第17話 ミステリ研の課題<糾弾編>
「それはお気の毒に。でも、暗号文を解いた答が『現部長は殺人犯だ』だったら、新入部員も戸惑いますね。しかも『死ね!』なんて悪意に満ちていますから」と仲野さんが田中先輩に言った。
「まったくいい迷惑だったよ。とは言えさすがに『死ね!』はまずいと思ってね、当時の部員たちと相談して、現在受け継がれている改訂版の問題に作り直したんだ」
「こっちの答は『現部長は殺人犯だ 気をつけろ。』ですから、多少はマイルドな表現になりましたね」と神田君。ちなみに神田君は今日初めて答を知ったようだ。
「新しい答でも現部長が殺人犯だと言ってますね。この暗号文を捨てることは考えられなかったのですか?」と私は聞いた。
「元の答の表現はともかく、暗号文としてはおもしろいと部員たちが言って残すことになったんだ。ミステリ研だから、『部長が殺人犯だ』と言ってもシャレで通じるだろうと言われてね。で、次の部長に引き継ぐことになったんだけど、部員たちが事情を知っているから、直す前の元の暗号文も内緒で受け継がせることになった」
「その後渡邉先輩はどうされたのですか?」と私はさらに聞いた。
「卒業して、親の会社に就職して、どこかのお嬢さんと見合い結婚したよ。深山先輩と結婚するよりは良かっただろうね。俺も渡邉先輩のご両親からも感謝されたし」
「え?」と私は聞き返した。「渡邉先輩のご両親がなぜ田中先輩に感謝されるのですか?」
「じ、実は俺の親が渡邉先輩の会社の社員でね。・・・重役とかじゃなく、ただの係長なんだが。・・・社長、つまり渡邉先輩の父親が俺の父親を介して、大学で渡邉先輩を見守ってくれって入学時から頼まれていたんだ。と言っても特に何かしていたわけじゃないんだが、深山先輩に迫られて困っていることは報告していた」
「渡邉先輩の両親は深山先輩とつき合ってほしくないと思っていたんですね?」
「そんな感じだったな」
「渡邉先輩の結婚相手の女性はきれいな方でしたか?」
「いや、会ったことはないからわからない」
「田中先輩は渡邉先輩の家に投函されていた嫌がらせの手紙を見せられて相談されましたか?」
「いや。・・・そういう話を後で聞いただけだ」
「田中先輩はお父さんと同じ会社に就職されたのですか?」
「いろんなことを聞くね、君は。・・・俺は父親とは別の会社に就職したよ!」
「お父さんと一緒の会社が良かったんじゃないですか?」
「俺には合わなかったんだ!もういいだろ、この話は!」いらつく田中先輩。
「変なことを聞いてすみませんでした」と私は謝った。
「まあまあ田中先輩。一色さんはいろいろ知りたがりだからすみません」と一緒に謝る兵頭部長。
「先に居酒屋に行きましょう、先輩。君たちも後でいつもの居酒屋に来てくれ」そう言って兵頭部長は田中先輩の背中を押して部室から出て行った。
「いやにしつこく聞いていたわね?」と聞く仲野さん。
「ちょっと気になってね」
「ところで部長や先輩が行った居酒屋に行くのかい?」と神田君が聞いた。
「二人で行ってフォローしてあげて。私が行ったら気まずくなるだろうし、ちょっと調べたいこともあるから」そう言って私は二人と別れて部室を出た。
まず向かったところは医学部法医学教室の立花先生のところだ。いつものように快く迎え入れてくれる先生。私はさっそく用件を話した。
「つかぬことをお聞きしますが、ここで六年前に深山さんという転落死した女子大生の解剖をされたのでしょうか?」
「六年前というと僕が法医学教室に入局する前だね。でも、過去の司法解剖の鑑定書は教室員なら自由に閲覧できるようになっているから、調べてみるよ。ちょっと待ってて」
「すみません、よろしくお願いします」
私は法医学検査室で十五分くらい待った。やがて立花先生がカーボン紙で複写された鑑定書を持って来た。
「内容を教えてもらっていいですか?」と立花先生に確認する。当然のことながら部外秘の書類だろうからだ。
「かまわないよ」とあっさり言う立花先生。「君は僕の協力者だからね。非公式に、だけど」
「恐れ入ります」と言って内容を教えてもらった。
「深山妙子さん、二十一歳。男子学生との交際でもめていた事実があったため、事件性の有無を調べるために司法解剖されたようだ。身体の健康状態は良好で、明らかな疾病には罹患していなかった。解剖時に認められた損傷は、後頭部の頭皮下出血、頭蓋骨骨折、硬膜外血腫、硬膜下血腫、外傷性くも膜下出血と脳挫傷だね。後方に転倒して硬い鈍体、おそらくは石段の角に後頭部を打撲したのが原因だね」
