第16話 ミステリ研の課題<展開編>
私はその日もミステリ研の部室にいて本を読んでいた。そこへ神田君と仲野さんが入って来た。
「今日は何を読んでるの?」あいさつを交わした後で私に聞く仲野さん。
「パット・マガーの『被害者を探せ』という小説だよ」
「被害者を捜せ?犯人じゃなく?」と神田君が聞き返した。
「うん。このマガーという作者は変格推理小説を何冊か書いている人だよ」
「変格推理?本格推理ならよく聞く言葉だけど、変格って何だい?」
「犯人はわかっているけど、被害者や探偵が誰かわからず、そこを推理していくという小説なの」
「おもしろそうだけど、被害者が誰かわからないって、どういう状況なの?」と仲野さんが聞いた。
「この小説の主人公は太平洋戦争中にアリューシャン列島に駐屯している海兵隊員で、娯楽がまったくない所だから、ほかの兵隊もみんなものすごく活字に飢えているの。で、荷物の包装に新聞の切れ端が使われていて、そこに載っている記事を読んでいたら、何と主人公が出征前に勤めていた所で殺人事件が起こったって書いてあったの。犯人は当然知っている人だったけど、被害者の名前が書かれているところがちょうど破れていて読めなかったの。そこでその勤務先にどういう人が勤めていたかを思い出しながら、誰が被害者か推理していくというお話よ」
「記憶だけで被害者を当てるのかい?証拠調べとかできないじゃないか」と神田君。
「そう。だから思考だけで犯人、じゃない、被害者を当てるところがおもしろいのよ」
「読み終わったら貸してくれないか?」「私も」と二人が言ったので、私は快諾した。
「ところで仲野さんも何か持っているわね。何なの?」と私が聞いたら、仲野さんは恥ずかしそうに持っている雑誌を持ち上げた。
それは『週刊少年マガジン』という少年向けの漫画雑誌だった。今年の十七号だ。少し前に出た雑誌で新刊ではない。
「あれ?仲野さんはそういうのを読む趣味があったのかい?」と神田君。
「普段は漫画なんてあまり読まないけど、横溝正史の『八つ墓村』の漫画が連載されているの。この号に最終回が載っているのよ」
「へ〜、八つ墓村が?」
週刊少年マガジン十七号の表紙を見せてもらうと、『八つ墓村』以外に『あしたのジョー』や『巨人の星』などの漫画が掲載されていた。私はどの作品もよく知らないが、子ども向けとは言えないような作品も載っていたので驚いた。
それにしても、いくら探偵小説の漫画版が載っていても、普通の女子大生は少年向け漫画雑誌なんて読まないだろう。誰か男性に教えてもらったのかな?
「その号で最終回ってことは、『八つ墓村』の漫画の単行本はまだ出ていないんだね?」と神田君。
「そうみたいね。単行本だと最初から最後まで一気に読めるのにね。この漫画も割と原作に忠実に描かれているみたい」
「神田君も何か本を持って来たの?」と私は神田君に聞いた。
「僕が持って来たのはジュール・ヴェルヌの『地底旅行』だよ。今日の講義中に最後まで読んじゃったけどね」
ジュール・ヴェルヌは『十五少年漂流記』や『海底二万里』を書いた十九世紀のフランスの作家だ。SFの父とも呼ばれている、空想科学小説の大家だ。
「また推理小説じゃないものを読んでいるのね?」と仲野さんが指摘した。
「おもしろいの?」と私が聞くと、
「うん。古書に挟んであった昔の錬金術師のメモを頼りにアイスランドの火山の火口から地中深く進んで地球の中心を目指す物語だけど、途中で火山のマグマの上昇に押し上げられて地上に戻ったらイタリアの火山だったという結末だよ。興味あるなら貸してあげるよ」と神田君が言って私に文庫本を差し出した。
「あ、ありがとう・・・」結末までばらされてしまったが、探偵小説ではないからまだ許容範囲かな?
