第3話 ミステリ研の課題

昭和四十四年四月、私、一色千代子がミステリ研に入部した時に話を戻す。


私は入学後すぐに大学の部室棟に入り、廊下に雑然と物が置かれた中をしばらく進み、「ミステリ研究会」と表札が出たドアの前に立った。


ノックをすると、中から「どうぞ」と声が返って来たので、私はドアをそっと開けた。


中には男女が六人ほど椅子に座っていて、こっちを見つめていた。


「失礼します。ここはミステリ研ですよね?入部したいのですが」


「え?」と一番奥にいる男子学生が聞き返した。耳が隠れる程度の髪の長さで、無精髭がうっすら伸びている。「君、中学生?」


「いえ、私の名前は一色千代子、明応大学文学部の一年生です」


私が中学生に見間違えられることはよくあることだ。身長は百四十五センチくらいでほっそりしている。髪も耳が隠れる程度の長さで、パーマなどはかけていない。


「それは失敬。入部を歓迎するよ、中に入ってそこにかけてくれ」


「はい」私は室内に入ると、入り口近くの椅子に腰を下ろした。


「君はこの前のクラブ説明会の時にはいなかったのかい?」


「はい。その日は下宿の準備で忙しくて。ただ、ミステリ研があることは確認しましたので、入部させてもらおうと思ってました」


「いつでも入部は歓迎だよ。まず、現部員の紹介からしよう。僕は経済学部三年で、このミステリ研の部長の兵頭 崇ひょうどうたかしだ」


「よろしくお願いします」私と隣に座っている男女の学生があいさつを返した。


「私は副部長で文学部三年の美波凪子みなみなぎこよ」と兵頭部長の隣にいた長髪の女子学生が自己紹介をした。髪が長く一重瞼で、落ち着いている雰囲気の大人の女性だった。


「よろしくお願いします」


「ちなみに四年生の部員が三人いるけど、卒論と就職活動に専念するため僕に部長を譲ってくれたんだ。時々顔を出すかもしれないから、その時に改めて紹介するよ」と兵頭部長が言った。


「はい。よろしくお願いします」


「次は僕だね」と、美波副部長の向かいに座っていた、短髪で前髪を少し伸ばした、いわゆる慎太郎刈りの男子学生が言った。


「僕は理学部数学科二年の山城 譲やましろゆずるだよ。推理小説ってただの文学でなく、数学のように論理的なのがおもしろいよね。・・・あ、よろしく」


「よろしくお願いします」


「そして私が法学部二年の田辺凛子たなべりんこよ。私は司法試験に合格して検事になるのが夢なの。よろしくね」と美波副部長の隣に座っていたショートヘアで気の強そうな女子学生が自己紹介をした。


「よろしくお願いします。田辺先輩は将来、現実の犯罪事件を扱うことになるんですね」


「以上が幽霊部員と君たち新入部員を除く現在のミステリ研の部員さ」と兵頭部長。


「それでは君たち新入部員に自己紹介をしてもらおうか。・・・あ、君たちは名前だけでなく、どういうミステリが好きかも言ってもらえるかな?」


「はい」と私の二つ隣に座っている男子学生が私と隣の女子学生の方を見て言った。


「僕からでよろしいかい?」


「どうぞ、お願いします」と隣の女子学生が言い、私もうなずいた。


「僕は商学部一年の神田一郎かんだいちろうです。どちらかと言うと乱読するタイプで、推理小説、幻想文学、空想科学小説、時代小説などいろいろ読みますが、推理小説については、戦前の探偵小説の甲賀三郎、大下宇陀児うだる、大阪圭吉、木々高太郎などをよく読んでいます」


「なぜ戦前の探偵小説を好むんだい?」


「大正から昭和初期にかけての国内の状況に懐古的な興味があるからです。でも、人間の思考力、推理力は、科学技術が進歩した現代とあまり変わらないところがおもしろいですね」


「デュパンやホームズの推理が今読んでも色褪せていないのと同じだね。でも、トリック重視の甲賀三郎と、心理描写を是とした大下宇陀児うだるは対極の存在じゃないかい?」と山城先輩が聞いた。


「そうですが、どちらもちょっと古めかしいところが楽しいです」


「あなたはどう?」と美波副部長が私の隣に座っている、銀縁眼鏡が特徴的な女子学生に聞いた。


「私は文学部一年の仲野蝶子なかのちょうこです。私は『ブラウン神父』シリーズや『隅の老人』などの洋物の短編が好きですね。長いストーリーがない分、秀逸な謎解きが堪能できますから」