「体の他の部位には傷はなかったのですか?」
「背中や肘などにもはっきりした損傷はなかった。体の前面にも損傷はなかったようだ。だから、石段を上る時に後方にのけぞって、頭から落ちて打撲したと考えられるけど、事故か自殺か他殺かは特定されていない」
「私が聞いた話では、石段を下りるときに転落したということでしたが?」
「そんな情報をどこから仕入れたんだい?・・・石段を下りる途中で転んだのなら、通常は前方に倒れて顔や胸を打撲するはずだよ。両腕で顔や胸をかばったのかもしれないけど、その場合は両腕を強く打撲するね。でも、そんな傷はなかったようだ。後ろに倒れたのなら、お尻や背中を先に打撲するはずだけど、そんな痕跡もないね」
「じゃあ、たまたま後ろを振り返った際に足が滑って後方、つまり石段の下の方に倒れたのでしょうか?」
「その場合は上体を前に傾けようとするから、鑑定書の考察と違うけど、急な石段といえどもやはりまずお尻や背中を先に打撲するだろうね。それによって転倒の衝撃が緩和されるから、続いて後頭部を打撲したとしても死亡する可能性は低いと思う」
「じゃあ、後頭部から落ちる場合、どのような状況が考えられるのでしょうか?」
「考えられるのは石段を下りる途中で振り向いた時、誰かに上半身を思いっきり突き飛ばされたとか。・・・まさか、他殺を考えているのかい?」
「そこまではわかりませんが、ミステリ研の先輩にこの話を聞いた時に不審な点がいくつかあったんです」
私は田中先輩に聞いた話を繰り返してから、気になる点を列挙した。
① 渡邉先輩が作った暗号文の答の「現部長は殺人犯だ 死ね!」の『現部長』は、暗号文を作った時点では田中先輩だった。しかも答をあえて渡されなかった。
② 田中先輩は父親の会社の社長である渡邉先輩の父親から渡邉先輩を見守るよう頼まれていて、その指示を守って感謝されていたが、渡邉先輩の結婚式にはおそらく呼ばれなかった(花嫁の顔を知らないことから推測される)、そしてその会社に就職しなかった(できなかった?)。
③ 渡邉先輩から相談を受けていなかったにもかかわらず手紙が古い参考書の活字を切り貼りして作られたことを知っていた(古い参考書の活字だとまで話に聞いていたか?)。
④ 深山先輩が駅に向かうために石段を下りる途中で転落ないし転倒したことを知っていた(司法解剖の執刀医は知らなかった。警察もそこまでつかんでいなかった?)。
「一色さんはその田中先輩って人が、渡邉先輩から永久に引き離そうとして、深山さんを石段の上から突き落としたんじゃないかと疑っているのかい?」
「証拠はありません。ただ、同じクラブの後輩であることを差し引いても、事情を詳しく知り過ぎている気がします。それに渡邉先輩がうすうす気づいていて、結婚式に呼ばなかったり、父親の会社に就職させなかったりした可能性もあります。もっとも後輩でも結婚式に呼ぶとは限りませんし、田中先輩が最初から渡邉先輩の会社に就職しようとしなかったのかもしれませんけどね」
「現時点では憶測でしかないから、島本刑事にその事件がどうなったか聞いてみるよ」
「私のただの思い込みかもしれませんが、よろしくお願いします」と私は頭を下げて法医学検査室を出て行った。
翌日、ミステリ研の部室に行くと兵頭部長が来ていたので、私は昨日のことを謝った。
「飲ませて一所懸命取りなしておいたから大丈夫だよ。最後には田中先輩の機嫌も治っていたし。でも」と兵頭部長は私の顔を見た。
「何か怪しいことに気づいたのかい?」
「立花先生によく司法解剖の鑑定についての話を聞かせてもらっているので、深山先輩がどういう状況で亡くなったか気になっただけです。別に田中先輩を疑っているわけではありませんよ」
「ほんとかな?・・・あ、一樹兄さんが今日法医学教室に寄ってくれってさ」
「わかりました。これから顔を出してみます」
「真相がわかったら僕にも教えてね〜」と言って兵頭部長は私を送り出してくれた。
法医学検査室に行くと立花先生が迎え入れ、「もう少ししたら島本刑事が来るそうだから」と言いながらインスタントコーヒーを作ってくれた。
しばらくして法医学検査室に入って来る島本刑事。
「やあ、一色さん。今回も貴重な情報をくれてありがとう」
島本刑事は立花先生が出した丸椅子に座ると、さっそく警察手帳を開いた。
「女子大生転落死事件の当時の捜査だけど、一応他殺の線も疑われたが、一番の関係者である矢木 渉と渡邉大輔は転落時に互いに争っていたから、二人ともアリバイがあるってことで、他殺の可能性は低いと判断されたようだ。ただ、被害者の深山妙子の左手の袖がまくり上げられていて、腕時計がなくなっていた。オメガの高級品だった」