ちなみに神田君は一時期部室に顔を出さなかったが、最近はまたよく来るようになった。川崎さんや大宮さんから誘われなくなったのかな?・・・でも、本人には聞きにくい。
「神田君、最近はデートしないの?」と仲野さんが直球で聞いてきた。あわわ。
「うん。・・・楽しくはあったけどね、はやりの店を食べ歩くなんてこと、あまり自分の性格に合ってないなと思い直したんだよ。・・・お金もかかるしね」神田君は自嘲するように言うと、私たちを見た。
「こんな風に小説の紹介や感想を言い合う方がいいね」
でも、私は神田君の彼女じゃないし、今デートしているわけじゃない。仲野さんも苦笑している。多分同じことを考えているのだろう。
そのとき兵頭部長が背広にネクタイ姿の男性をひとり連れて部室に入って来た。
「おっ、今日も来てるな?」と兵頭部長。その男性も馴れ馴れしく「よっ!」と片手を上げて言った。
「こんにちは、部長。・・・その方はお客さまですか?」
「この方はミステリ研のOBで、五代前の部長だった田中先輩だ」
「こ、こんにちは、田中先輩」と私たちはあわててあいさつし直した。
「おう、よろしくな。俺は今会社員だが、今日はこの近くに寄る用事があったので、久々に顔を出したんだ。この後飲みに行こう」
「は、はいっ!」と返事をしながら田中先輩を見た。
五代前の部長なら、卒業してから四年程度だ。会社員でも平社員だろう。私たちにおごってくれそうな様子はなかった。
「何読んでるんだ?」と田中先輩は私が手にしていた『地底旅行』を手に取った。
「何だ。推理小説じゃないじゃないか」そう言って文庫本を放り出す田中先輩。私はその本を自分のカバンに入れた。
「ちなみに田中先輩は、入部時に渡した謎解きの文章の作者なんだ」
「ええっ、あの難しい暗号の!?」と神田君が言った。
「あれは苦労したんだ」嬉しそうに言う田中先輩。
「暗号文というのは昭和三十九年版の方ですか?」と私が兵頭部長に聞くと、
「おや、君は原文の方を知っているのかい?部長でもないのに?・・・あれは代々の部長にのみ伝えるよう指示しておいたんだが」と田中先輩に驚かれた。
「先輩、こちらの一色さんはあの暗号文を解いただけでなく、あれが改作ではないかと指摘してきたんです。それで仕方なく・・・」
「そこに気づくとは大したもんだな。見た目はちっこくてかわいいのに」と田中先輩に言われて私は顔が熱くなった。
「原文の方って何のことですか?」と仲野さんが聞いた。
「知られちゃったか。仕方ない、君たちには教えよう」と田中先輩。
「君たちが見た文章は俺と当時の部員が考えて作り直したものだ。それ以前にもっと短くて簡単な暗号文があったんだが、解くと『現部長は殺人犯だ 死ね!』って答が出て来て、物騒な表現なんで俺たちが作り直したんだ」
「そうだったんですか・・・」と仲野さん。
「殺人犯と言われた現部長って田中先輩のことですか?」青ざめる神田君。
「まさか!元の文章が作られたのは昭和三十八年、前年だよ」
ほっと安堵の息を吐く神田君。田中先輩が殺人犯だったらと心配したのかな?
「その元の暗号文は誰が作ったのですか?そしてなぜ部長を貶めるような答にしたのでしょう?」と聞く仲野さん。
「その辺はこじれた人間関係があるんだ・・・」と言って田中先輩は説明してくれた。
「俺の前の部長は矢木先輩という人だった。ミステリ研の部員なのに推理小説はおろか、あまり文章を読まない人で、部員にいつも『どこそこへ遊びに行こう』とか『小旅行をしよう』とか、そんなことばかり言って部室の外に誘い出そうとする人だった」
「ミステリ研部員なのに小説を読まない?・・・その先輩は何しに入部してきたのよ?」と眉をひそめる仲野さん。
「おそらくミステリ研部員ならみな本の虫だから、御しやすいとでも思ったんじゃないかな?」と田中先輩。
「まあ、それでもいろんな所に引っ張り出されたこと自体はいい経験になったかな」
「それだけだとこじれた関係ではなさそうですね」と神田君。
「話はこれからだよ。・・・当時ミステリ研には深山先輩という女性の部員がいた。矢木先輩とは同学年だ。学部は違うけどね。・・・深山先輩は見る人によっては美人で、矢木先輩はしつこくモーションをかけていた。深山先輩もまんざらでもなさそうだったけど、二人がつき合っていたかは知らない。少なくとも表立ってそういう話は聞かなかった。で、同学年に渡邉先輩という男の先輩がいた」
「お、三角関係ですか?」と先読みする神田君。
「渡邉先輩は物静かな読書家で、女性にもてるようなタイプじゃなかった。君みたいにね」と田中先輩が神田君を見て言った。
「僕はもてないわけじゃ・・・」と神田君はあわてて言ったが、誰も聞いてなかった。
