第4話 ミステリ研の課題<解答編>
新入部員歓迎会から下宿に戻ると、既に夜十時を過ぎていた。
「遅いぞ、千代子!」と同居の兄に叱られる。
「大学生になりたてなんだから、あまり遅く帰るなよ」
「ごめんね、兄ちゃん。もう夕ご飯は食べた?」
「ああ。飯は炊いたから、卵と納豆で食べたよ」
兄は二十一歳、私より三歳年上だ。実家が中華料理屋、平たくいえばラーメン屋なので、兄は跡を継ぐべく都内の中華料理屋で修行している。
私が大学に進学した際、通学しやすいように下宿するよう言ってくれた両親だったが、その条件は兄との同居だった。それまでの兄の下宿先はゴミ屋敷状態だったので、私と一緒にアパートに入居するとともに、掃除・洗濯は私の仕事になった。
兄は料理人なのに下宿ではほとんど料理をしない。そのため炊事もほぼ私の担当にされた。・・・ちょっと割に合わない。
「今日は入部したばかりのミステリ研の歓迎会があったよ」と私は兄に弁明した。
「お酒は飲んでないけど、少し食べてきた」
「そりゃ良かったな。俺は朝早いから、朝食は頼むよ」兄はそう言い残して早々に布団に入って行った。
このアパートには小さな台所が付いているので料理は可能だ。しかしお風呂がないので普段は銭湯に通っている。
今夜はもう遅いので、流し台でタオルを水で濡らし、顔と手足を軽く拭いて寝ることにした。
兄の隣に布団を敷いてその中に潜り込む。天井の裸電球を消して枕元の電気スタンドを点ける。兄は明るくても平気で眠れる人なので、私は今日もらった入部テスト代わりの課題文を開いた。
現在の部室にある備品は長い机と書棚で、椅
子は事務室からの借り物だ。書棚のモルグ街
の殺人、トレント最後の事件、ABC殺人事
件、臆病な共犯者、フランス白粉の謎、エジ
プト十字架の謎、ドラゴンの歯、マギンティ
夫人は死んだ、ぺてん師と空気男、悪魔が来
りて笛を吹く、八つ墓村、電話を掛ける女を
かたづけろ。□副顧問帯刀進。
昭和38年10月20日17時8分脱稿
昭和39年8月10日5時8分改稿
八月朔日一八
(作者註、文中の□は実際はただの空白)
まず気になったのは脱稿と改稿の日付だ。これだけの文章で脱稿と改稿の日付を付けるのも仰々しいが、特に時刻まで書いてあるのは妙だ。この課題文自体に謎が含まれているのなら、これは暗号文なのだろう。そしてこの脱稿と改稿の日付が暗号を解くヒントなのかもしれない。脱稿と改稿の二行に書かれた数字を足すと、
38+10+20+17+8+39+8+10+5+8=163
となる。一方、課題文の文字数は句読点を入れて20字×7+14字=154字。「副顧問」の前の空白を一字として数えなければ153字。上で計算した163とは9文字ないし10文字の差がある。いずれにしても数が合わない。
ここで私は思いついた。日付の38年と39年は3と8、あるいは3と9かもしれない。3+8=11は38と27違い。3+9=12は39と27違い。どちらかを二個の数字に分けると、
3+8+10+20+17+8+39+8+10+5+8=136
または
38+10+20+17+8+3+9+8+10+5+8=136
これでも数が合わない。
ひょっとしたら38か39ではなく、17を1と7に分けるのかもしれない。
38+10+20+1+7+8+39+8+10+5+8=154
副顧問の前の空白を一字として数えると課題文の文字数(空白込みで154字)と数が合う。それぞれの数字で課題文を切ると、
現在の部室にある備品は長い机と書棚で、椅子は事務室からの借り物だ。書棚のモル(38)
グ街の殺人事件、黄色(10)
い部屋の謎、ABC殺人事件、臆病な共犯者(20)
、(1)
フランス白粉の(7)
謎、エジプト十字(8)
架の謎、ドラゴンの歯、マギンティ夫人は死んだ、ぺてん師と空気男、悪魔が来りて笛(39)
を吹く、八つ墓村(8)
、電話を掛ける女をか(10)
たづけろ。(5)
□副顧問帯刀進。(8:空白込)