「シャーロック・ホームズの作品も、長編より短編の方がおもしろいですね」とつい私も口をはさんでしまった。


「そうね」とうなずく仲野さん。


「もちろん長編も読みますよ。最近読んで感動したのは『毒入りチョコレート事件』です」


「どんな話なんだい?」と神田君が聞いた。


「未解決の毒殺事件があって・・・小説の中の話ですけどね」


「毒入りチョコレートによる毒殺なんだね?」


「そうですよ。そういうタイトルだから、あたりまえじゃないですか」


「茶々を入れないで、神田君」と美波副部長が注意した。肩をすくめる神田君。


「・・・えっと、『犯罪研究会』という社会人の集まりがあって、そのメンバーが順番にその毒殺事件の真相を推理し合うというお話よ。最初は稚拙な推理を披露し合うけど、ひとりのメンバーが真相と思える推理を述べるの。他のメンバーが感心して警察に届け出ようとするけど、最後のメンバーがそれをひっくり返す推理で真犯人を指摘するのよ」


「へー、それはおもしろそうだ。今度読んでみるよ」と神田君。


「この小説は普通の長編推理小説と違う趣向で楽しめたからお奨めするわ。」


「なら、君にはこの作品もおもしろく感じると思うよ」と兵頭部長が言って、部室の書棚から一冊の雑誌を取り出した。


「ミステリマガジンですね?」と私は言った。


「そう、この号に載っている短編なんだけど、これ」と兵頭部長は言って表紙に記載されている作品名を指さした。


「『九マイルは遠すぎる』ですか?どういう内容ですか?」


「主人公に向かって探偵役の友人がね、ある文章からまったく事実と異なる結論を引き出すことができるとけしかけるのさ。そこで主人公は友人に例文として『九マイルは遠すぎる云々』と言うんだよ。その言葉から意外な真実が導き出されるというストーリーさ」


「おもしろそうですね」


「ああ。短編だからまだ書籍化されていなくてね、この雑誌でしか邦訳は読めないんだ」(註、昭和四十四年当時)


私は部長が雑誌を引き出した書棚を改めて見た。古今東西の推理小説が並んでいる。


「この書棚にある書籍や雑誌は借りられるんですか?」


「安い古本を歴代の部員が置いていったものでね、ぼろぼろなものも多いから金銭的な価値はないけど、一応ミステリ研の財産なんだ。部室内で読むのは自由だけど、部室外に持ち出す際には僕、つまり部長の許可が必要だ。だから無断での持ち出しは禁止だよ」


「わかりました。さっそくですが、この雑誌を借りてもいいですか?」と仲野さんが聞いた。


「許可してもいいけど、読み終えたらすぐに返却すること。そしていかなる事情があっても、着服や売却は厳禁だよ。いいかい?」


「もちろんです。是非貸してください」


「良かったわね、仲野さん。・・・最後に、一色さんでしたわね?自己紹介をお願いするわ」と美波副部長が私に言った。


「わかりました」と答えて私は自分の名前をもう一度述べた。


「魅力的な謎を論理的に解決する作品が好きですし、心理トリックと言いましょうか、普通の人が陥る心理の陥穽を突くものが楽しいですね。


 例えばエラリー・クイーンの『チャイナ・オレンジの秘密』では、殺された人の衣服が前後逆に着せられており、部屋の中も何もかもが逆向きになっているという不可思議な現場でした。なぜこんなことにと思っていたら、それらの現象はすべて必然だったという種明かしに驚きました。探偵小説はまず魅力的な謎が呈示されないとおもしろくないし、その謎が論理的に解明されないと名作にはならないということを思い知った作品です。


 また、横溝正史の『本陣殺人事件』は、ご存知のように名探偵金田一耕助が最初に登場した作品ですが、事件の直前に犯行現場となった旧家への道を尋ねた三本指の男がいて、この男が殺人犯だと容疑がかけられます。三本指の男はもちろん殺人犯ではないのですが、なぜ彼は旧家への道を尋ねたのか、その理由がなるほどとうならせるものでした。作中で金田一耕助自身が「(探偵小説における)機械的トリックはおもしろくない」と言っていますが、確かに、犯行のトリックそのものよりも、このような日常から生まれた謎の真相の方がおもしろいと思わせた作品でした・・・」