「深山先輩は最初は渡邉先輩を相手になんかしていなかったけど、渡邉先輩が中規模の会社の社長の御曹司ってことを知ると、態度を豹変させてすり寄っていったんだ。そしたら矢木先輩が嫉妬して、やたらと渡邉先輩に絡むようになった」
「渡邉先輩が横恋慕したのではなかったのなら、いい迷惑ですね」と仲野さん。
「そうだね。渡邉先輩は騒動に巻き込まれた感じで、俺たち他の部員も同情していた」
「そうでしょうね」と私も言った。
「ところがその渡邉先輩は、深山先輩に言い寄られ続けているうちに本人もその気になってね、実際につき合うようになったんだ。そうなるとますます矢木先輩がヒートアップして、部室内でも二人に怒鳴りつけたり、取っ組み合いになりかけて部員全員で止めたり、・・・まあ、俺たちも散々な目にあったよ」
「それはほんとうに災難でしたね」
「渡邉先輩は下宿していたんだけど、郵便受けに嫌がらせの手紙が投函されていたこともあった」
「矢木先輩がやったのですか?」
「そうだろうね。その手紙は肉筆で書いたものじゃなく、古い参考書の活字を切り抜いて貼って作ったものだったんだ。誘拐犯が身代金を要求する時のようにね。その手紙には渡邉先輩の誹謗中傷はもちろん、『深山妙子には何人も男がいる。そんな女とは別れろ』というような内容も記してあったらしい」
「それはかなり陰湿ですね。深山先輩にはほかに男がいたのですか?」
「そこまでは知らないよ。で、ある雨の日の夜、深山先輩は渡邉先輩の下宿に遊びに来ていたんだ。そして深山先輩が帰る時に駅まで送ろうと渡邉先輩も一緒に下宿を出た。するとそこに嫉妬で怒り狂った矢木先輩が待ち構えていてね・・・」
「わあ、修羅場ですね」とおもしろがる神田君。
「矢木先輩と渡邉先輩は傘を放り投げて取っ組み合いを始めたんだ。深山先輩は二人を置いてその場から走り去った・・・」
「喧嘩を止めようともせず?深山先輩も最低ですね」と深山先輩には厳しい仲野さん。
「激しい取っ組み合いで恐れをなしたんだろうね。・・・そして深山先輩は駅に向かう途中にあった石段を下りる時に足を滑らせて転落した」私たちは思わず息を飲んだ。
「大けがをされたのですか?」と兵頭部長が聞いた。
「後頭部を打撲していたらしい。しかも悪いことに雨の日の夜で、人通りがなかったので発見が遅れたんだ。結局救急車が来た時には既に亡くなっていた・・・」
「そ、それは・・・」口ごもる神田君。
「後頭部以外には傷はなかったのでしょうか?」と私は聞いた。私を見る兵頭部長。
「細かい傷の有無までは知らないけど、葬式の時、棺桶の中で眠っている深山先輩の顔はきれいだった。傷ひとつなかった。その顔を見て俺は思わず涙ぐんでしまったよ」
しんみりとなるミステリ研の部員たち。
「それで渡邉先輩と矢木先輩はどうなりましたか?」と私は聞いた。
「日頃おとなしかった渡邉先輩も深山先輩が亡くなったと知ると激昂してね、『お前のせいで彼女が死んだんだ』と矢木先輩に詰め寄っていたよ。矢木先輩もさすがに気落ちして、責任を取るかのようにまもなくミステリ研から去って行った。
それで誰かを次の部長にしなければならなくなって、みんなは渡邉先輩を部長に推したけど、年度末まで半年もなかったから自分は辞退すると渡邉先輩が言ってね、先輩の薦めもあって俺が早めに次の部長になったんだ」
「そうでしたか。荒れていたミステリ研を修復するのは大変でしたでしょうね?」と兵頭部長。
「まあね。先輩方の騒動のせいでミステリ研を辞めた後輩部員もいたからね。何とかなだめて戻って来てもらったりと、いろいろ苦労したよ」
「で、あの暗号文のことですが・・・?」と私は催促した。
「あれはね、渡邉先輩が年度末にミステリ研を去る際に俺に渡して来たんだ。『こんな謎解きを作った。新入部員が入って来たら、入部テストではないけど、解くように言ってみたら?』って言ってね。でも、答は付いてなかった。
年度が変わって新入部員に『この問題を解いてみろ』と渡したら、しばらくして新入部員たちがおずおずと答を差し出して来たんだ。『これでいいのですか?』って言いながらね」
「田中先輩はその謎を解かなかったのですか?」
「うん、暇がなくてね。・・・で、新入部員たちが解いた答を見たら『現部長は殺人犯だ 死ね!』だろ?まるで俺が殺人犯かのように新入部員たちが見るから、『これは俺のことじゃない。去年こういうことがあって、怒った先輩が去年の部長を恨んで作ったんだ』と必死で弁明しなけりゃならなかったよ」
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