「腕時計が盗まれていたのですか?」
「そのようだ。当日腕時計を付けていたと矢木も渡邉も証言している」
「その腕時計は見つかったのですか?」
「ああ。捜索したところ都内の質屋で発見された。質屋の主人の供述では、深山が転落した日の翌日、若い男が持ち込んで来たそうだ。その男は鳥打帽を深くかぶり、マスクもしていたということで、主人が怪しく思って身分証の提示を求めたところ、忘れたので取って来ると言って店を出、帰って来なかったそうだ。腕時計を残したまま」
「その腕時計を持って来たのが犯人かな?」と立花先生が言った。
「犯人が深山先輩が死んだか確かめるために左手首の脈を測ろうとして、外した腕時計をそのまま持って行ったのかもしれませんね。質屋に持って行ったのは証拠隠滅のためですよ」と私も言った。
「そうかもしれないし、倒れていた被害者に気づいた通りすがりの人物が盗んで行っただけかもしれない。腕時計からは被害者とは異なる指紋が検出されたけど、結局誰の指紋かわからなかった。もちろん矢木と渡邉の指紋とも異なっていた」
「質屋の主人の指紋でもなかったんですね?」
「主人は高級腕時計ということで、最初から手袋をして触っていたらしい。そのまま保管庫に仕舞ったから、質屋で誰かが触った可能性はないそうだ」
「渡邉先輩の家に変な手紙が来ていたそうですが、その指紋は調べられましたか?」
「渡邉大輔に今朝話を聞きに行った」と島本刑事が言ったので私は驚いた。
「仕事が早いと言うか、仕事熱心ですね」と感心したら、
「渡邉はその手紙のことを覚えていたが、事件が起こる前に捨てていたので警察には言わなかったらしい」
「渡邉先輩は田中先輩について何か言ってましたか?」
「事件の一月以上後になって、田中が両親に媚びるように深山のことを報告していたことを知り、田中に話を聞いたら、事件内容を妙に詳しく知っていて、『こいつが深山を突き落としたんじゃないか?』との疑いを持ったらしい。しかし証拠はなかったし、警察も来なくなっていたので、誰にも言わなかったそうだ。そのため警察では田中のことを疑っていなかった」
「それで現部長、つまり田中先輩を渡邉先輩は暗号文の中で糾弾したのでしょうか。・・・警察では田中先輩の指紋は調べられなかったのですね?」
「ああ。明らかな容疑がかからない限り、同じミステリー研究会の部員だからといって指紋を片っ端から調べるわけにはいかないからね」
「まだ時効じゃないんだろ?今からその田中という男の指紋を調べてみれば?」
「この程度の根拠じゃね、任意同行させても指紋を調べることまではできないよ。事前に田中の指紋を入手して、こっそり調べて一致すれば本格的に動けるけどね」
「あ、私、田中先輩の指紋が付いた本を持っていますよ」と言ったら島本刑事と立花先生が驚いた。
「ど、どこにあるんだい?」
「カバンの中に入れたままです。この本は持ち主の神田君という部員と私と田中先輩の指紋が付いているはずです。腕時計の指紋と一致するものがあれば、捜査を始められますね?」
島本刑事は手袋をはめると、私のカバンに入れっぱなしになっていた『地底旅行』という文庫本を取って紙袋に入れた。
「ありがとう。さっそく鑑識で調べてもらうよ」そう言って島本刑事は部屋を出た。
後日聞いた話では、やはり腕時計に付いていた指紋が文庫本の表紙からも検出されたらしい。その後内偵を進め、容疑が固まったところで田中先輩は逮捕されたそうだ。ちなみに私と神田君は当時の関係者でないため、指紋を調べられることはなかった。
新聞には「五年前の転落死事件で腕時計を盗んだ容疑者を逮捕」という記事が載ったが、小さい記事で大きな話題にはならなかった。明らかな殺人被疑事件とは発表されなかったからだろう。今後殺人容疑で起訴されるのか、今の時点ではわからない。
私が事の顛末を兵頭部長に報告すると、
「明応大やミステリ研の名前が出なくてよかったよ。六年前の事件と言っても下手すればミステリ研の存続に関わったかもしれないからね」と言われた。
「余計な事をしてすみません」と謝ると、
「謝る必要はないよ。君は市民の義務を全うしただけだし、周囲に言いふらしたりはしないだろうからね」と兵頭部長は言ってくれた。
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