となる。実在しない副顧問の名前『帯刀進』は漢字を変えると『縦脇進』となる。各行の脇、つまり行頭の文字を縦に読み進めると『現グい、フ謎架を、た(空白)』となる。意味が通らない。
もしかしたら署名らしき『八月朔日一八』も漢数字を含むからヒントの一部なのだろうか?だとしたら八月朔日は八月一日で8と1、一八は十八でないから1と8。
38+10+20+17+8+39+8+10+5+8+8+1+1+8=181
課題文の文字数との差は27字または28字に増えた。今度は38を3と8、あるいは39を3と9に分けると、
3+8+10+20+17+8+39+8+10+5+8+8+1+1+8=154
または
38+10+20+17+8+3+9+8+10+5+8+8+1+1+8=154
で、課題文の文字数(空白込みで154字)と数が合う。
38を3と8に分ける場合、日付と署名に記された数で課題文を切ると、
現在の(3)
部室にある備品は(8)
長い机と書棚で、椅子(10)
は事務室からの借り物だ。書棚のモルグ街の(20)
殺人、トレント最後の事件、ABC殺(17)
人事件、臆病な共(8)
犯者、フランス白粉の謎、エジプト十字架の謎、ドラゴンの歯、マギンティ夫人は死ん(39)
だ、ぺてん師と空(8)
気男、悪魔が来りて笛(10)
を吹く、八(5)
つ墓村、電話を掛(8)
ける女をかたづけ(8)
ろ(1)
。(1)
□副顧問帯刀進。(8)
となり、行頭の文字を縦に読み進めると『現部長は殺人犯だ気をつけろ。(空白)』となる。これが謎の答だろう。
ちなみに39を3と9に分けた場合は、
現在の部室にある備品は長い机と書棚で、椅子は事務室からの借り物だ。書棚のモル(38)
グ街の殺人、トレント(10)
最後の事件、ABC殺人事件、臆病な共犯者(20)
、フランス白粉の謎、エジプト十字架(17)
の謎、ドラゴンの(8)
歯、マ(3)
ギンティ夫人は死ん(9)
だ、ぺてん師と空(8)
気男、悪魔が来りて笛(10)
を吹く、八(5)
つ墓村、電話を掛(8)
ける女をかたづけ(8)
ろ(1)
。(1)
□副顧問帯刀進。(8:空白込)
で、行頭の文字を繋げると『現グ最、の歯ギだ気をつけろ。(空白)』となり、意味をなさない。
私は紙に上記の解法と答を書くと、電気スタンドを消して眠りについた。
翌朝、「朝飯を頼む!」と言われて兄に起こされた。私は眠い目をこすりながら起き上がると、布団を畳んで部屋の隅に寄せ、顔を洗い、歯を磨いてから、鍋にお湯を沸かして豆腐のみそ汁を作った。
みそ汁が出来上がるとご飯茶碗に昨日のご飯をよそい、タクアン、納豆、生卵、みそ汁と一緒にちゃぶ台の上に置いた。
すぐにがつがつと食べ始める兄。
「ご飯が冷たい!みそ汁の出汁が取ってない!」と文句を言いながらあっという間に目の前のおかずとご飯を食べ終わる兄。
「朝からそこまで作れないよ。・・・兄ちゃん、料理人なんだから、自分で作ったら」と言い返す。
「料理人は家では女房が作った飯を食べるもんだ」と兄が言う。
料理人の妻になんかなるもんじゃないな、と私は思った。プロの料理人に食事を駄目出しされる日々が続きそうだ。
「じゃあ、早く結婚してよ。そして奥さんに私のご飯も作ってもらってよ」
「俺はまだ修行中だから・・・」と兄は口ごもりながら立ち上がると、すぐに着替えをして出かける準備を始めた。
「大学生は暇だろ?飯ぐらい余裕で作れるだろ?・・・ところでまだ学校で『私は探偵よ。事件はない?』とか言ってるんじゃないだろうな?」
「高校の時と違って大学は人が多いから、さすがに言わないよ」
「それならいいが。・・・おっと時間だ。じゃあ行って来る」兄はばたばたしながら玄関に向かった。
「行ってらっしゃい」と送り出してから、私はちゃぶ台の前に座ってゆっくり朝食を食べた。
食べ終わると食器を兄の分も洗って籠に伏せておき、準備を終えると下宿を出て、大学に向かった。
その日の講義が終わった後でミステリ研の部室に寄ると、既に兵頭部長がいた。
「部長、こんにちは。お早いですね」とあいさつする。
