からは習ったらしいが、やはり現地の人からの話を聞きたいそうだ。
「それじゃあ、生活レベルはどれぐらいだったの?」
「……うちの集落は親父が色々したらしく良かったんですけど、他のところは酷かったそうです。衛生面は最悪ですし、飲み水も人が飲めるほど綺麗じゃありません。一度飲んだ事がありますがあんなの毎日飲んでたら直ぐに死にますね。」
一度、ベルセルクに付いて行って既に滅びた集落を見た事がある。そこはとても酷かった。俺が住んでいる場所は相当に良かったのだと思えるぐらいには。
少なくとも現代日本で生きてきた俺じゃああの生活は少し抵抗感があっただろう。人間慣れるもんだし、いつかは慣れるんだろうけど。
「まあ、やっぱりこっちの方がいいですよ。食べ物も安定して手に入りますし、水も心置きなく飲めます。」
「かなり苦労してたのね。」
「……苦では、ありませんでしたよ。その分、貴重なものがありましたから。」
ベルセルクから、俺は色々な事を教わった。シルード大陸だからこそ失ったものはある。しかし、その代わりに得られたものもある。
失ったものを数えれば数えるほど、死にたくなるだけだ。だから数えるのは辞めた。
「そう、ちょっと失礼な事を言ったかしら。」
「いえいえ、そんな事は。」
苦労したのは確かだ。だが、それ以上に楽しかっただけ。本当に楽しかったのだ。ベルセルクと騒いで、お母さんと楽しく話して、魔法を好きなように学ぶ。
楽しくないはずがなかった。
「ここらで終わりにしましょうか。そろそろ夜も深くなってきたわ。」
「……分かりました。それでは良い眠りを。」
そう言って俺とフィルラーナ嬢は立ち上がり、それぞれ別の寝床に入って眠った。
翌日、その夜。また俺達は二人で話していた。
「……そう、そんな事があったのね。それでその右腕も。」
「この右腕は別にどうでもいいですけど。」
当然の事だが、俺は気分が悪い。
母親が殺されたのはほんの数週間前だ。ある程度の心の整理はできても、やはりまだ割り切れていない部分はある。
「それじゃあ今、あなた空っぽなのね。」
「空っぽ?」
「ええ、そうでしょう。貴方はとても大人びて見える。平民だとは思えないぐらい礼儀正しくて、そして物腰も柔らかくて、親が死んだというのにとても冷静。子供の精神だとは思えない。私ならまだ立ち直れていないわ。」
……俺からしたらそっちの方が大人びてると思うがな。
「だけど、そこに貴方の意思を感じない。貴方が何になりたくて学園に向かいたいのかが一切見えてこない。今、貴方の話を聞いた今でも。」
「……馬鹿にしているので?」
「ええ、そうね。貴方は今、過去に囚われて未来を見れていない。例えどんな事があったとしても、それは駄目な事だわ。」
……分かってはいる。だが、親が死んだというのに、はいそうですかと流せるわけがないというものだ。
少なくとも、俺はまだそんなに達観した考えはできない。というかしたくない。
「……何か勘違いしているようだから言うけど、私が駄目だと言うのは過去に囚われる事じゃないわ。未来を見れていないということよ。」
「未来を、私が?」
「ええ。目標も、夢も何もない。貴方は何もないのよ。」
何故、俺がつい最近会ったばかりの少女に人生を否定されなければいけないのだろう。そういう苛立ちもあったが、否定はできなかった。
俺はどんな自分になりたいのか。どんな事をしたいのかが今はよく分からない。
そういう意味では俺は間違いなく空っぽなのだと思ったのだ。
「なら、フィルラーナ様は、どんな夢がおありなので?」
だから俺は知りたくなった。同世代の夢を。俺にここまで言った、彼女の夢を。
「私は、貴族になりたいの。」
「……? もう貴族では?」
「違うわ。私はまだ子供。まだ民の為に何もしていないにも拘わらず、そのお金で私は生かされている。だから私は誇りある貴族にならなければならない。」
その憧憬はその子供らしくはあるが、だが確かな覚悟がその目と言葉にはあった。俺とはあまりにも違う。
「爵位は継げないけども、リラーティナ領で生まれて良かったと思わせる街を作りたい。どんな時でもその自分の誇りと信念に従って、最後まで誇り高く貴族でありたい。」
その揺るぎない覚悟は、俺にはあまりにも眩しすぎた。
未だに空っぽで夢を見れない俺とは違って、彼女は焦がれる程の夢を見ているのだ。
「……凄いですね。俺にはとても、できない。」
「私のようになる必要はないわ。貴方は貴方の夢を追えばいい。ただ、今のように怠惰にいるのは許されないわ。」
俺は、本当に夢を見れるのだろうか。本当に目標を見つけられるのだろうか。それも、学園に行けば見つかるのだろうか。
取り敢えずは進むしかない。時間が解決する事を願って。
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