「なかなかしっかりした持論を持ってるわね」と田辺先輩が私を評した。


「それから、私は探偵小説を読むだけでなく、実際に探偵が推理するような謎がないか、通っていた女子高の校内で友人と一緒に探しまわったりしていました」


「へえ?・・・それで何か謎は見つかったのかい?」と聞く兵頭部長。


「ええ。まあ事件なんかでない、ちょっとした謎でしたけどね、その友人が見つけてくれたんです。例えば・・・」


私は一例として誰もいない音楽室からたどたどしく弾かれたピアノの曲が聞こえてきた謎を解いたことを話した。


「なかなかおもしろいことをしていたんだね?ほかにもあるのかい?それからその友人は明応大に入学しているのかい?」


「友人は秋花しゅうか女子短大に入学しました。卒業式以来会っていませんが、近いうちに再会したいと思っています。それから、他の謎のいくつかは私が所属していた文芸部の活動報告にその友人がまとめてくれましたので、興味があるなら今度持ってきます」


「それは楽しみだ。よろしく頼むよ」と兵頭部長は言い、私たち新入部員三人の方を見回した。


「頼もしい新入部員が三人も入って嬉しい限りだが、これからミステリ研の伝統行事として君たち三人に入部テスト代わりの謎解きを提供しよう」


「謎解きですか?」と聞き返す神田君。


「そうだ。これから見せる課題文を書き写して、一月以内に僕宛てに解法と解答をレポートにまとめて提出すること」


「本当に入部テストみたいですね。・・・正解しないと入部を認めてもらえないのでしょうか?」と仲野さんが聞いた。


にやにやする山城先輩。「まさか、せっかくの入部希望者を逃すものか」


「そうよ、解けなくても入部してもらうから安心して。・・・でも、簡単なパズルだから、天下の明応大生なら難なく解けるはずよ。私だって解けたんだから」と田辺先輩も言った。


「そう言われるとかえって不安になります」と仲野さん。


「おもしろそうですね。早くその課題文を見せてください」と私は兵頭部長に言った。


「君ならそう言うと思ったよ。じゃあ、これを見てもらおうか」


兵頭部長はそう言って一枚の原稿用紙を開いて机の上に置いた。普通の四百字詰め原稿用紙だが、横向きにして次のように横書きで書かれていた。



 現在の部室にある備品は長い机と書棚で、椅

 子は事務室からの借り物だ。書棚のモルグ街

 の殺人、トレント最後の事件、ABC殺人事

 件、臆病な共犯者、フランス白粉の謎、エジ

 プト十字架の謎、ドラゴンの歯、マギンティ

 夫人は死んだ、ぺてん師と空気男、悪魔が来

 りて笛を吹く、八つ墓村、電話を掛ける女を

 かたづけろ。□副顧問帯刀進。


 昭和38年10月20日17時8分脱稿

 昭和39年8月10日5時8分改稿


 八月朔日一八


(作者註、文中の□は実際はただの空白)


「ただの指示書きのようですが、探偵小説の題名が羅列してありますね」と私は指摘した。


「知らない題名もあるわ」と仲野さん。「最後の『電話を掛ける女』って誰の作品?」


「甲賀三郎だよ。・・・部室の書棚に『電話を掛ける女』もあるんですか?」と聞く神田君。


「残念だけどここにはないわ。羅列してある小説が全部そろっているわけではないの」と美波副部長が言った。


「副顧問なんてミステリ研にいるんですか?」と私が聞いた。


「副顧問はいないわ」と美波副部長。


「最後の八月朔日一八はちがつさくじついっぱちって何ですか?第三の日付ですか?」と聞く神田君。


「それは署名じゃないの?『八月朔日』と書いて『ほづみ』と読む珍しい名字があるそうよ。・・・『ほづみかずや』さんかしら?」と仲野さん。


その時兵頭部長が手をぱちぱちと叩いた。


「相談はそこまで!各自、自分で考えて!」


「はい!」「はい・・・」元気のいい神田君と自信なさげな仲野さん。


「それじゃあ、これから新入部員歓迎会を行きつけの酒場で始めよう!」


「え?私はお酒を飲めませんよ」と私はあわてて言った。


「大丈夫よ。お酒がだめならジンジャーエールでも飲んでいればいいから」と美波副部長が私に微笑んだ。


「さすがに体の小さい一色さんに飲酒させるのは、外見が悪いから」

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