「やあ、一色君。君も早いね。やる気があって何よりだよ」
私の表情に気づく兵頭部長。「ひょっとしてもう謎は解いたのかい?」
「ええ、一応・・・」私はそう言って昨夜考えた推理過程と答を書いた紙を手渡した。
ざっと目を通す兵頭部長。
「うん、正解だよ。・・・文字数を数えて少し考えればわかる謎だけど、一晩で答を出すなんて見所があるね」
「私は昨夜お酒を飲みませんでしたから」
「確かにアルコールは灰色の脳細胞を鈍化させるね。・・・あ、『灰色の脳細胞』って言葉の由来は知ってるよね?」
「はい。アガサ・クリスティーの書いた『エルキュール・ポアロ』という探偵がよく使う言葉ですね」
「大脳の神経細胞が集まっている表層部を灰白質と言うから、そこから来てると思うけどね、実際は灰色と言うよりは肌色に近い褐色らしいよ」
「よ、よくご存知ですね?」
「僕の従兄が医学部の法医学教室にいるんだ。興味あるだろ?今度見学につれて行ってあげるよ」
「え?・・・ええ」法医学教室と言えば犯罪の被害者を司法解剖するところだ。話としては興味があるが、死体や解剖を見たいわけじゃない・・・。
「あ、大丈夫だよ。さすがに医学生じゃないから解剖は見学させてもらえないよ。過去の事件の話なんかを聞くだけさ」
「そ、そうですよね」・・・でも、ちょっと怖い。
「そ、それより、聞きたいことがあるんです」と私は話題を変えた。
「今日解いた課題文ですが、これはオリジナルなのですか?」
「どういう意味だい?」
「こんなメモ書きのような文章なのに『脱稿』、『改稿』って書いてありますよね?ヒントになる数字が足りなくて『改稿』の日付と時刻を記載したのかもしれませんが、実際に元の文章を誰かが改稿した、つまり書き直したという事実はありませんか?」
私の質問に対し、兵頭部長は妙な顔をして私を見つめた。
「・・・君は通り一遍の推理だけでなく、その奥に隠された真実を見抜こうとするんだね。確かに最初の文章は違う。それは歴代の部長にのみ伝授されてきたものだ」
そう言って兵頭部長は新しい紙に字を書いて私に渡した。その紙には、
現在の部室にある備品は長い机と書棚で、椅
子は事務室からの借り物だ。書棚のモルグ街
の殺人、素晴らしき犯罪、これは殺人だ、□
パリを見て死ね!をかたづけろ。
昭和38年10月20日17時8分
昨日もらった文章より短く、日付はひとつだけ。存在しない副顧問の名前も書かれてない。文字数は『殺人だ、』の右の空白を入れて20字×3+15字=75字だ。
一方、日付と署名の数を足すと、
38+10+20+17+8+8+1+1+8=111
となり、75字との差は36だ。38を3と8に分けてもまだ差は9ある。さらに17も1と7に分けることで字数の差がなくなった。
3+8+10+20+1+7+8+8+1+1+8=75
すると、
現在の(3)
部室にある備品は(8)
長い机と書棚で、椅子(10)
は事務室からの借り物だ。書棚のモルグ街の(20)
殺(1)
人、素晴らしき(7)
犯罪、これは殺人(8)
だ、□パリを見て(空白込みで8)
死(1)
ね(1)
!をかたづけろ。(8)
となり、行頭の文字を縦に読み進めると・・・『現部長は殺人犯だ死ね!』となった。
私は背筋がぞくっとした。『死ね!』という言葉に強い憎悪を感じたからだ。
「部長、・・・これは?」
「謎の答に出てくる『現部長』が誰かはわからない。誰かわからないその人がほんとうに殺人犯なのかもわからないが、少なくともミステリ研で過去に殺人事件が起こったことはないはずだから、ただの暗号クイズだと思うよ。・・・だけどこれは悪意がこもった文章だ。だから先輩の誰かが今の文章に作り替えたんじゃないかな?」
「気味が悪いからこの元の文章のことは誰にも言いません」
私の言葉に兵頭部長は黙ってうなずいた。この暗号文が実際に犯罪と関わっているとは、この時点では誰も想像できなかった。
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